エクストリーム野次馬
普段は広々とした空き地に、大小様々なテントがひしめき合っていた。
一番大きなものはドーム型で、赤や黄色といった明るい色で彩られている。
看板を持った道化師が道行く人にパントマイム混じえて宣伝し、煌びやかな衣装を纏った女性興行師達が、笑顔と一緒にビラを振りまいている。
きれいどころに微笑まれた紳士が、興味なさそうなフリをしつつしっかりビラを受け取ろうとした瞬間、風の悪戯で紙が空に舞い上がった。
ひらひらと左右に振れながら自分の足元に落ちたそれを、俺は一瞬迷った末に拾い上げた。
「これって……」
手の中にあるチラシには見覚えがあった。
中央には紳士の礼をする道化師。右上に空中ブランコの女性。右下に火の輪を潜るライオン。左下は積み上げた椅子の上で逆立ちする少年。左上は綱渡りをする男性。全体を囲う蔓草のような飾り文字が印象的だ。
記憶力に自信は無いが、サーカスのような娯楽とは縁がない人生だった。
経験が無いからこそ、他と見間違えるなんてことはない。
これを前に見たのは、まだ俺が警察官になりたてで、右も左もわからなかった頃だ――……
*
「ハリソン先輩。おはようございます。また泊まりですか」
ソファから突き出した長い足に声をかけると、返事をするようにピクリと動いた。
「んん、オリヴァー君ですか。ギリギリまで寝るので、警部が来る頃に起こしてください」
「警部が入って来る前に飛び起きたところで、この惨状を見られたら意味ないですよ。もう起きましょう」
ブランケットを剥ぐと、三年目警察官のハリソン巡査部長がのそりと身を起こした。
どの部屋からかっぱらってきたのか大量のブランケットと枕代わりのクッションで、それなりに休めそうな寝床になっている。
家が近いんだから、そんなことをする労力と時間があるなら帰宅してちゃんとしたベッドで休んだ方が利口だと思うのだが、この無駄に優秀な先輩の考えは違うらしい。
ちなみに俺が「また」と言ったのは、これが初めてじゃないどころか、それが常だからだ。
「新婚なのに、ずっと職場に寝泊まりして大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。僕たちは愛し合ってますから」
一層ヤバイだろ。
「尚更ダメじゃないですか。愛する旦那さんが家に帰ってこないなんて、奧さん悲しみますよ」
「いえ、実はですね。昨日二ヶ月ぶりに帰宅したところ、鍵が使えなかったんです。夜中に起こすのは忍びないので署に戻りました」
「……」
「きっと鍵をなくして交換したはいいものの、うっかり僕に新しい鍵を渡すのを忘れているんでしょうね。そういう、おっちょこちょいなところが可愛いんですけど」
いやそれ、絶対うっかりじゃないって。
「締め出されてるじゃないですか。かなりヤバい状況だって気付いてください」
「ふふ。心配してくれるんですか?」
「笑ってる場合じゃないですって」
「三度の飯よりもゴシップ好きな僕にとって、最前列で他人の醜聞を鑑賞できる警察官の仕事はまさに天職。妻もそのことは知っているので心配ご無用ですよ」
「野次馬根性で警察官やってる人を初めて見た」
人として終わっているが、仕事中毒なだけあって結果は出している。
それが余計にタチが悪い。
仕事に没頭する大義名分を与えてしまっているからだ。
「野次馬根性とは聞こえがよろしくないですね。娯楽と言ってください」
流し目で微笑まれたが、言ってることは最低である。
「ああ、好きを仕事にできた僕はなんて幸せなんでしょう。半年と16日間会っていませんが、可愛い奥さんもいるとか充実しすぎて夢みたいですね」
「先輩自身がエンタメになりつつあるんですけど」
署内ではハリソン先輩の離婚ネタで賭けが行われている。
離婚するか否かではなく、いつするかだ。
ちなみに俺は賭博が好きじゃないので参加していない。少額とか遊びとか言われても、賭け事は頑張って働いて稼いだ金で遊ぶようで気が進まない。
それにギャンブルで身を持ち崩した人間を嫌というほど見てきたから、危険な物だという意識が強くて、英国紳士の嗜みと言われている競馬さえ忌避感がある。
「え? 僕の人生なんて順風満帆過ぎて妬みしかないと思うんですが」
きょとんとした顔で言われて戦慄した。
海よりも広い自己肯定感。
すげぇ。
この人は本物だ。
「ところで、興味深い物を持っていますね」
ハリソン先輩が、俺が持っているビラに興味を示した。
「去年持ち込まれたのに似てると思ったんですが……」
同じだと言い切れず、日和った言い方をした。
「似てるどころか同じですよ。ふうん。刷り直しの手間と費用を惜しんだのか、刷り直さなくても良くなったのか……一体どちらなんでしょうね」
「……」
俺たちの視線は、大きく描かれた道化師ではなく、右上の空中ブランコに捕まる女性――アンジェリーナに向けられていた。
*
去年。ロンドンでの興行中に姿が消えたと座長と、彼女の弟が署にやってきた。
働き始めたばかりで、就職祝いにもらった靴の底もすり減っていなかった俺は、先輩が対応するのを後ろで見ていただけだった。
「彼女、無事に戻ってきたんですかね」
「頑張って逃げ出したのに、連れ戻されたのかもしれませんよ」
俺の好意的な意見を、先輩は笑顔で容赦なく叩き潰した。
「……やっぱりこの仕事してると、サーカスに良い印象は持てませんか?」
「ん? ああ。不法入国者の隠れ蓑とか、幼い子どもを拐かして働かせているとか色々言われてますが、どちらも真偽は定かではありません。君も警察官ならレッテルに惑わされないようにね」
先輩は笑顔を浮かべたまま釘を刺した。
「海の向こう側なら国同士が地続きなので密入国の手段は豊富ですが、我が国は島国でそれなりにしっかりした船でなければ渡航できません。言うほど不法滞在者はいないんですよ」
「え、そうなんですか」
「警察官になって六年。庁舎にある資料は全て読破しましたが、不法滞在者絡みの年間犯罪件数は横ばいで、全体に占める割合もごくわずか。そのうちサーカス団が関与している事件なんて片手で足りるくらいしかありません」
「……」
「あと一般家庭のお子さんを浚えば、すぐに騒ぎになります。夕飯時に子どもの姿がなければ親は警察に届けますからね。可能性があるならストリートチルドレンを拾っているパターンですが、行き場のない子どもに衣食住を与えていると考えればさほど悪い話でもないのでは」
「そう、ですね」
路上で暮らす孤児を、全員保護することなんてできない。
いずれ施設を出るとしても、子どもは孤児院に年単位で身を寄せる。受け皿には限りがあるのに親と一緒に家も失った子や、捨てられた子は後を絶たない。
生き延びるのも難しい環境で、犯罪者にならず真っ当な人間になれる子どもはほんの一握り。
それくらいなら搾取されようとサーカス団に引き取られた方がマシ、というのが先輩の考えらしい。
俺も同意見だが、まさか先輩がそう考えているとは思わなかった。
働く理由が下衆の極みだけど、先輩は品のある顔立ちをしているし、言葉遣いも上品だ。話していて、ああこの人は頭が良いんだな感じる。
貴族ではないらしいが、きっと裕福な家の出なんだろう。
趣味が高じてこの職業を選んだだけで、同じ警察官でも俺とは違う人種なので、まさか意見が合うとは思わなかった。
「ハリソン先輩なら、この後どうします?」
「どうとは?」
「ええと。サーカスに確認しに行くとか……」
「何故?」
「え」
「チラシを覚えているくらいですから、去年のやり取りも覚えていますよね。結局彼らは失踪届けを出さずに帰ってしまいました」
アンジェリーナは花形興行師で、彼女目当ての客は多かった。
中には全通する熱心なファンもいたらしい。
出番になっても姿を現さなかったアンジェリーナに、団員達は何か事件に巻き込まれたのではと考え、代表として団長と、唯一の肉親である弟が署にやってきた。
彼らは直ちに大勢の警察が捜索を始めることを望んだが、事件性があるかも怪しい成人女性の失踪にそんな人員を割けるはずもなく。
「行けたら行く」ならぬ「探せたら探す」的な返答に腹を立てた団長が「俺たちがロンドン市民じゃないから探す気がないんだろう。お前らを頼ろうとしたのが間違いだった。もういい、自分たちで探す」と啖呵を切って出て行ってしまったのだ。
「オリヴァー君。警察の仕事は警戒と犯罪発生時の対処です。僕は最前列で野次馬を決め込みますが、自分から首を突っ込むマネはしません。警察官の肩書きを持つ僕たちの行動は、一歩間違えれば職権乱用になりかねないことを忘れないように」
「はい……」
ハリソン「毎日楽しいです」




