第12話 咎人への成り方
(――うっ……一体……なにが……)
意味が分からない。金平さんが尼寺山のところにたどり着いた直後、光とともにズドンッ! という今日一番の爆発と轟音が銀行中に響き渡ったのだ。
そして、金平さんの安否が分からない。2人の姿は粉塵のその奥に隠されて視認することは不可能である。
「――この少年はよくやった。最後の最後まで足掻くのをやめなかった」
そのとき、あの男の声が聞こえてきた。
「この俺に少しでも冷や汗を流させたのだ。その根性だけは称賛に値する」
不気味で、不愉快で、そして強大な邪悪を孕んでいるあの声が、目の前に展開されている粉塵の中から聞こえてきた。
「だが、同時に愚かだった。この少年は冷静になれなかったのだ」
太く低いその声は次第に鮮明になっていく。ほどなくして、ぼやけた輪郭が粉塵に浮かび上がる。
「よく考えれば分かること、いや考えずとも解ること。このことは我々にとっては『常識』なのだからな。しかし、この少年は追い込まれていたことでそれを失念してしまった。本当に愚かだ」
粉塵が消え、視界が開けた。そこには堂々と立つ尼寺山とその尼寺山に首根っこを摑まれてぐったりしている金平さんがいた。
「ストレスを爆発にも等しい火炎に変える【凶爆】――つまり、それが俺の異能だ」
ハッとした。今まで尼寺山が繰り出してきた攻撃は負荷武具【帯革】による爆発攻撃だけ。尼寺山は咎人が例外なく所有しているはずの異能をここまで全くもって使っていなかったのだ。
「負荷武具に意識を集中させて……異能から注意を反らさせた……?」
「一撃必殺ゆえにあまり使用したくはないのだがな。しかし、使うに値する相手ではあったか」
金平さんは気絶しているのか白目を剥き、脱力して首はすわっていない。そして、その体は私との模擬戦の後よりもボロボロになっており、目も当てられない状態へと成り果てていた。
まず、顔の右半分を中心に全身が軽く焼け焦げており、その上元々負傷していた右足がおかしな方向に曲がっている。
何より右腕がない。きれいさっぱり消し飛んでいた。
「俺の異能は非常に威力が高いのだが、射程距離が短い。そこで併用するのが欠点である射程距離の短さをカバーできる『帯革』というわけだ」
いつの間にか尼寺山は独り語りをやめ、私に向かって話しかけていた。間合いは20メートルもない。もし今帯革を放たれたなら、確実に死ぬ。
ドサッという音と共に尼寺山の手から金平さんが床に落ちる。手足を力なく放り出しているその姿はまるで人形のようだ。
「…………」
尼寺山は何故か攻撃せず、ゆっくりと歩み寄ってくる。何の構えもせず、警戒する素振りも見せず。
このまま近づかれれば帯革……いや、異能で殺される。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
「ん……?」
「そ、それ以上動いたら……撃ちます……!」
「…………」
私は必死にポケットをまさぐり、来見田に渡されたあの負荷武具『万年筆』――凶器を突きつけた。しかし、万年筆を持つ両手は自分でも冗談かと思うくらいに震えていた。
尼寺山は歩く。
「っ……! 動かないで…………!」
万年筆の狙いは全く定まらない。壁まで後退りをする、いや、するしかなかった。
尼寺山は歩く。
「な……んで…………っ!」
いつの間にか間合いは0.5メートルもなく、尼寺山の異能の射程内に余裕で入ってしまっていた。しかし、いつまで経っても爆発は起こらない。尼寺山は異能を使わない。
それどころか尼寺山は私の持っている万年筆をあろうことか自身の額に押しつけた。
「やってみろ」
「は?」
「この万年筆も、負荷武具なんだろ? そいつで俺を殺してみろ」
「何を……言って…………!?」
「どんな効果を持つ負荷武具だか知らんが、この至近距離。少なくとも致命傷を与えることはできるはずだ。それとも、異能を使ってみるか? 使えるのなら、な?」
男は1秒後には自分が死ぬかもしれないこの状況で、恐ろしく笑っている。私はただストレスを万年筆に込めて解放すれば終わらせられるこの状況で、何も出来ずに唖然としていた。
「少女よ、お前は俺を討つためにここに来たのだろう? なら早く撃て」
「わ、私は……人を……殺したく……ない……」
「…………」
しばしの沈黙の後、尼寺山は呆れともとれる大きなため息を吐いた。そして、私を睨みつけるように一瞥すると、額から万年筆の先が離れないようにしながら首の骨を鳴らした。
「その表情……体の強ばり……上手く扱えない異能……そうかそうか、やはり、お前が件の…………そうかそうか……」
男は何かに納得したかのように何度も頷いて、先程とは一転して少し笑みを作る。それから、耳を疑うような言葉を告げた。
「――いいだろう、少女よ。命乞いをさせてやる」
「……?」
「つまり、2つの選択肢をくれてやる」
間合いは依然0.5メートル足らずで、お互いにノーガード状態。とても生死をかけた闘いの真っ只中だとは思えない。
邪悪に微笑む尼寺山は円谷の顔の前に2本、指を突き立てた。
「1つ目の選択肢は、そこの少年や表にいるであろう仲間を裏切って俺の仲間になること――つまり、咎人としての役割を全うする、だ」
「裏切る……」
「お前は咎人に関して無知だ。故に最初に知り合った関係者についていくしかなかった。たとえそれが間違っている奴らだとしても、だ。しかし、今なら間に合う。俺と共に咎人として罪を重ねていこうではないか。俺ら咎人に割り当てられた役割を全うしようではないか」
尼寺山は今までに見せたことのない話し方で円谷に語りかけた。まるで宗教を布教するかのような言い草で、まるでセールスマンのように畳み掛けた。
だが、
「2つ目の選択肢は――」
「私はたしかに無知です……『平衡のカルマ』に入ったのも、今あなたと対峙しているのも、正直全て周りに流されただけ。そこに私の意思などなかった……。でも、1つだけ、私でも分かることがあります……」
「…………」
「あなたは絶対に間違っている……ということは……分かります…………」
私は尼寺山を、目の前にいる強大な悪を、否定した。
「だから私は……あなたの味方にはなりません……」
「――……つまり、2つ目の選択肢を選ぶということだな?」
私は無言でただ俯いただけだったが、尼寺山にはそれが首肯に見えたのかもしれない。
「2つ目の選択肢は、今ここで焼死する、だ」
「…………」
「俺が間違っていると分かっていても、この負荷武具を使わないのだな? それでいいのだな? 悔いはないな?」
「……私はあなたと違って殺人なんてしない。人を殺すなんて、そんなことしない」
「…………」
妙な空気になった。妙な間が生じた。なにか得体の知れない違和を感じた。そして、いつまで経っても自分を殺さない尼寺山を不審に思い始める。
「……なぜ……殺さないんですか」
何度も言うが、この距離では尼寺山の異能を避けることは不可能。それどころか、彼にとってもはや異能を使わずとも殺せる間合いだろう。壁に頭を何度も打ちつけたり、首を絞めたり……。しかし、尼寺山は何もしてこない。
「――……お前、咎人に成った時の記憶がないのだろう?」
代わりにしてきたのは1つの質問。いや、確認。
「……なんで…………」
何故自分の記憶喪失に気づかれたのか分からなかった。口を滑らせた覚えはない。
「人間は何故『ストレス同一化症候群』を発症し、『感染者』となるのか。それは溜めすぎたストレスを発散するためだ。化物になり、腹立たしいことや悲しいことなどを忘れ、本能のままに暴れる。しかし、10分ほどで体は限界を迎え、灰と化して散る」
男は饒舌に語った。
「では、咎人になる条件とはなんなのか。なんだと思う?」
「……偶然」
「ふ、違うな」
不気味な笑みを作り、語り始める。
「人には理性というものがある。例えば、健常者が赤信号を渡れなかったり人を傷つけたり殺したりすることができないのは、理性がストッパーとなっているからだ。理性が正常に働いているからだ。しかし、『ストレス同一化症候群』を発症すると法やルール、倫理を無視して暴走する」
「……何が言いたいんですか?」
「話は変わるが、俺が『ストレス同一化症候群』を発症したのは約1年前だった。当時からありとあらゆる犯罪を行っていた俺はある日、共犯者のミスで捕まった。投獄され、おそらく二度と出られないと悟った。二度と悪事を働けないと。だから死のうと思った。刑務所の飯は一度も食わず、水も飲まなかった。そして、発症した」
耳鳴りがする。
「『感染者』から『咎人』へと成った時、周りには血の海が出来上がっており、死体がそこら辺に積み上がっていた。無惨に肉や骨が引きちぎられた跡がある囚人や看守共が、1人残らず死んでいた」
耳鳴りがする。
「また話が変わるが、お前は発症する直前――」
耳鳴りがする。
「――腹は、減っていなかったか?」
叫んだ。鼓膜にくっついて剥がれない尼寺山の声と耳鳴りをかき消すために。脳の中にまるでフラッシュバックするかのように溢れ始めた記憶を掻き消すために。
見たことのない記憶、聞いたことのない記憶。だが、たしかに味わったことのある記憶。
「『咎人』になるための条件、それは人肉嗜食――つまり、人間を食べることだ」
吐いた。ただただ吐いた。
みっともなく嗚咽し、胃の中の液体を口からこぼし、倒すべき敵の目の前でひざまずいた。突きつけさせられていた万年筆は手から床へと自由落下する。
「さっきも言ったが、俺らが『感染者』になるのはストレスを発散するため。つまり、食欲不満によってストレス同一化症候群を発症した人間は、食べることでストレスを発散する。そして、理性がないから本来は禁忌である人肉嗜食に躊躇いがない」
「ぁ……ぁあ……」
「人間を食べる、すると原理は不明だが『感染者』になってから10分たっても灰になることはない。そう、灰にならずにまた人間の形へと戻れるのだ。まぁ中身は怪物のままだがな」
「……ぁぁぁ……ああ!」
「お前は咎人だ。つまり、お前はすでに誰かを喰い殺している」
「……ああぁ……あ……あ……」
なぜ忘れていたんだろう。忘れるわけがないのに。
火事になったあの日の夜、私は家に1人ではなかった。だってオムライスは2つ作ったのだから。
「記憶がなくなる寸前、近くに誰かいなかったか?」
私はあの日、母と2人で過ごしていた。




