第14話 私の正義は
屋内に広がる闇夜は、至るところにある炎によって照らされ、昼間のように明るい。
私の前には1人の女性が倒れている。長い黒髪は血でベットリと床に固定され、腸はすでに飛び出している。が、かろうじて呼吸はしているようだ。
とても美味しそう。
女性はボソボソと何か音を出している。聞き取れない。本当に嫌な音だ。
さて、目の前に美味しそうな食べ物がある。よだれがこぼれそうなほどに美味しそうなそれは、自分から食べてくれと言わんばかりに音を発して、アピールしてくる。
なら、することはただ一つ。
私はまず、雑音の発生源である部位に思い切り喰らいつく。
あぁ、旨い。
硬めの具が多いが、どうってことないはない。強靭な顎で硬い部位も噛み砕いて、呑み込んだ。旨い。
次に上の部位にかぶりつく。
あぁ、美味しい!
正直言って味は分からない。が、理解るのだ! 感覚で、本能で、理解るのだ!
この硬い噛み心地! 噛んでは呑み込み噛んでは呑み込む!
この溢れる汁! 口元がどれだけ汚れようが関係ない!
なにより奥に詰まっている柔らかな
「――あああああぁぁぁぁぁ!!」
自身の叫び声によって、私は現実に戻ってくる。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中、自分の荒い息遣いだけが聞こえてくる。額には脂汗をかき、心臓がドクンドクンと痛い。
「……また……か…………」
あの銀行での闘いから何日経ったのだろうか。
その間、私は何もしていなかった。赤川さんが汲んでくれたコップの水にすら手をつけず、ただずっとベッドに座っているだけ。
そして、不意に襲ってきた睡魔に負けてしまうと、約束されたかのように先程のような悪夢を体験する。視覚と触覚、そして味覚。たしかに夢のはずなのに、記憶にない出来事のはずなのに、知らない感覚が鮮明に蘇ってくる。
「……どうして私は生きているんだろう」
生きている意味や目指すべきもの、何もかもを失っていた。いや、私が自分で喰べてしまったのだ。
正義とは何か、悪とは何か。尼寺山と対峙していたときは分かりかけていたはずの答えが、今では分からない。
だって自分も、尼寺山と同じ人殺しなのだから。
「ずいぶんとよぉ、元気のいい目覚めだなぁ」
突然聞こえた少年の声に、思わず顔を上げてしまう。
「…………しけた面しやがって」
目の前にいたのは、スーツ姿の金平さんであった。気怠げな雰囲気を漂わせながら、私の前方に位置する机の上に座っていた。
彼がいつの間にかここにいたことにも驚いたが、それよりも気になったのは、彼の顔である。
「ノックはしたんだぜぇ? でもよぉ、てめぇが応答しないから来見田に――なんだよ、この顔のことか? 全くひでぇよなぁ、俺の男前な顔が台無しだぜ」
「…………」
金平さんの顔は右半分が黒紫色になり、少々醜悪な見た目になっていたのだ。火傷の跡だ。
しかし、当の本人は大して気にしていない様子であり、火傷の跡が残った皮膚を軽く引っ張ったりしながら自嘲気味に笑っている。
「顔なんか後回し。それよりもこっちがねぇとやっぱり色々と不便でなぁ――」
言って、金平さんは右袖を勢いよく捲った。
現れたのは、気味の悪いほどに綺麗な肌色を有する腕――義手だ。間近で見ると妙な艶感があるものの、遠目からではこれが義手には見えないだろう。
「西区の最先端技術を施した代物らしい。実は神経や血管とかも繋ぐ大手術だから本当は全身麻酔しなきゃなんだがよぉ、来見田が大丈夫とかほざいて麻酔なしで手術しやがった」
人工には見えないしなやかな指を、金平はまるで見せびらかすように動かす。
「…………」
「何をしに来たんだって言いたげな顔だなぁ? まぁいい」
机から降りた金平さんは、そのまま机に寄りかかり少し物憂げな表情になった。
「来見田から聞いたぜ? てめぇが喰ったのは母親なんだってなぁ」
「っ…………」
「悪いが同情はしねぇ。ていうか出来ねぇ。俺には母親も父親もいねぇからよぉ、親を失う――ましてや喰っちまった奴の気持ちなんて知らん」
「…………」
「俺は親に捨てられた。それも治安最悪の北区のスラム街でな。俺の頭にある一番古い記憶は、ゴミを必死に漁る小汚い自分の姿さ。それでもまぁなんとか生きた」
何をしに来たのだろう。ただ自分の話をしに来たのだろうか。
「俺は11歳の時に今まで貯めてきた金で身なりを整えて、闇市で戸籍を買って、『染処』の入隊試験に挑んだ。んでまぁ、あっさり合格して南区に配属された。高収入っちゃあ高収入なんだが、割には合ってなかったな。心身ともに削られる、とは正にこのことだと思ったね」
「…………」
「そして任務中、俺は『ストレス同一化症候群』を発症した。そして、上司と同僚を喰った。目が覚めたらもう俺は人間ではなく、化物に堕ちていた。そのあと、来見田に勧誘されてここ――『平衡のカルマ』に加わった」
「…………」
「本題はここから。てめぇはこれからどうしたい?」
「っ……」
「てめぇは今、“過去”に囚われている。母親を殺した、喰べてしまった過去に」
頭が痛い。母を喰べたという事実が、脳を犯してくる。
「過去は大事だ。よく『過去は振り返るな』とかほざく奴がいるが、俺はそんなことは思わない。勉強だってなんだって過去の過ちや経験を振り返るのは大切なんだからよぉ」
言って、私に人差し指を向けた。
「でもてめぇは“過去”ばかり考えて“今“から逃げてる。嫌な現実から目を背けようとしているよなぁ」
「っ……」
「てめぇはあくまでも加害者で、罪人で、咎人なんだよ。ちゃんと見ろ、現実を」
その次には胸ぐらを掴む勢いで詰め寄り、煽った。
無言の睨み合いがしばし続くが、先に根負けして目線を逸らしてしまったのは私だった。
「――……し、……たし、わ、私は……」
数日まともに言葉を発していなかったせいで私の声はまるで空気漏れしているかのように途切れ途切れになってしまった。
「ゆっくり話せ」
「――……母が、お母さんが、私の生きる意味だった……お母さんの笑顔が、笑っている顔が好きで、褒められて、頭を撫でられるのが生きがいで、全部が私の幸せで……でも! 私は! 自分で――!」
思わず両手で顔を覆う円谷。その指と指の間からあふれ出た涙が、床にポタリと落ちていく。
「だからそれをやめろって言ってるんだよ! てめぇはどこまでいっても咎人なんだよ! 事実は変えられねぇ!」
「だったらどうしろって言うの!?」
残された自分は何をすればいいのか。どうすればいいのか。そんなこと知らないし、分からない。
「私は死ねばいいの!? 失血死? 窒息死? ショック死? 焼死? 溺死? 圧死? 転落死? 轢死? 毒死? 煙死? 感電死? どれで死ねばいい!? 教えてよ!!」
「罪を償え」
それに対して金平さんは、私の八つ当たりに反比例する冷えた口調で告げた。
「罪人は古くからその罪を償うために様々なことをしてきた。牢屋に入る、財産を支払う、どこかの離島に追放、死ぬ――とかでだ。それが古くからの罪の償い方だ」
でもな、と言ってから私の胸ぐらを掴み上げ、強制的に立たせた。そして、依然冷徹な表情で冷酷に刻々と告げていく。
「それは人間の償い方。俺らはもう人間じゃあねぇ、咎人だ。だから、咎人の償い方で償え」
「咎人の……償い……方……?」
「生きる」
まっすぐな言葉だった。そして、その言葉の中には混じりけのない彼の信念が詰まっているような気がした。
「人間を喰った。その人間の命を喰った。それは罪だ。その人のこれからを奪っちまったんだからなぁ。なら、そいつの分を生きればいい。そいつと共に生きればいい」
「っ……!」
「俺らの刑罰は牢屋に入ることでも、財産を支払うことでも、離島に追放されることでも、ましてや死ぬことでもねぇ。無期懲役――この世界にな」
絶句した。金平さんの手が離され、ベッドへと戻っても中々次の言葉を紡ぎだせない。
「俺は今こうして同僚の意思を受け継ぎ、多くの人間を助けている……まぁ、こんな体たらくだがな……」
金平さんは自分の義手を見ながら、下唇を噛む。
「この命がある限り人を助ける。そして、悪を滅ぼす。それが同僚の意思でもあり、俺の信念――正義でもある」
「…………」
だが、と金平さんは区切り、どこからか取り出した小さな紙切れを円谷の右手に強引に載せる。
「この正義をてめぇに押し付けることはしない。1人1人が違う正義をもっている。自分の思想や考えを相手に押し付けることはやっちゃいけねぇ。否定することもなぁ」
その紙切れには、10桁ほどの数字が殴り書かれている。
「これは……?」
「アジトの出入り口のパスワードだ。来見田のパソコンをちょっと拝借して入手した。てめぇの掌紋認証ではまだあの出入り口を開けることはできないが、このパスワードがあれば開けられる」
「どうしてこれを……?」
「もしてめぇに戦う気がないのなら、東区まで逃がしてやる。殺処分に怯えることがない安全な場所があるんだ」
金平さんは三度眉間にしわを寄せ、私に詰め寄った。
「もう一度聞く。てめぇのこれからの人生、咎人としての生を決める重要な質問だ。てめぇはこれから、どうしたい」
「…………」
最愛の母親から命を奪って手にしてしまった第2の人生で、これからどう生きていきたいか。
金平は“人を助ける“と言った。そして、”悪を滅ぼす“と言った。
私はどうだ。私は悪を許せるのか。尼寺山の行為を許せるのか。答えはもちろん否だ。許すわけがない、許せるはずがない。
なら滅ぼす? 殺す? それが『正義』?
私が望むことはなんだ? 悪を殺すこと? 違う。悪を滅ぼすこと? 違う。
「私は今苦しい……お母さんを殺して苦しい……赤川さんも苦しかったと言ってました。金平さんも来見田さんもきっと苦しくて悲しい思いをしてきたんだと思います」
「だから私は、もう二度と誰も苦しくて悲しい思いをしない世界にしたいんです。『咎人』が生まれることも、『感染者』が生まれることも、なくしたい」
「誰も悲しまないようにする――それが私の正義」
苦しくて悲しい思いをするのは私で最後にする。もう誰も泣かないように、発症しないように、咎人にならないようにする。
「……はっ、甘いな、ゲロが出るほどに。てめぇやっぱ現実が見えてねぇよ」
「…………」
金平さんは義手で頭をポリポリ搔きながら、話半分に部屋のドアに向かって歩き出す。
彼に反発されるのは何となく分かっていた。たしかに私の正義は夢物語かもしれない。綺麗ごとかもしれない。それでも私は私のような思いをこれから誰にもしてほしくない。私のような業をこれから誰にも背負ってほしくない。
「まずは食堂で飯だ。そしてシャワーを浴びて新しいスーツに着替えろ。それから訓練する」
「……いいんですか?」
私の質問に足は止めたものの金平さんは振り返らない。
「俺らの戦場に真に必要なものは武器でも技術でもねぇ。信念と覚悟だ。そして、今のてめぇにはそれがある」
「…………」
「ボサッとしてんじゃねぇ。実際問題、信念と覚悟だけじゃ尼寺山には勝てない」
「は、はい!」
ベッドから勢いよく立ち上がり、すぐに金平さんの後ろに追いついた。
彼は再び歩き出し、閉ざされた部屋の扉を開ける。その姿がふと誰かと重なって――
「1週間……! 金平さん!」
「金平、でいい。1週間がどうした、てめぇが引きこもってたのは3日だぞ」
「そ、そうじゃなくて思い出したんです! 尼寺山が去り際に言ってたことを!」
『――再び会おう、一週間後に』




