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第22話 掌上の平和

「私が一本取られるとはね。くっくっく、まさか金平が探りを入れているとは、ぬかったよ」


 耳障りな哄笑は止み、来見田さんは冷えた目で金平君を一瞥する。次いで、私の方へと向き直り、


「円谷の推測はほとんど合っている。尼寺山と取引したのも、怪我をしている金平を作戦にいれたのも、赤川を後方支援にしたのも、尼寺山を逃がしたのも、お前の情報を漏洩させたのも、この来見田由賀子の計画通りだ」


「どうして尼寺山なんかと取引を……!」


 赤川さんは来見田さんの背後からじりじりと近づきながら問いただす。

 副隊長である彼は驚いているようだったが、私や金平君、取引相手であった尼寺山は来見田さんの変貌に顔色を変えることはなかった。


「私が取引をしたのは今から数週間前だ。取引内容は『指定した3人を連れて指定した銀行にくれば、咎人と戦わせてやる』――円谷、鋭いじゃないか」


 ニタニタと笑う化物。だが、狼狽えずに問いたかったことを問う。


「なぜこんなことを?」


「平衡」


「…………え?」


 だが、あっけらかんとしたその言い方に思わず疑問符を吐かざるを得なかった。


「世の中には幸福と不幸が存在する。そして、それは平等に訪れる。例えば、幸福が訪れるとする。すると、同じくらいの不幸がいつか訪れる。つまりだ、世界に大きな幸福が訪れれば、やがて大きな不幸が訪れる。そんなのって嫌だろ? なら私は大きな幸福なんて望まない。小さな幸せと小さな不幸、そんな平々凡々な世界にしたい。それが平衡。円谷も真の平和とは、そういうものだと思わないか?」


 来見田さんは微笑を虚空に向けながらつらつらと語る。


「悪を完全に無くすことなんて不可能だ。もし仮に悪を無くなったとしたら、その悪が引き起こしていた不幸はどのような形に変換されて訪れるのか。考えるのも恐ろしい。だから私は悪を許容する。それによって引き起こされる一般人のちょっとした不幸も許容する」


「っ……何を言って――!」


「もちろん大企業の上層部とか公務員とか、国の中枢を担う人間は守るさ。でもそれ以外が死んでも正直どうでもいい。モブ以下の背景要員が少し減っても、物語に大きな変化は出ないだろ? 個人はどうでもいい。集団にとって、日本にとって、世界にとっての平衡を私は保つ」


 絶句した。これが咎人から人間を守る部隊の隊長なのか、と唇を噛む。


「尼寺山が連れてきた殺人鬼3人はあまりにも社会に悪影響をもたらしすぎた。だから平衡を保つために死んでもらった。それに、死んだ人質の中に要人はいなかった。そして、尼寺山伊吹も今排除できる」


「由賀子さんは尼寺山と取引をしていたのではないのですか? 裏切るというわけですか?」


 いや、と赤川さんの疑問に割り込む。


「先に裏切ったのは尼寺山――そうですよね?」


「そこまで予想がついているとはね。そう、先に約束を反故にしたのは尼寺山だ。『私が襲撃や逃亡の手助けをするのは一度きり』『それ以降は南区では事件を起こすな』という契約を交わしたはずなのだがなぁ?」


「…………」


 来見田さんは依然口を開かない尼寺山を私の頭越しに見ながら、赤川さんの問いに答える。


 尼寺山に協力したのはあくまでも銀行襲撃のみで、今回のコンビニ襲撃は全くもって関与していない――ということらしい。

 が、


「……今回の事件に来見田さんは関与していない。だが、襲撃自体は予想していた」


 円谷の言葉に、軽い口笛と賞賛の拍手を送る。


「くっくっく……あぁ、そうとも。尼寺山が私を裏切らない理由などない。それを知っていてあえて取引を持ち掛けた。尼寺山を消す機会として好都合だったからだ。そして、まんまと裏切ってくれた! どうだ、今全てがこの来見田由賀子のてのひらの上だ!」


「あなたはどれだけ――」


「で? これを聞いたところでなんだ?」


「っ……」


 私は来見田由賀子がこの一連の事件の黒幕であることに気づいた。そしてそれを指摘し、金平君の援護もあってそれを認めさせた。


「私がこれを仕組んだ。この一週間を掌握していた。だから? それで? じゃあ? 尼寺山を殺すなと言うのか? 違うよな?」


 しかし、それだけ。

 真相に気づくのが遅かった――いや、どれだけ早く気づいたとしても結局は来見田さんの描いたシナリオ通りに進まざるをえなかった。尼寺山伊吹は何十人もの人間を殺した悪だ。尼寺山伊吹は死すべき存在だ。だから、結末は変わらない。


「相手のキングを討ち取るために策を講じ、駒を動かし、こうしてチェックメイトまで追い詰めた。あとは相手のキングを倒すだけ。なにが気に食わない。なぜ止める」


「っ……」


 そう口にする来見田さんには悪意も侮蔑もなかった。ただ真正面に私と対峙していた。

 私に『誰も悲しまないようにする』という信念があるように、幸福と不幸の平衡こそが彼女の掲げる信念。だから、これは互いの正義のぶつかり合いだ。


「…………」


「…………」


 私と来見田さんはその気になれば互いが互いをぶん殴れる距離に立っている。一触即発、どちらかが動けばもう一方も動く。


「敵を見誤るなよ」


 冷戦を断ち切る声が鼓膜に届く。


「っ!」


 来見田さんの動きは素早い。右手で右ポケットから拳銃を引き抜き、尼寺山に向かって引き金を引いた。一瞬の出来事だった。

 しかし、私は警戒していた。だから、身体が無意識に動いた。


「……まだ、話している途中ですよ」


 黒く武装されている私の右手の中に弾丸が1つ納まっていた。

 だが、


「がぁ……!」


 後方から呻き声が聞こえ、何かが地面に倒れる音が聞こえた。振り返ると、そこには仰向けで倒れている尼寺山伊吹の姿があった。彼の眉間、そこには先程までなかったはずの穴が空いており、血が徐々に溢れ出てきていた。


「どうして……! たしかに私は弾丸を受け止めたのに……!」


「手癖が悪いのはお前だけではない」


「…………っ!」


 正面に向き直すと、そこには拳銃を構えた来見田さんが立っていた。しかし、拳銃を握っているのは右手だけではなく、右手と同じ色・形状の拳銃がもう片方の手の中にひっそりと納まっていた。


「私の能力は拳銃の生成。忘れていたかい?」


 1発目、来見田さんは元々作っておいた拳銃を右ポケットからわざわざ取り出して撃った。これに私の意識はもっていかれてしまった。

 そして2発目、ノーモーションで左手に拳銃を生成、1発目の銃声に被せるように射撃。さすがの円谷も意識外からの射撃に対応できるはずもなく――

 異能を忘れていたわけではない、それどころか警戒していた。それなのに、まんまとやられた。巧妙かつ狡猾。これが咎人特殊部隊の隊長。


「これにてゲームセット、これでまた世界はいつも通り。これでいい、これがいい!」


 口角を吊り上げて笑いながら宣う。


「なぜ止めようとした? なぜ尼寺山を生かそうとした? 私の『正義』とお前の『正義』、どちらにも必要ないだろう? 奴はこの世界にはいらない存在だ」


 両手を大きく広げ、2つの拳銃の銃口を曇天に向ける。


「私が目指すのは誰もがみな幸せに生きられる世界ではない。誰もがみな普通に生きられる世界だ。大きな喜びも深い悲しみもいらない。ただ、誰もが……誰もが……――」


「納得できない……」


 ぽつりと漏らした一言に、来見田さんの口角が下がる。


「犠牲ありきの平和なんて……私は嫌です……」


 掲げていた両腕が力なくだらりと元の位置に戻る。


「全員が……今生きている全員が幸せになって、それで初めて本当の『平和」と――」


「お前が平和を語るな!!」


 来見田さんの身体に一瞬、


「犠牲ありきの平和が嫌? 今生きている全員が幸せになってこその平和? ほざくな!! 幸せなんて……幸福なんて……ただ次に降りかかる不幸をつらくさせるだけだ……!」


 最初こそ攻め立てるように言葉を吐いていたが、徐々にその勢いは無くなっていった。

 そして、その声色は――本当に本当に僅かだが――哀しみを帯びていたような気がした。


「……来見田さん、あなたは一体何を――」


「つぶら――っ!」


 背後から耳をつんざくような金平君の大声がしたと思った刹那、凄まじい爆発音がその声を掻き消した。振り向いた瞬間に視界が朱で染まり、数瞬遅れて大量の熱波が襲いかかる。


「なにっ!? 爆発!?」


 爆発が起きた方向には金平君、そして尼寺山がいたはずだ。と、すると、この爆発は尼寺山の異能【凶爆】によるものなのだろうか。しかし、火力がこれまでとは段違いだ。

 考えている間に、爆発によって生じた灰色の濃煙は徐々に空気に馴染んでいく。


「まずいな…………」


「え?」


 前方に影が見えた。やけに前かがみの姿勢で、ゆらりゆらりと巨体を横に揺らしている。全長5メートルほどはある謎の影は少しずつこちらに――


「っ……! 金平君!」


 謎の巨体の少し前方でうつ伏せに倒れている金平君を発見し、駆け寄った。背中がひどく爛れているが意識はあるようだ。

 刹那、パンッという乾いた銃声が数回鳴った。放たれた数発の弾丸は全て黒い巨影の頭部に直撃する。だが、まるで何事もなかったかのように歩を進めてくる。


「恐れていた……事態が……」


「…………」


 赤川さんが額に手を押し付けて愕然としている。それとは対照的に、来見田さんは無言でその影を一瞥している。

 あの爆発は何なのか、あの巨体は何なのか、分からない。だが、何かヤバイことが起きていることは直感で理解できた。


「金平君!! 大丈夫!? 動ける!?」


「――…………ろ」


「え?」



「――早く……逃げろ」



 全身が漆黒に染まった真の化物が、すぐ近くまで迫っていた。



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