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第16話 背反する信念

「――…………ん、もう朝…………」


 私は小さくあくびをしたあと、硬めのベッドから身を起こした。本当はあと1時間ほど眠っていたいのだが、そうはいかない。

 なぜなら今日であの緊急報告会から4日が経ち、尼寺山伊吹が銀行を襲った日から1週間になる。つまり、尼寺山との再戦の日であった。


「勝てるのかな……私……」


 緊急報告会が終わった直後から、私の特訓は始まった。それは想像していた以上に過酷なものであった。もし私がただの人間だったのなら5回ぐらい死んでいたと思う。

『肉体的に追い込む――咎人のストレスを高める効率的かつ健康的な方法の1つです』と、赤川さんはそう言っていた。実際かなり追い込まれたし、ストレスも上手く操れるようになった。やれることはやったはず――


「円谷ぁ!」


 金平君の怒鳴り声に近い呼びかけが、ドアの向こう側から半分寝ぼけている私の耳元へと入ってくる。できるだけ寝起きであること悟られないように呼びかけに応じる。


「どうしたの?」


「悪い、起きてたのか。早く降りてこい」


「10分ぐらいしたら行くね」


「あ、それとだ。分かっているとは思うが、今日はトレーニングしない。代わりに作戦会議だ」


「分かった。ありがとう」


 今日特訓をしないのはもちろん本番が控えているからである。本番の時にへばっていて特訓の成果が出せなかったら本末転倒。事前に赤川さんから聞かされていた。

 私は支度をするために寝ぼけまなこを擦りながら洗面所へと向かう。


「なぁ、1ついいか」


「……? なに?」


 らしくない声のトーンにほんの少し驚く。


「これはてめぇの思想や考えを否定するとか、俺の思想や考えを押し付けるとかじゃねぇ」


「う、うん……」


「てめぇは今日まで尼寺山と再戦するためにこうして死に物狂いで特訓を重ねてきたわけだ」


「うん」


「そしてついに今日、再び対峙する」


「……なにが言いたいの? まどろっこし――」


「俺は尼寺山を殺すぞ」


 歯ブラシを落とした。


「あいつは何人もの命を奪ったクソ野郎だ。この社会の平和を掻き乱す『悪』だ。俺は許さねぇ。絶対に殺す」


 不機嫌だが無機質なトーンで語る金平君は、おそらく部屋の扉に寄りかかっている。


「もう一度言うが、俺はてめぇの思想や考えを否定するとか、俺の思想や考えを押し付けるとかはしねぇ。だが、はっきりさせときたいんだ。てめぇはどうしたい」


 金平君は『人を助け、悪を滅ぼす』を信条としている。だから邪知暴虐の限りを尽くす尼寺山を殺すという判断をするのは当然だ。

 それじゃあ、私はどうだろう。『誰も悲しまないようにする』――そのためには尼寺山を殺すべきなのかもしれない。


「私は……まず話してみたい……」


 『誰も悲しまないようにする』――そのためには尼寺山を救う必要があるのではないだろうか。“誰も”の中に尼寺山を入れる必要があるのではないだろうか。


「じゃあ遭遇したらてめぇがまず尼寺山と話し合え。そこで奴が改心するなり反省すれば万々歳だ」


「うん……!」


「だが奴が拒絶した場合、俺は奴を殺す。そして、人質をとっていた場合は話し合う隙すら与えない。即ぶっ殺す」


「っ……」


「互いの正義を尊重した結果だ。これが最善なんだ。ま、せいぜい奴に対する説法を今の内に考え――」


 サイレンが鳴った。私はこのけたたましい音と、部屋と廊下を照らし尽くす赤色に心当たりがあった。


「咎人警報だと!? 早すぎる……まだ朝の8時だぞ……! 南区の全ての銀行の開店時間は9時に統一されている……ちっ、まさか銀行じゃないところを!」


 警報音は止まり、赤い光も消える。その代わりにあの女の低い声がスピーカーから流れる。


『――このアジトにいるものは至急アジト出入口に』


 来見田さんにしては大分切羽詰まった声だった。並々ならぬ緊張感が走る。


「おい! 行くぞ! まだ準備できてねぇのかぁ!」


 部屋の扉がドンドンドンドンと音を立てる。


「……今、行く」


 私は蛇口から噴き出す水を両手で掬い、それを勢いよく顔にぶつけた。



 ◇◇◇◇

 スーツに着替え終わった私は先に行かずに待ってくれていた金平君と一緒に廊下を走り、階段を駆け下り、来見田さんの待つアジトの出入り口までやってきた。


「遅いぞ二人とも。詳しい説明は車に乗ってからだ」


 言って、早歩きで出入口から外へ向かっていく。開いた扉からは例の人員輸送車がチラリと見える。

 運転席にはすでに赤川さんが座っていた。いきなりの呼び出しだったにも関わらず、すでに車を玄関まで持ってきているのは、さすがとしか言いようがない。


「あの、尼寺山ですか?」


「そうだ」


「どこに現れたんだ! 銀行じゃねぇんだろぉ!? 今営業しているとこなんて――」


「いいから車に乗れ」


 私たちは小走りで人員輸送車に乗り込む。瞬間、車の扉も閉め切らないうちにアクセルは踏まれた。


「すみません、先を急ぐので」


 私は急いで近くの座席に座る。偶然にも前回と同じ席であった。


「早速だが今回の事件の概要と作戦内容について説明する。5分ほど前にとあるコンビニエンスストアで立てこもりが発生。犯人は尼寺山伊吹だ」


「どうして尼寺山だと分かる?」


「尼寺山はまず店員に警察に電話をするように指示した。そして、その通報でやってきた2人の警官の内1人を、あいつは爆殺した」


「なっ……」


 その残虐すぎる行動に思わず絶句した。


「そして尼寺山はもう1人の警官にこう告げたらしい。『俺はとある咎人と待ち合わせをしている』とね。全く……ふざけた野郎だ」


「…………」


 後ろの席に座っている金平君が床に足蹴で八つ当たりをする音が耳に届く。


「それで私たちに連絡がきたってことだ。まさか銀行以外を狙ってくるとは……迂闊だった……」


「自分が尼寺山伊吹だってことを証明するためだけに、そのためだけに人を1人殺したってことなのかよ! くそ野郎が!」


「今ここで昂っても仕方がないだろう。それで作戦だが、円谷と金平に戦ってもらう。私と赤川はその場にいるであろう人質の安全を確保して――」


「ちょっと待ってください」


 来見田さんに真っ先に意見したのは、絶賛運転中の赤川さんだ。前を見据えながら、鋭い声で隣に問いかける。


「前回の緊急報告会で、尼寺山とまともに戦える、と僕を評価していましたよね?」


「あぁ」


「ならどうして僕を前線に出さないのですか?」


「私がたった1人で人質を守り抜くことができるか? 否、できない。だから、だ」


「つまり、人質救出要員が自分だけでは心もとないってことをおっしゃりたいのですよね? それなら僕じゃなくてもいいじゃないですか。たとえば、金平君はあの大怪我からまだ1週間しか経っていない。僕は金平君を後方支援に回したほうがいいと思うのですが――」


「相性だ。尼寺山伊吹は負荷武具『帯革』による中距離攻撃と爆発の異能による近距離攻撃を駆使してくる。しかし、金平の証言から推測するに『帯革』よる攻撃を避けるのは簡単。問題は異能のほうだ。その威力は咎人の腕を泥々(どろどろ)に溶かしつくすほどだからな」


 現に金平君の右腕は元に戻らず、人工物となってしまっている。


「近づけば重傷は必至。下手したら死ぬ。だから遠くから戦わなくてはならない。その点において、金平なら球形のストレスを蹴り飛ばし、遠くから攻撃ができる。たしかに金平の体調は万全ではないかもしれない。が、今回は円谷もいる。2人で戦えば、何の問題もあるまい?」


「…………」


 赤川さんは反論するわけでもなく、静かに閉口した。以降、誰も会話を再開しようとはせず、車の走行音だけが車内にこだまする。


「……そこの角を曲がったら目的地です」


 速度を維持したまま丁字路を右に曲がると、黄色い規制線が進行を妨げた。そして、その奥に大手コンビニの看板が見えた。

 車の停止と同時に私の脇を通り、車内から飛び出すように出て行ったのは金平君。私もその後を追うように外に出た。


『――金平、先走りすぎるなよ。周辺の人間の避難は完了しているが、さっきも言った通り人質がいる可能性が非常に高い。ここは4人で――』


「うっせぇ! なら早く来いってんだぁ!」


 来見田からの通信に粗暴な応答を返した金平君とその隣を走っていた私は、すでにコンビニエンスストアの駐車場に立っていた。入り口までの距離は10メートルもない。

 尼寺山の指示で照明を落としているのか店内は薄暗く、人の気配も感じられない。加えて、コンビニ全体がどこか危険な雰囲気が漂っていることがなんとなく分かる。そして、人質がいるならば早く助けなければいけないような、そんな強大な邪気も感じ取れた。


「どうする? 待つ?」


「…………」


 来見田さんの計画だと、私と金平君が前線に立ち、来見田と赤川が人質の救助を遂行するということになっていた。しかし今、人命救助の役割を担う人物がいないのだ。

 彼は頭に手を当ててほんの少しの間だけ沈思黙考していたが、やがて答えを出す。


「――待つ。4人で尼寺山と対峙する」


「え?」


 自分から質問しておいて、と金平君は少し文句ありげに呟く。


「どうせ俺のことだから猪突猛進するとでも思っていたんだろ。だが、今2人で向かうよりも数十秒待って4人で向かうほうがいいに決まっている」


 刹那、コンビニの自動ドアが不意に作動した。


「あ……あの……」


 金平君は反射的に黒煙を纏い戦闘態勢に入る。私も少し遅れて自動ドアから出てきた人物を注視する。

 そこにいたのは20代くらいの黒髪ポニーテール女性。緑色の清潔な制服に名札をつけた格好を見るに店員だろう。


「おい! 大丈夫か!?」

 彼女の表情は絶望に満ちている。顔面蒼白、青白い足を生まれたての小鹿のように震わせている。


「た、たすけ…………」


「おい……! っ……!」


 地面に崩れ落ちそうになる女店員をすかさず金平君が抱きかかえる。そして、彼女がただ恐怖で怯えていただけではないと知る。


「背中……! 野郎ぉ……!」


 金平君の腕の中に倒れた彼女の背中は深くえぐれ、真っ赤な繊維が身体の中から熟々と溢れ出ている。正直、なぜ生きているのかも分からない。


「これは……レシート……?」


 店員の手の中にレシート紙が握り隠されているのを見つけ、優しく抜き取る。しかし、それは弁当と酒缶が購入されたことが記されているだけのなんの変哲もないただのレシートだった。

 表裏を返すまでは。


「金平君! これ!」


「っ!?」


 レシートの裏面、そこにはボールペン字が殴り書きされていた。


『俺はあと3人殺すことができる。もし、この行為を止めたいのならば、少女1人でこの中に入ってこい』


「尼寺山ぁぁぁぁぁぁああああああ!!」


「まさかこのことを私たちに伝えるためだけにわざわざこの人をこんな目に――!」


 尼寺山は人質をメッセンジャーとした。このことを『平衡のカルマ』の面々に伝えたいのならば、警官に伝えればいい話だ。それなのにわざわざ重傷を負わせて、まるで『正義』に対して『悪』というものを見せつけるように……!


「…………」


 金平君の目の前の慟哭にも似た憤激を聞きながら、私は1歩前進する。コンビニエンスストアへ。尼寺山のいる場所へ。『悪』が待つ場所へ。


「……その人の手当てを早くしてあげて。私は…………行かなきゃ」


「おい――」


「私が行けば3人が死なずに済む。迷っている暇はない」


「止めちゃいねぇよ。この人はなんとかする。必ずなんとかする。だから――死ぬなよ」


「うん、分かってる」


 女店員を担いだ金平君が後方に去っていくのを尻目に、一歩、また一歩、戦場へと歩を進める。

 誰も悲しまないようにする。それを全うするために私は戦う。

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