まだらの死体
一週間前、テムズ川に中年男性の死体が上がった。
溺れる酔っ払いや、生活苦で橋から身を投げる者は珍しくないので、普段ならまたかという程度の事件だ。
だがこの水死体は一風変わっており、それ故に新聞の一面を飾った。
無残に破れたシャツは、袖口がかろうじて残っている状態。
とても自力でやったとは思えない、ならば誰かにやられたことになるが、何故ここまで激しく引き裂いたのか。
そして異様だったのは、衣服だけではない。
被害者のその肌。
胸と背の広い範囲が所々黒くなっており、そこに白色の斑点が加わったことで、遠目で見るとまだら模様になっていた。
検死によると黒いのは色素沈着で、白いのは色素が抜け落ちてできた白斑。墨を入れるなど人の手が加わった形跡はなしとのことだった。
「『まだらの死体』ですか」
「有名な小説のタイトルにかけたんだろうが、ちっとも笑えん」
上司であるストレード警部の言葉に、俺は愛想笑いで誤魔化した。
翻訳家をしている兄貴とは違い、俺はあまり本を読まない。
その有名な小説とやらも全く知らなかった。
「先日、一件の情報提供があった。『皮膚症状はヒ素が原因かもしれない』『定期船に引っかかってロンドンまで運ばれたことで、服がボロボロになった可能性がある。まだ身元が判明していないなら、テムズ川沿いで転落事件が無いか調べろ』――とな」
「えっ。自白?」
思わずこぼれ落ちた言葉に、警部は唇を真一文字に引き結ぶと、同感だと言わんばかりに深く頷いた。
「自己顕示欲、もしくは我々警察への挑発。犯行をひけらかす犯人は昔からいるが……」
「わかりましたっ! 投書の差出人を探せということですね!」
勢いそのままに踵を返すと、制止の声がかかった。
「その必要は無い」
「いや、でも――」
「投書ではなく本人が署に来てたれ込んでいる。嘘でなければ、記帳した住所に住んでいるはずだ」
なんだそれ。
「それって、ある種の自首だと思うんですけど」
「もしくは捜査に口出ししてくる厄介な市民だな」
「ですよね。どんな対応をしたんですか?」
「どうやら窓口で一悶着あったらしく、職員はよくいる『ヤバイの』だと思って丁重にお帰りいただいたらしい」
「えぇ~」
たしかにこの仕事をしていると、そういう『ヤバイの』に遭遇する機会が多い。
捜査部の俺でもそうなのだから、窓口に至っては日常茶飯事だろう。
だがしかし、もう少し慎重に対応してもらいたかったと思うのは望みすぎだろうか。
「目撃証言なし。身元を特定できるものなし。死因は溺死で間違いないが、とにかく情報がない。真に受けたわけではないが、念のため調べたところヒ素が検出された」
手詰まりになったところで市民からの情報提供、もとい素人の捜査への口出しが成果を出してしまった。
「ついでに遺体発見の前日、イートンで男性が橋から落ちていたことが分かった。目撃者の連絡をうけて直ぐに捜索したが、まだ見つかっていないらしい」
「そこまで分かっていて、どうしてしょっ引かないんですか?」
探偵気取りの市民は多いが、あまりに的を射すぎている。
犯人もしくは、それに近い人物に違いない。
さっさと身柄を確保して取り調べを行うべきだ。
「書かれた住所とファミリーネームが厄介でな」
警部は帳簿を開くと、該当箇所を指さした。
署の受付で書いてもらう来客者名簿だ。訪問日時の隣に氏名と住所が書かれている。
「綺麗な字ですね」
「そこじゃない」
「っす、失礼しました。名前はヴィクトル・ブラッドリー。住所は……お金持ちですね」
「そうだ。この国で一番地価の高い場所に住むブラッドリー姓だ。わかるだろう」
「すみません、さっぱりです」
「ブラッドリー公爵の縁者かもしれない」
「そうなんですね」
「お前まだ分かってないな。事情聴取どころか、疑いをかけただけでも圧力がかかったり、国外に逃げるかもしれない相手だということだ」
「はあ」
「王室とも縁深い大貴族だ。醜聞に繋がりそうなものは、迷わずもみ消すだろう」
ことの深刻さがわかっていない俺に、警部は言い聞かせるように説明した。
「え。じゃあ、どうするんですか?」
まさか放置するとは言わないだろうな。
そんなことを許したら、英国の正義が死んでしまう。
「『事件に興味がある特権階級』として扱う。情報提供の礼という名目で訪ねて、特別に捜査に同行させるんだ」
「同行って、聞き込みとかですか?」
VIPを招待しての捜査ツアーにしては随分地味だな。
非協力的な住民も多くて神経すり減るし、靴底もすり減るので、嫌がらせにはもってこいだが、そんな陰険な目的ではないだろう。
「お前には容疑者を連れてイートンまで行ってもらう。もしブラッドリーに土地勘がある、あるいはヤツを見たことがある人物がいたら署に連れ返れ。いいか。ヤツにぴったりくっ付いて、絶対に外部に連絡させるなよ」
「わ……かりました。でも良いんですか? 俺みたいな若輩で」
「だから相手も油断するんだ。自分は使いっ走りです。上司に命じられたことをしているだけで何も知りません、って顔をしとけ」
それなら自信がある。実際あまりよく分かっていない。
「了解です! なにも考えていないように見えれば良いんですね! 俺そういうの得意なんで任せてください!」
元気よく敬礼すると、警部は「人選を間違えたか……?」と不安そうに呟いた。
ストレード警部(34)
オリヴァーの上司。
「有名な小説」に、似た名前のキャラが出てくるので名乗る度に「惜しいですね」と言われるのがストレス。
警部「レモネードにも同じことが言えるのか!」
オリヴァー「人名じゃないので、一緒にするのはおかしいと思います」




