ノンデリって空気も読めないんだな
「どうぞ」
数分後。テーブルに置かれたのは、カップではなくグラスだった。
透明なグラスの七分目まで、濃い色の液体が入っている。
コーヒーにしては色が薄い。俺の知る限りで見た目が一番近いのは酒だがそんなまさかな。
「失礼ですが、これは何ですか?」
「水出しした紅茶です。この辺りの地域では、よくあるメニューなんですが」
「ああ、紅茶! すみません見慣れなくて……」
「基本はホットですからね。香りは落ちますが、飲みやすいですよ」
「へえ。本当だ」
熱い紅茶はちびちび飲むしかないが、これならごくごくのめる。
紅茶と一緒に出されたのは、クラシックなキャロットケーキだった。
こういった店で出されるのは、大抵パサついて大味なのだが、自家製と思しきケーキはしっとりとしていて繊細で控えめな甘みがあった。
「このキャロットケーキ絶品ですね。昔からこのお仕事を?」
「この仕事を始めたのは六年前です。前は看護師をしていたんですが、病気で夫を無くして息子の世話もあり店を開きました」
早く本題に入りたいというのもあるが、美味しくてあっという間に食べ終えると、制服のポケットから似顔絵を取り出した。
*
「――……ハリーによく似ています」
「遺体の胸と背中が変色していたんですが、心当たりはありますか?」
「変色した痣のようなものでしたら、ハリーで間違いありません。ああ、神様……!」
シャツの下に隠された異常は、単なる知り合いであれば目にすることのない場所だ。
口元を押さえて震えるマリアさんの姿に複雑な気持ちになった。
生前のハリーは立派な人物とは言い難かったが、それでも彼を愛した人にとって、永遠の離別は耐えがたいものなのだろう。
「この店は玩具を飾っているが、どれも使用感がある。アンティークにしては新しいが、その子供の私物か?」
「空気を読め」
なぜ今、口を挟んだ。
この状況で聞くことじゃないだろ。
「……息子の遺品です」
「失礼しました」
俺が反射的に謝ると「もう五年経ちますので、お気になさらず」とマリアさんは微笑んだ。
「幼児向けの玩具ということは、相当若くして命を落としたんだな。死因は?」
「おい!」
「警察は水辺で遊んでいて溺れたんだろうと……」
当時のことを思い出したのか声は震え、血管が浮くほど強く手を握りしめた。
(あれ? 恋人の死を知った時とは随分反応に差があるな)
やはり腹を痛めて産んだ子供とは比べものにならないのか、もしくは遺体を見ていないハリーは死んだという実感が薄いのかもしれない。
「お悔やみ申し上げます」
六年前に夫が病死、五年前に息子が溺死、そして先日恋人が同じく溺死。
こうも次々に亡くなるなんて、彼女に何かあるのでは無いかと疑いたくなる。
俺が悶々としていると、マリアさんは窓際に置いてあった船の模型を手に取った。
「そろそろ区切りをつけようと思っていたところです。この辺りには孤児院がないので、ロンドンの孤児院に寄付したいんですが、頼めますか?」
「そのくらいなら、お安いご用です」
大したことじゃないので、二つ返事で請け負った。
ちょうど署の近くにあるので帰りに立ち寄ればいい。
「個人経営の飲食店の売り上げは決して高くない。わずかに西部訛りがあることから、結婚を機に移住したと推測するが、地元に帰ろうとは思わないのか?」
「またかよ」
和ませたばかりの空気を台無しにする発言に、俺は額に青筋を浮かべた。
「この建物は夫が遺してくれたものです。他にもいくつか不動産があるので今のところ生活には困っていません」
「重ね重ねすみませんっ」
ヴィクトルのことも警官だと勘違いしているのか、失礼な質問にもマリアさんは丁寧に答えてくれた。俺からすれば居たたまれないことこの上ない。
「それに地元は不便な場所なので、戻るつもりはありません」
マリアが告げた地名に、ヴィクトルは「鉱山の公害があった地域だな」と余計なことを言った。
「い い 加 減 に し ろ」




