聞かれなかったから
「色々と申し訳ありませんでした。決して悪気はないんですが、それが余計にタチが悪いと言いますか……」
「構いませんよ。もうお会いすることはないでしょうから」
玩具が入った木箱を持った俺が頭を下げると、マリアさんは微笑んだ。
地味に攻撃の力の高い発言だ。やっぱり怒ってるよな。
「ほら行くぞ」
気がつけば、敬語は遙か彼方に飛び去っていて、自覚した今も戻ってくる気配はない。
しかしマリアさんの言葉を借りるなら、俺もまた今回の件が終われば、この無神経野郎と会うことはないだろう。
苦情を入れるタイプには見えないので、気にしないことにする。
「本当に行くのか?」
「当たり前だ」
両手が塞がっているので、体で押し出すようにヴィクトルを急き立てた。
*
俺は帰りの船のデッキに佇み、離れゆくイートンの町をぼんやりと眺めた。
「ヴィクトル・ブラッドリーは本件とは無関係。ヒ素を摂取した経緯は分からず終いだけど、転落は事故。遺体の身元は特定できたし、署で報告書いてこの件は終わりだな」
「君がそっち派だとは思わなかった」
「そっち?」
「犯人の自殺を許容するタイプには見えないから意外だった」
「は? 俺がいつ?」
「さっき僕が、本当に彼女をそのままにして行くのか聞いた時に、言ったじゃないか」
「そんな言い方だったか? ………………え。犯人?」
俺たちの間を一陣の風が吹き抜けた。
「直接殺害していないので殺人にはあたらない。毒物を盛っているので、未必の故意でもない。殺害された息子の復讐なので情状酌量の余地はあるが、息子は事故死として処理されている。罪状と求刑をどうするか悩ましいから、このままにしたい気持ちはわかるが……」
「待て待て待て! 頭が追いつかないんだけど!」
「僕と同じことを見聞きしたのに、理解していなかったのか?」
「無茶言うな! なんで黙ってたんだよ!」
「情報提供は事実のみを述べ、推理はするなと君が言ったじゃないか」
「そんなこと言――ったなあぁ!」
釘を刺すつもりで家を出る時に言った。
身に覚えがありすぎて頭を抱えた。
*
「年を取ったハリーはジゴロとして先細りだった。狭いコミュニティでは不動産が誰の所有物かは簡単にわかる。不労所得がありながらコツコツ働くマリアは、理想的な終の寄生先だ」
「終の棲家みたいに言うなよ」
「住居という意味なら同じだ」
「父親になるつもりが無いハリーにとって、息子は邪魔でしかない。いや、もしかしたら子供を理由に交際を断られたのかもしれないな」
「それで事故に見せかけて殺したって?」
「ああ。彼女は警察が事故だと判断したという言い方をしただろう。彼女は事故死だと思っていない証拠だ」
「証拠弱すぎないか?」
俺の胡乱な眼差しを、ヴィクトルは素知らぬ顔で無視した。
「おそらく子供が亡くなった後、ハリーが殺したと気付いたんだろう」
「えぇ? どうやって?」
「別れ際にした約束、おろしたての玩具や衣類……。死ぬ直前の子供と会っていなければ知りようのない情報を知りながら、その日は見かけていないと主張すれば自白したようなものだ」
納得しかねる俺に構わず、ヴィクトルは語り続ける。
「彼女は元々看護師で、地元はヒ素公害で有名な土地だ。慢性中毒者の状態にも詳しいはず」
「元看護師でも、ヒ素なんて手に入れるのは難しいんじゃないか?」
「ハエ取り紙があったじゃないか。あれの主成分はヒ素だぞ」
「そうなのか!?」
そんな危険なものがドラッグストアで売られているなんて、驚きを通り越して恐ろしい。
「なんだ知らずに使っていたのか。水に溶け出したヒ素を料理に混ぜて無償で提供すれば、ハリーは脈ありだと勘違いして店に通っただろうな」
徐々に推理が説得力を増してきて、生唾を飲み込んだ。
「……なあ、慢性なら治療可能なんだろ。体調不良でハリーが受診した時点で失敗するんじゃないか?」
「彼女の夫は病死だ。『二度と先立たれたくないから、健康な人としか付き合わない』と言えば、少々の体調不良なら受診しないだろう。田舎はどこから秘密が漏れるかわからないからな」
皮膚障害を除けば、単なる体調不良に思えるような症状ばかりだ。不健康な生活をしている中年なら心当たりが多すぎてで、逆に気にしないだろう――と、ヴィクトルは続けた。
「重症になった時はもう手遅れってことか。――いや、待てよ。簡単にヒ素が手に入るなら、ひと思いに殺した方がよくないか?」
確実に復讐したければ、速やかに息の根を止めるのが一番だ。俺ならそうする。
「慢性中毒の代表的な症状は皮膚障害。容姿自慢の男から取り柄を奪うにはもってこいの方法だ。最初は一時的な肌荒れ、加齢によるシミだと思っただろう。だが徐々に女性の前で服が脱げなくなるほど悪化していった。選択肢が減ったハリーは益々マリアにしがみ付いただろうな」
真綿で首を絞めるような行為。
蟻地獄のような罠の中で、少しでも長く甚振るためにあえて即死を選ばなかったのだ。
「もしかして捜索願を出そうとしたのは、逃がしたくなかったからか?」
「ああ。確実に寿命を縮めはしたが、取り逃がしたかと気が気じゃなかっただろう。僕たちに訃報を告げられて、喜びに打ち震えただろうな」
「たしかに震えてたけどさ」
あの時のマリアさんの姿を思い浮かべたが、ヴィクトルの言葉のせいか嬉しいのを表に出さないよう堪えていたように思えてきた。
「これで納得したか?」
「あー……うん。あれ? さっき自殺がどうとか言ってなかったか?」
「言ったな」
「復讐は果たした。警察が訪ねてきたけど、疑われている様子はない。なら死ぬ必要はないだろ」
ヴィクトルは「僕もそう思ったんだが」と言うと、足下にある箱を見下ろした。
「近くに身寄りのいない彼女が死ねば、遺品はゴミとして処分される。息子の遺品がゴミとして捨てられないよう寄付したんだろう。そうじゃなければ、ずっと目につく場所に飾り続けたものを手放す理由にはならない」
「……」
「憎い男に親切にして、周囲に親しいと思われる。それはきっと屈辱と苦痛の日々だったはずだ。ハリーと共に自分も罰していたのかもしれないな」
「自分の所為で子供が死んだと思っていたなら、そういうこともあるのか――って、それならこんな所で喋ってる場合じゃない!」
「次の停泊地はウィンザーだ。折り返しても手遅れだし、そっとしておいてやろう」
「できるか! 降りまぁぁぁあすっ!!」
腹から声を出すも、ボオォォという汽笛にかき消された。
加速する船に途中下船は無理だと悟ると、俺は船尾に向かって全力疾走した。
「ちくしょぉぉぉおおおおおおおっ!!!!」
スクリューに巻き込まれないように、思い切りジャンプして川に飛び込む。
水泳の経験はあるが、こんなに高い場所から飛び込んだことはないし、着衣水泳でもなかった。
水面に打ち付けて体は痛いし、体は動かしにくいし、着水時に水が鼻に入って滅茶苦茶痛い。あいつが早めに言っていれば、全部避けられたことだ。
言うべきことを言わない糞野郎に憤慨しながら、俺は岸を目指した。
これにて最初の事件はお終い。




