第20話 血濡れの悪
「過負荷乱打」
「ぐぁっ……!」
雑居ビルと雑居ビルの間、日差しが一切差し込まないため朝にも関わらず薄暗い。そんなところで金平進と尼寺山伊吹は戦っていた。円谷と尼寺山が戦っている間に避難を完了させていたため、民間人は1人もいない。
尼寺山は金平に背を向けて必死に走っている。しかし、それを歩いて追っている金平でも見失わない程度の鈍足。
「っ……くそっ……」
右腕があった場所からは惨めに鮮血を垂れ流し、自分の通った道を不本意にも艶やかに彩っていた。加えて、コンビニで金平の必殺技である過負荷黒槍を浴び、腹に大きな穴ができている。
「諦めろ、尼寺山。そんな傷を負ってちゃ俺にはかなわねぇよぉ」
金平は気怠げに旋毛を搔きむしり、尼寺山が振り向きざまに放った【帯革】にストレスの塊を足で蹴ってぶつける。ストレスに衝突したことで【帯革】は揺らいで勢いがなくなり、やがて地面に墜ちた。
【帯革】が尼寺山の任意のタイミングで起爆できると分かった以上、『自分の元に飛んできた【帯革】を避ける』のではなく『自分の元に【帯革】が飛んでくるのを防ぐ』ことで完封できてしまう。
【帯革】の軌道は直線的で非常に読みやすいため、金平の異能と練度があればストレスの塊を正確にぶつけることぐらい造作もなかった。
「さっさと投降しろ。ま、投降したからって楽に殺してはやらねぇけどよぉ。だってそうだろぉ? てめぇは何人殺した? てめぇのせいでどのくらいの人間が被害を被ったと思っていやがる」
「俺は……自分の役目を全うしただけだ……」
「……そうかよ」
吐き捨て、金平は自身の必殺技を放つ。
黒い煙は槍を形成し、足の動きに連動して射出。尼寺山の背中を派手に貫いた。尼寺山の胴体に2つ目の大きな風穴が空く。
尼寺山の口から大量の血が溢れ、やがて膝から崩れ落ちた。
「……久しぶりにここまでドス黒いストレスを放った気がするなぁ。まぁ、相手が相手か……」
巨体が無様にも土瀝青に伏せている。体の中心からは泥々(どろどろ)とした液体が流れ出ており、道路を深紅に染める。そして、微動だにしなくなってしまった。
だが、
「俺はてめぇに近寄らねぇよ」
「…………」
「てめぇのことだ。最期になにかするつもりなんだろぉ? 死んだふりなんて古典的なことまでしてよぉ」
「…………」
「というわけでここから過負荷黒槍50発、撃たせてもらうぜぇ? これが死体蹴りだとしても、それはそれで清々しい気分になれるしなぁ!」
げらげらと下品に嗤いながら黒く染まった右足を尼寺山に向けた。
「そんじゃあ、脳汁をみっともなく垂れ流してくれ――」
その瞬間に地面が爆ぜた。
金平の予想通り死んだふりをしていただけの尼寺山が、寝そべったまま異能を行使し、土瀝青を爆発させたのだ。灰色の粉塵が一気に辺り一面を濁らせていく。
「は、やっぱり生きてやがったか……」
金平は焦らない。それどころか両足に纏っていたストレスを解放し、完全に武装を解除する。
次第に粉塵は空気と中和し。視界が開く。そこに残されていたのは新鮮な血溜まりだけ。
尼寺山伊吹が逃走した。その事実を目にしても、金平は焦らなかった。
「随分と滑稽だな、『悪』ってのはよぉ……」
独り言を漏らした少年は、ゆっくりと歩いて『悪』を追う。
◇◇◇◇
「くそ……」
入り組んだ路地をまるでゾンビのような足取りで尼寺山伊吹は歩いていた。
体の中心には2つの空白、右腕はどこかに放置。普通の人間なら動くことすらままならないはずだが、彼は咎人であった。
「この場から……逃げなくては……」
右腕はもう元には戻らないが、腹の穴ぐらいならなんとか治せる。生きてさえいればいつの日か再び円谷や金平と相対することができる。だから、今は戦略的撤退を選ぶ。
「教鞭を一度置く……だが次は……次こそは……」
もうすぐ路地を抜けて大通りに出る。そこからしばらく進めば、現在この一帯に定められている立入禁止区域から出ることができる。
背後から足音は聞こえない。金平はまだ遠くにいる。逃げられ――
「次なんてないな。なぜならお前はここまでだから、だ」
尼寺山が路地から大通りへと抜け出した瞬間、前方から女の声が聞こえた。舌打ちをしながら顔を上げたその15メートルほど先に、1組の男女が立っていた。
「来見田……由賀子…………」
そう呼ばれた女は一歩だけ前に出て、気持ち悪く嗤いながら語り掛けた。
「先回りしといてよかったよ。それにしても随分と目方が減ったな、ダイエットかい?」
「ほざけ、女狐……」
「くっくっく、まぁまぁそうかっかするなよ。無駄話もお前の人生もここでおしまいだ」
来見田は虚空から拳銃を取り出して右手に構え、素早くそして正確に標的の頭に照準を定めた。撃鉄はすでに起きている。
驚異的な運動能力と回復力により人間にとっては強力な銃撃でも、咎人にとっては致命傷にはなりえない。しかし、現在の尼寺山は瀕死状態であり、とても鉛玉を避けられる体力は残っていない。そのうえ、胴体に空いている穴を見ても分かる通り、回復力も万全ではない。
それが意味するのは、急所に弾丸が当たれば致命傷になるということ。そして、それをこの場にいる誰もが分かっていた。
「その選択に……悔いはないな……? 来見田由賀子……」
「さようなら、尼寺山伊吹」
「待ってください」
拳銃の引き金が引かれる、その直前にどこかから異議が唱えられた。
来見田は銃口を尼寺山に向けたまま声の出処を探す。右、左、背後――
「円谷さん……?」
来見田の背後に立っていた赤川が訝しげな表情で尼寺山の斜め上辺りを見上げている。つられるように来見田も視線をそちらに移す。
その視線の先には3階建ての雑居ビルがあり、その屋上に1人の少女が立っていた。
彼女は体も服も傷だらけで、血にまみれていた。さらには額に汗を滲ませ、肩を上下に動かして息を荒げている。
なぜ少女はわざわざあんなところに立っているのか。
「なにをしている、円谷」
来見田の至極全うな問いかけに対して何も返さず、円谷はビルの屋上から飛び降りた。
「…………」
音は全く無く、ほんの少しの砂埃だけが宙を舞う。
「…………」
彼女が着地したすぐそばには、つい先程まで殴り合っていた大敵が突っ立っていた。尼寺山も思わぬ人物の登場に唖然としている。2人は互いに眼球だけ動かしてしばし睨み合うが、すぐに逸らした。
円谷は再び前方に目線を戻し、拳銃を構えたままの女に話しかける。
「ちょっといいですか、聞きたいことがあります…………」
「……ほぉ……私に……か……」
「はい」
「だが、質問ならその極悪人を殺してからでも遅くはない」
6発の銃声が連続して鳴り響き、来見田の拳銃から黒き弾丸が音速で射出された。




