第19話 死闘と違和
男の言葉の真意は分からない。言葉の意味も頭が回らず、理解が追い付かない。
だが、言葉の響きが、その文章の羅列が、ほんの僅かだが殴るか否かの逡巡を生み出してしまった。
幼い時に父親は亡くなった。だから、物心がついていなかった私には父親の記憶が一切ない。顔も覚えていなければ、声も覚えていない。
きっとこれは尼寺山の虚言だ。だがもし、もしも本当に――
「大凶爆」
尼寺山の左手からこれまでとは段違いの威力の爆発が生じた。商品棚は灰塵に帰し、店内を照らしていた人工的な光は失われ、あっという間にコンビニは紅蓮の炎に包まれる。
爆心の目と鼻の先にいた私はというと、かろうじて盾で防御したもののレジまで吹き飛ばされた。その反動でジャケットは焼失、ズボンが破れた箇所からは焼けて痛々しい肌が露出している。極めつけには、口から血を吐いた。
「ふっ、やはり甘いな……最初に言ったはずだぞ。俺は『悪』で、嘘をつくと。にもかかわらず、お前は惑わされて逆転を許した」
「ぁ……うぁ……」
「俺はもちろんお前の父親なんかではない。よかったな、自分の死んだはずの父親が悪人じゃなくて」
巨悪は右腕の断面から鮮血をダラダラと流しながら、間合いを徐々に詰めてくる。
「俺が考える『悪』というのはそう複雑で哲学的なものではない。純なる悪意によって引き起こされる行為の全てが『悪』だと、俺は考えている」
「…………」
「つまり、自分の欲望に――黒い衝動に身を任せてこそ、真の『悪』になれるということだ」
壁に寄りかかったままの円谷を見下しながら尼寺山は宣う。
「咎人は悪意の塊だ。だから『悪』として役割を全うしなくてはならない。それなのにお前は『正義』なんてものを掲げてしまった。だからこうなった。分かるか?」
「…………」
「間違いは正さなければいけない。間違いは罰さなければいけない。それもまた世の理であり常だ」
「……分かりません、あなたが言っていること、1つも分かりません」
「……じゃあ、さようならだな」
言って、左手を私の眼前に突き出した。
「……私はあなたを止めたかった……でも、もう遅いみたいです……」
「あぁ、遅いな。お前はもう死ぬ」
「死ぬのはてめぇだよ、尼寺山」
尼寺山が声の発生源の方に顔を向けるその前に、顔面に黒い物体が衝突する。
小規模な爆発を伴って吹き飛び、巨体はコンビニの壁を突き破った。
「…………金平……君」
「かろうじて生きてるようだな」
出入り口から堂々と乗り込んできたのは、足に黒いオーラを纏った金平君だ。少年はずかずかと店内に入り込み、先程まで尼寺山が立っていた場所で止まった。
「レシートの要求のこともあって突入を躊躇っていたんだが、出入り口から瀕死のてめぇと尼寺山が見えてな」
「…………」
金平君は背後に散らばる灰の中に人のようなモノを見つけ、ギリギリと歯噛みする。
「あいつを殺す、それでいいな?」
「…………」
「お前はもう動くな」
「……【帯革】は衝撃が加わると爆発するんじゃない。尼寺山の好きなタイミングで爆発できる…………」
「……了解」
言って、壁の穴を潜り抜けて駆け出して行く。
やがて視界から少年の後ろ姿は消え、ところどころ煙がくすぶっているコンビニエンスストアには私だけが残された。
(…………終わった)
手負いの尼寺山はきっと金平君に敗北するだろう。そして彼は宣言通り――尼寺山伊吹を殺す。仮に金平君が取り逃しても赤川さんもいる。
それで終わり。この事件は尼寺山伊吹の死で終結する。
『正義』と『悪』の対決は『正義』の勝利で終わる。
(『正義』って……何だろう)
自分の中で決着をつけたはずだ。自分の中で『正義』を定義したはずだ。
どうして私は迷っている?
『この戦いをです……こんな残酷なやり方以外で、あなたが幸せになる方法はないんですか……』
『……ふ、聞かずとも分かるだろうに』
尼寺山伊吹は『悪』だった。どうしようもないほどに。救えないほどに。
(私が掲げた『正義』は……)
『誰も悲しまないようにする』――そのために咎人として生き続けると、戦い続けると決めたはずだ。だけどそれは絶対に実現しない幻想だった。なぜなら、尼寺山にとっての幸福とは悪を全うすることであり、その幸福を満たすためには悲しみを生んでしまうから。
金平君にも尼寺山にも『甘い』と言われていた。分かっている。そんなことは自分が一番理解している。それでもこの正義を掲げた。
だから迷うな、母親の命を無駄にするな。
だから迷うな、生きている意味を見出せ。
だから迷うな、自分の正義を信じろ。
だから迷うな、悪に染まるな。
悪に染まる……染められる……誰に……いつ……
(――……なんで、私たちを生かして帰したの?)
尼寺山伊吹に関する疑問が1つ、浮かび上がる。
最初に遭遇した時、私はともかく金平君はすでに『正義』としての信念を持っていた。言い換えれば『悪』に寝返る可能性は皆無に等しく、尼寺山にとって生かしておく理由はなかったはずなのだ。
それなのに止めをささずに、逃げた。
(……逃げるしかない理由があった…………?)
赤川さんが来ることを恐れたから? いや、尼寺山の手にかかれば戦意消失状態だった私と死にかけの金平君を始末するのに10秒もかからない。殺してから逃げることは十分に可能。
まだ不可解なところはある。
尼寺山は円谷がまだ異能を上手く扱えないことをなぜか知っているようだった。というよりかは、異能を扱えない咎人がいることを事前に分かっていたようだった。
(どうして?)
それだけじゃない。まだある。
体はこんなにも傷だらけで疲弊しているのに、頭だけはやけに冴えている。
そして、あぁ、そして、
(……………………そう……か……)
私はレジのカウンターに掴まって立ち上がり、再び戦場へと足を向けた。




