面倒くさい彼女みたいな
「いいなー、サーカス。夜にお出かけなんてしたことないけど、楽しいんだろうなー」
「うっ、……埋め合わせする」
「え。いいの?」
こんなにわかりやすく切り出しておいて、良いも何もないだろ。
「うん。髪伸びてきた? 切ろっか?」
出版社の人は座って鑑賞するだけなら兄貴にもできると考えてチケットをくれたんだろうが、うちの兄貴にそれは難しい。
過去に床屋で散髪中に倒れたのがトラウマになり、今では俺が兄貴の髪を整えている。
刃物を使われる散髪に比べると危険は無いけど、中座しにくい、姿勢を崩せないという点では観劇も無理だ。
翻訳も座り仕事だけど、こっちは自宅でやっているので、しんどくなったら直ぐ横になれるので続けられている。
「まだ大丈夫。それよりもオリヴァーの職場に行きたいなぁ」
「う゛っ」
就職したての頃に何度も言われたことだ。
最近言わなくなったので諦めたと思ってたが、そうじゃなかったらしい。
「弟がどんな場所で働いてるのか見たいなぁ。捜査部の皆さんにご挨拶したいなぁ」
「ううっ」
家族を連れて行けるような職場じゃない。現に先輩方の誰一人としてそんなことはしていない。
何より恥ずかしい。
「警察は縦社会って言うじゃん。どんな環境なのか心配なんだよ」
「……」
「もうボクの家族は、オリヴァーだけなんだから」
「わ、わかった。でもちょっとだけだからな!」
「うん!」
*
「ラルフ・モーリスです。お忙しいところ、お邪魔して申し訳ございません。いつも弟がお世話になっております。よかったら皆さんで召し上がってください」
クッキーの入った缶を渡された警部が「あ、ああ。お気遣いどうも……」と歯切れ悪く返答した。
「オリヴァー君のお兄さんは、随分個性的な方ですね」
「ハリソン先輩。今日は非番では?」
「はい、お休みなので紅茶を飲みながら一日中読書できます」
「ブレませんね」
捜査資料を掲げてみせる先輩に、俺は苦笑いした。
警察署を飲食可能な図書館扱いするこの人はおかしいが、それを許す周りも大概だ。
「ただいま戻りましたー。うわっ、え?」
窃盗被害者の聴取を終えて戻ってきたユーガル先輩が、来客の姿に見て目を丸くした。
正確にはその姿勢に。
「ハリソン。あれ誰?」
「オリヴァー君のお兄さんです」
「なんでソファに寝転がってんの? なんで警部はアレ許してんだ?」
ユーガル先輩はソファを迂回すると、少し離れた場所に立つ俺たちの方へやってきた。
「すみません。力尽きて、今は身を起こすのも辛いみたいで」
「お前の家って、歩いて二十分くらいじゃなかったっけ」
「心臓に負担をかけられないので運動ができず、平均よりも体力がないんです」
最初は楽しそうに歩いていたけど、ホワイトホール・プレイスに入ったあたりから呼吸が怪しくなり、署に着く頃には顔は真っ青、足はガクガク状態だった。
「だいぶ顔色が良くなったので、そろそろ座れると思います」
「お、おお。そうか。大変だな」
捜査部で一番身長が高いのはハリソン先輩だけど、逞しいのはユーガル先輩だ。
元ボクシング選手なだけあって、人並み外れてタフなので、兄貴のような人種は別の生き物のように感じるのだろう。
おっかなびっくりという様子で、ソファに寝そべる麗人をチラ見した。
「兄弟なのに似てないな」
「……兄貴は、美人なことで有名だった祖母似なので」
十数年前に亡くなったので俺は会ったことが無いが、家に肖像画があるので、姿は知っている。
軟らかそうなプラチナブロンドの髪も、顔立ちもそっくりだった。
「馬車を使おうとは思わなかったんですか?」
「俺もそのつもりだったんですけど、酔うから嫌だと拒否されました」
「そうでしたか。お体が弱いとは思えないくらい明るい方ですね」
「機会が少ないだけで、人と話すのは好きなんです」
差し入れのクッキーは兄貴の手作りなので、市販品と違って日持ちしない。
二人に早めに食べてほしいと伝えたら驚かれた。
「お前の兄ちゃん男だよな?」
「なに当たり前のこと言ってるんですか」
兄貴は細身だが、誰がどう見ても男の骨格をしている。
中性的な雰囲気ではあるものの、女と間違われるような顔はしていない。
「使用人でもないのに、男が菓子を作るってのが想像できなくてな……」
言われてみれば、両親が生きていた頃は母さんが全部やっていて、父さんが台所に立つことは無かった。
「手の込んだお弁当に、いつも磨かれた靴とシワのない服。お手伝いさんを雇っているものだと思っていたんですが、もしかしてお兄さんがされているんですか?」
「ええ、まあ。うちに人を雇う余裕なんてありませんから」
親が健在だったころから、そんな余裕はない。
だから日中の兄の看病は、俺の仕事だった。
「オリヴァー君は婚期を逃しそうですね」
憐れみの目で見られたけど、離婚秒読みな先輩に言われてもなあ。




