あまりにも早い動き
「今年はどんな衣装なのか楽しみだな」
「足ぐりは高いほどいい。いっそ腰骨辺りまで切り込んでほしいものだ」
「チュチュは華やかだが、ボディラインの鑑賞という点では邪魔にしからならん」
公演が始まったというのに、前列の男達は下衆な話題で盛り上がっている。
美人を起用して露出の多い恰好をさせるのは、そういった意図も多少はあるんだろうが、あからさまにそれ目的というのは、聞いていて気分のいいものではない。
こんな時こそ空気を読まずに正論で殴りつけるヴィクトルの出番なのだが、隣に座る男は我関せずと言った涼しい顔でステージを見ている。
灯りを落として薄暗くなった客席とは対照的に、ステージは四方八方から照らされて眩いほど輝いていた。
前座として道化師がジャグリングを披露する後ろで、若手と思しき男性二人が木箱と梯子を使った軽業を披露した。
前から聞こえてくる、注意するほどでもない絶妙な声量のお喋りは止まらない。
彼らはサーカスの常連らしく、しばらくすると話題は去年との違いにシフトした。
「綱渡りにアンジェリーナが出たってことは、演目交代か。見た目がそっくりな姉弟売りで人気が出たのに、パートナー交代なんて経営者は馬鹿なのか?」
「肉体的に続けられなくなったのかもしれないぞ。元々高所に強くてバランス感覚があるから、綱渡りに鞍替えしたのかも」
「てことは、ひょろ長リッチはクビか。ハハッ」
斜め左に座っていた男が、ビラの左上――綱渡りの男性を指先で弾いた。
「リッチか。客をハラハラさせるのは上手かったけど、いかんせん見た目に華がなかったからなぁ。まあアイツの身長は使いどころがあるから、別の演目に出るんじゃないか」
「獅子の機嫌が悪くて猛獣使いは休演? ふざけんな。肉のないステーキかよ」
「初日だしな。長距離の移動を終えたばかりで、動物は落ち着かないんじゃないか」
ビラに印刷されている演目はどれもサーカスの目玉で、女性の扇情的な恰好が目当ての紳士達もそれなりに楽しみにしていたらしい。
演技を終えたアンジェリーナが地上に降りたち、竹馬で足だけ異様に長くなった道化師とパントマイムを繰り広げるのを眺める。
彼らとは別の意味で俺も彼女の体つきを確認したが、餓えや怪我といった虐げられている兆候は見当たらなかった。
ただ痣は化粧で隠せるし、今回は体の線が出にくい衣装を身に纏っているので確実ではない。
「アイツが戻る前に、アンジェリーナの演目が終わっちまったな」
「空中ブランコは後半だと高をくくって、外で一杯引っかけてるのかもしれない」
「まあ、入り口で彼女に会えたし、無料のチケットで自業自得なら文句はないだろ」
三人組だと思ったが、四人組だったらしい。
この場にいない仲間についてあれこれ言っている間に、前半の演目が終了した。
*
ざわめくテント内は、狭い空間に多くの人が詰め込まれているので空気が悪い。
幕間になると客は外の空気を吸いに行ったり、手洗いを求めて席を立った。
「ブラッドリー社長。先ほどは大変申し訳ございませんでした」
少し時間が経ち出入り口の混雑が落ち着いた頃、先ほどの道化師がやってきた。
「シャツを綺麗にさせていただきたいので、お手数ですがご移動願えますか?」
「使用人に洗濯させるから、このままで構わない」
「ですが、こちらとしてもお客様の服を汚しておいて、何もせずお帰しするわけにはいきません」
気遣い無用と言われたところで、じゃあお言葉に甘えてとはいかないのだろう。
道化師は困り顔をしつつも一歩も引く気配がない。
「問答する時間が一番の無駄だな。後半の開幕に間に合うのなら付き合おう」
「……それ俺も一緒に行っていいか?」
ヴィクトルが案内されるのは、おそらく団員用のテントだ。
運が良ければ、出番の終わったアンジェリーナに会えるかもしれない。
「構わないが。何かあるのか?」
「べ、別に目的なんて大層なものは……いや、お前がまた他人に喧嘩を売らないか心配なんだ。警察官として」
「僕は誰かに喧嘩を売ったことはないが」
「自覚がないのが問題なんだよ」
「こちらとしては、お連れ様も同行していただいて構いませんが……」
「よし決まりだ。さあ行くぞ」
ヴィクトルの腕を掴んで立ち上がれば、本日何度目かになる驚いたような顔をされた。
*
テントの裏側は表と違って照明は最低限で、所々にランプが吊り下げられているだけだった。
新月なこともあり、足元が見えないくらい暗い。
奥に進むにつれ喧騒から遠ざかり、砂利の上を歩く音だけが響いた。
俺の目論見は外れ、誰ともすれ違うことのないまま歩き続けていると、大きな物音と悲鳴が夜の闇を切り裂いた。
いち早く動いたのは、先頭にいた道化師だった。
テントが乱立していて俺にはどこから音が聞こえたのかわからなかったが、迷うことなく右奥のテントに飛び込んだ。
慌てて後を追うと、入り口の所で踵を返した道化師とぶつかりそうになった。
「二人とも下がってください!」
「どうしたんですか?」
「獅子の檻が開いています!」
「よし射殺しよう」
「決断が早すぎる!」
脊髄反射かよ。
「モーリス巡査。ピストルを出せ」
「持ってるわけないだろ! プライベートだぞ!」
警察官がいつでも武装していると思ったら間違いだからな。
ピストルは貸与品だ。勤務時は携帯するけど、休日に持ち歩いたりはしない。
「使えないな」
「はあ!? この野郎っ――」
騒ぎ声が聞こえたのか、わらわらと人が集まってきた。
「だんちょー。何かあったんですかぁ?」
「トラブルっすか」
「お二方、ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ」
一座の団長だったらしい道化師が、侵入者を追い払おうとしていると勘違いした団員が、迷惑そうに俺たちを見てきた。
「この人達はいいんだ。それよりもリリーが……!」
「リリーでしたら、さっき餌をやりに行った時は不貞寝してましたけど」
「檻が開いてる」
告げられた言葉に、団員達の間に動揺が走った。
「脱走!?」
「鍵はかかってなかったのか!?」
「鍵は事務所で管理してるよな」
「俺じゃない! 俺はちゃんと鍵をかけてから戻した!」
餌やりをした男性が、潔白を訴えた。
「わかってる。誰もお前の仕事ぶりを疑ったりしてない」
「団長……」
「リリーは檻の中にいた。興奮している様子はなかった。開け放たれた檻も、調教師のお前なら施錠できるだろう」
人里に猛獣が放たれたわけではないとわかり、一同は胸をなで下ろした。
「安心するのはまだ早い。誰かがテントの中で倒れてる。見えたのは足だけだが、ピクリとも動いてなかった。気絶してるか、あるいは――」
死んでいる。
最後まで言い切らずとも伝わったようで、再び緊迫した空気になった。




