おしゃべり金髪クソ野郎
「関係者席のチケットですね。係員がお席まで案内します」
「あ。はい」
流しのサーカスで、こんなに丁重な扱いをされるとは思わなかった。
行ったことはないけど、まるでオペラみたいだなと思いながら、花の入った籠を持った係員に先導されてテントに入る。
ドーム状のテントの中は、中央にステージ。丸いそれを囲むように、木製の椅子が半円に置かれている。観覧席には段差があり、一段ずつ下がっていく仕様だ。
薄い木の板が敷きつめられた階段を降りていると、向かう先から男性の怒鳴り声が聞こえた。
*
「げっ」
見覚えのある横顔に、俺の顔が引きつった。
思わず口から出てしまった声に反応して、金髪の美丈夫――ヴィクトル・ブラッドリーがこちらを向いた。
「おや。モーリス巡査じゃないか。こんな所で会うとは奇遇だな」
向こうも俺のことを覚えていたようで、形の良い眉を上げた。
「警察!?」
いきり立っていた三十路前後の紳士は、俺を見るとバツが悪そうな顔をして口を閉じた。
「他のお客さんの迷惑になるので落ち着いてください。何があったんですか?」
先日ハリソン先輩に忠告されたばかりだが、見て見ぬふりはできない。
「この男がいきなり私を侮辱したんだ」
「想像力の欠如した彼にアドバイスをしただけだ」
うん、わかった。100%お前が悪い。
黒髪の紳士の口ぶりだと二人は顔見知りですらない、たまたま席が隣になっただけの仲だ。
「えー。ちなみに彼に、どんなことを言われたんですか?」
「彼女を失いたくなければ、今すぐテントを出て許しを請え。上等なワインを置いている店に連れて行き、日を改めても構わないからヘイマーケット劇場で公演中のオペラのチケットを取れ――と」
アドバイス通り越して指示だろこれ。
端的すぎて、何をすればいいかはわかるけど、何故それをしなければいけないのかがわからない。
『彼女』という単語が出てきたので男性の隣を見れば、楚々とした佇まいの女性が身を縮こまらせていた。
連れが喧嘩を始めてしまい居たたまれない、かといって激昂する成人男性を女性が止めるのは勇気がいる。
細い眉を下げる彼女の表情からは、そんな葛藤が見て取れた。
「ブラッドリーさん。なんでそんなことを言ったんですか?」
「袖触れ合うも多生の縁という諺がある。隣に座ったのも何かの縁だと思って、過ちに気付いていない彼に助言したんだ」
善意の通り魔かよ。
「俺が聞きたかったのは、そっちじゃないんだけど……」
動機じゃなくて、その指示に至った理由を話してくれ。
「なら根拠の方か。そうだな。そちらのご婦人の足元を見ろ。まだ新しい靴がボロボロだ。テントの周囲は砂利が敷きつめられているから傷ついたんだろう。更にテント内は階段こそ木製だが、座席の足元は土を固めただけだ。ヒールを履いてくる場所じゃない」
足を出すのははしたないとされているが、土で汚れないよう女性客は少しスカートを持ち上げた状態で押さえている。
目の前の女性も例外ではなく、どんな靴を履いているか簡単に確認できた。
照明に照らされたサテン生地は、靴底に近い部分だけ傷つき黒く汚れている。
こんな靴で土の上を歩けば、一歩進むごとに地面にヒールが突き刺さったに違いない。
「場にそぐわない靴を履いてきたのは彼女のミスか? いいや、違う。ドレスを見ろ。どう思う?」
「え!? その……、よく似合ってるなと」
何を言わせるんだ。
「そうだ。瞳の色に合わせて水色にしているので統一感がある」
適当に言っただけなんだが、悪くない答えだったらしい。
「だが一点、この髪飾りだけがミスマッチだ」
「椿のバレッタ? 赤だから?」
「なんだ。わかるのか」
「花に詳しくはないけど、少しくらいは知ってるさ」
「……そういう意味じゃないんだが、まあ、いい。自分に似合うアイテムで固めながらも、明らかに浮いた物を身につける。それが椿を象っているなら理由は明白。彼女は今日オペラで観るつもりでやってきたんだ」
「なんで椿だとオペラになるんだ?」
俺が知らないだけで、そういう隠語でもあるのか?
「今のロンドンでオペラといえば、ヘイマーケット劇場の『椿姫』だ」
「娼婦と青年の悲恋だっけ」
観たことはないけど、あらすじくらいは知っている。
「ああ。プリマドンナが娼婦を演じるので人を選ぶが、センセーショナルな内容で人気の演目だ。彼女は観劇に前向きな姿勢を示すために、あえてコーディネートを無視した髪飾りをつけたんだ。オペラ鑑賞をするつもりだったのなら、彼女の服装は適切なドレスコードだ」
「そうなんですか?」
振り返って女性に問えば小さく頷いた。
行動を言い当てられたのが恥ずかしいようで、ガス灯の明かりに照らされた頬が赤く色づいている。
「おそらく、そこの彼は誤解を招くような誘い方をしたんだろう。僕が彼女なら自分だけ場に合った恰好をして、パートナーの服装がおかしいことに気がつかない男とは別れる。誤解はお互い様かもしれないが、相手のことを見ていないのは致命的だ。きっとこの先も似たようなことをくり返すに違いない」
お前は現在進行形で周りが見えてないけどな。
開演までまだ時間がある。
暇をもてあました付近の客は俺たちのやり取りに耳をそばだて、人前でこき下ろされた男性は拳をブルブル震わせ、連れのご婦人は注目を浴びて居心地悪そうにしている。
どう始末つけるんだこれ。
この席順で鑑賞なんて、気まずくて楽しめないだろ。
「……あの、彼とは顔見知りなんです。席変わりましょうか?」
女性の前で恥をかかされた男が、おしゃべり金髪クソ野郎を闇討ちしないしないように警察と親しい人物だと仄めかす。
だって暴力沙汰になったら可哀想だろ。
ヴィクトルじゃなくて、この男の人が。
見ず知らずの相手に侮辱されて、恋人にも振られて(ここは未確定)、そのうえ暴行で前科持ちなんて辛すぎるじゃないか。
ハリソン先輩だって、警戒は警察の仕事だと言ってた。
ということは、この人が罪を犯すのを未然に防ぐのも仕事のうちだよな。
「よろしいんですか?」
「ええ。彼とは話したいこともあるので、変わっていただけるとありがたいです」
関係者席といっても番号が振られて指定されているわけではない。
他とは色違いの長椅子に、奥から詰めて座っているだけだ。
「では、お言葉に甘えて――」
「もういい」
ホッとした顔で腰を浮かせようとした女性を、連れの男性が制した。
「……ここから五分もかからない場所に、ロンドン一美味いビーフ・ウェリントンを出す店がある」
「でも、ご覧になりたかったのでしょう?」
「君に嫌な思いをさせてまで観たいわけではない」
エスコートのために腕を差し出したところで、彼女が裾が汚れないようスカートを手でたくし上げていることに気づいて、バツの悪そうな顔をした。
「言ってくれれば……いや、今度からは私が至らなかったらその場で教えてくれ」
「勘違いに気付いた時は落胆しましたが、あなたが目を輝かせるものを、わたしも見たいと思ったのです。でも靴がダメになってしまったのは残念ですわ」
「新しいものをプレゼントする」
「まあ、嬉しい。久しぶりにジャック・ドゥーセに顔を出したいと思っていたところです」
さらりと出てきた店名に、男の顔色が赤から青に変わった。
俺ですら名前を知っている、婦人服の高級店だ。
店で一番安い商品すら、安月給の警察官には買えないだろう。
*
二人がテントを出るのを見送ると、俺は詰めていた息を吐いた。
「服装を見れば、普段の生活ぶりと収入がわかる。彼女のドレス一着で、彼の年収は吹き飛ぶだろう。案外別れた方が幸せだったのかもしれないな」
話したいことがあるというのは相手に気を遣わせないための方便だったが、隣に座る男の悪びれない態度に言いたいことが湧き上がった。
「黙れ」




