マッチポンプ社長
言葉遣いをどうするか一瞬迷ったが、今はプライベートだと割り切ることにした。
「先日の件だけど、お前の言った通りだった」
俺はこの男とお喋りするほど親しくはない。
かといって顔見知りではあるので、隣に座っておいてずっと黙りは気まずい。
他にすることもないので、俺はヴィクトルに半月前のできごとを伝えた。
「ああ、死んでたのか」
「言い方。ぐちょぐちょの靴で走って店に戻ったら、ちょうどマリアさんが首を吊った瞬間でさ。間一髪間に合ったよ」
高い位置に縄を取り付けて足場を蹴倒すような、完全に体が宙に浮く方法を選ばなかったのが幸いした。
もし落下の勢いで頸椎が損傷していたら助からなかっただろう。
俺が店の扉を開け放った時、彼女はカウンターの奥――キッチンに繋がる扉のドアノブにベルトをかけて首を吊っていた。
男物のそれはおそらく夫の遺品で、抱きかかえていた小さな黄色の長靴は息子の遺品だ。
「髪が絡みついて首からベルトを外せないし、金具の継ぎ目に食い込んでドアノブからベルトを外すこともできないしで、滅茶苦茶焦ったよ」
「ベルトを切ったのか?」
「これ以上首が絞まらないように、気絶したマリアさんの体を支えなきゃいけないから、道具を探しにいくことなんてできなくて、結局力尽くで引き千切った」
牛革のしっかりしたベルトだったので、ベルトよりも先にドアノブが壊れたけど。
久しぶりにやっちまったと血の気が引いたけど、家主が許してくれたのでお咎めはなしだ。
彼女の行動が何よりの証拠だけど、念のためヴィクトルの推理を伝えたら間違いないと認めた。
もしヒ素が直接の死因だったら殺人罪。だが今回はそうではない――正確には、ヒ素が原因だと立証できない。
他人に薬物を盛る行為は暴行罪だ。
それによって体の生理機能に影響が出たら傷害罪になる。
今回は遺体に中毒症状の痕跡が残ってるので、傷害罪で起訴されるだろう。
「見かけによらず腕力があるんだな」
「……火事場の馬鹿力ってやつだ。もうちょっと早く言えと思わないでもないけど、彼女が一命をとりとめたのはお前のおかげだ。ありがとう」
報告の義務なんてないのに、どうして顛末を教えたかというと最後のこれが言いたかったからだ。
愛する人はこの世にいない。復讐は果たせた。
思い残すことがないから命を絶とうとしたんだろうが、それでも俺は彼女が死ななくて良かったと思っている。
「もしかして感謝しているのか?」
「もしかしなくても、そうだけど」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ。
俺が礼を言ったのが意外なのか?
それとも礼を言われること自体が想定外なのか?
お互いに次の言葉が出てこず、図らずも見つめ合う構図になった。
「お客様。お花はいかがでしょうか?」
「うわっ」
いつの間にやってきたのか、横からにゅっと顔を近づけられて俺は仰け反った。
至近距離だと、道化師のメイクの奥にある本来の顔立ちまでわかる。
化粧を落としたら、どこにでもいる小太り中年男性だ。
そりゃそうか。派手な化粧と衣装で浮世離れした外見になっているだけで、元は普通の人間だもんな。
「悪いけど、俺は結構です」
連れにプレゼントするために花を買う人がいるのか、見渡せば客席のあちらこちらに花の入った籠を持った演者がいた。
「お代は結構。本日は久しぶりのロンドン公演の初日なのでサービスです。ただしお一人様1本でお願いしますね」
「……それなら。ありがたくいただきます」
兄貴へのお土産にしよう。
花を買う余裕なんてないから、家に飾るのは久しぶりだ。
「可愛いお兄さんにはポピーなんてどうでしょうか。花言葉は『恋の予感』。素敵ですよね」
「あー、ハハ……」
おひとり様なことに気を遣ってるのか?
余計なお世話だ。
兄貴が花言葉を知ってたら気まずいので、俺は隣にある白い花を選んだ。
花弁がわしゃっとしてて一輪でも華やかだからこれにしただけで名前は知らない。
「ゼラニウムか」
「名前だけなら聞き覚えがある。へー、これが」
こんな見た目なんだな。
「花言葉は『友情』『尊敬』『信頼』」
「いいじゃん」
恋愛関係じゃないなら、家族に贈りやすい。
「だが白だけは別だ。『偽り』『優柔不断』『あなたの愛を信じられない』という意味があるので『嫌いな人に贈る花』とされている」
「すみません。交換してください」
一度手に取った木花を返すのは気がひけるけど――いや、兄貴に渡さなければいいだけの話か。
「やっぱり大丈夫です。ほら、これやるよ」
隣の男に白い花を押しつければ、またも意外そうな顔をされた。
「えーっと。じゃあ、そちらの綺麗なお兄さんには、改めてポピーはいかがでしょう?」
目の前で『嫌いな人に贈る花』を渡された道化師が、気まずそうにヴィクトルに声をかけた。
「オピウム・ポピーではなさそうだな」
「オピ……?」
「阿片の原料だ」
「え。これってそんな花なの?」
思わず道化師を仰ぎ見れば、ぶんぶんと首を振った。
「そんな危険物を育てるわけないじゃないですか! これは安心安全な観賞用の品種ですよ!」
周囲に誤解されないようにか、道化師は声を張り上げた。
近くで同じように花を配っていた女性が、急な大声に驚いて籠を取り落とした。運悪く客に花をぶちまけてしまい、必死に謝罪している。
「お客様、冗談が過ぎます。うちは真っ当な商売をして――ああっ!」
焦りが出たのか、道化師は足をもつれさせた。
なんとか転倒は免れたが、手にした花がヴィクトルの胸を掠め、白いシャツに黄色い花粉が付着した。
キャンバスに描かれた最初の一筆みたいになっている。
「すっ、すみません社長!」
体勢を立て直したピエロが、可哀想なくらい狼狽えた。
「社長?」
「僕のことだ。営業時に顔を覚えていたんだろう」
なんてことない顔をして、ヴィクトルは中堅どころの出版社の名前を口にした。
「嘘だろ」
「調べればすぐわかることで嘘をつく理由がない」
関係者席のチケットは、サーカス団が営業先にばら撒いたものだ。
兄貴がチケットをもらった出版社は新聞事業もしているので、あわよくば記事にしてもらって宣伝効果を得たいという裏がある。
彼らは同じようにヴィクトルの出版社にも営業をかけたらしい。
「翻訳家じゃなかったのか?」
「翻訳家は自営業だ。取引先の出版社に営業をかけて仕事をもらわなければいけないが、僕はその手のことが不得手なので、出版社を買収して自分に仕事を流している」
「手段と目的がおかしい」
自分が仕事の斡旋元になり、自分に仕事を割り振っているのか。無茶苦茶だな。
「それ翻訳の仕事する意味あるのか? 普通に社長やればいいだろ」
「経営は役員に任せている。元より彼らが会社を回していたので、下手に手を出さない方がいい」
「そういうものなのか」
「僕に社員がついてくると思うか?」
「無理だな」
会うのはこれが二回目だけど、自信を持って言い切れる。




