第1部 第13章
ルシファが手当てをする間、ギルは唇を噛み締めていた。
なんてことをいっちゃったんだろう? 本当にラボに戻されたら、僕はどうなるんだろう? きっと後悔しながらあの生活を送るんだ。
でも、僕といることでルシファを苦しめたくはない。
薄暗い部屋。光の住人のルシファは自分のためにいつでもブラインドを下ろして薄暗くしてくれていたんだ。
ルシファだっていろいろ用事があるはずなのに、ずっと自分のために時間をさいてくれていたんだ。
もう、ルシファに迷惑を掛けたくない。
「さてと。さっきいったことの説明をしてくれる?」
気付くといつのまにか手に包帯が巻かれ、隣でルシファがお茶を飲んでいた。
「私を探しに来てくれてうれしかったのに、一緒にいちゃいけないとか、転んだのは君なのに、私に怪我してないって聞いたり、分けわからなすぎる。」
怒った様子もなくあきれたように話すルシファに少し緊張がほぐれた。
何 をどう話せばいいのか、ラボには戻りたくなんかない。
でもルシファに迷惑も掛けたくない。
どちらの決断も出来ずに、正直に犬のぬいぐるみの話をした。
「僕といちゃいけないんだ。僕といるとみんな傷つく。僕が大切なものはみんな壊されるんだ。」
怖くて声が震えてる。しかし、ルシファは笑い出した。
「そういうことだったの。安心した。私が嫌いになったわけじゃなかったんだね。よかったよ。」
ルシファがお茶のカップを差し出すので受け取ろうと右手を出すと、包帯の下の傷が痛んで手を引いた。
「君はなぜ、怪我をしている右手でカップを取ろうとしたの?」
「え? 右利きだから。右手で持つのが当たり前だから。」
「それを癖というんだよ。」
そんなわかりきったことを・・・。
「右手を怪我してうまく持てなかったらどうする?」
「左手で持つ。」
ちょっとムッとしたように左手でカップを受け取った。
「普段使わない左手だと飲みずらいだろ?」
何がいいたいのだろう?
「おそらく、また君は右手でカップを取ろうとするよ。癖だからね。でも左手を使うことを思い出して実際持つのは左手だ。次もきっと右手が出そうになるだろう。でもさっきより早く左手を思い出す。癖を直すにはそうやって何度も何度も繰り返さないとダメなんだ。意識しないで動くまで、何度も何度も。」
そんなことわかってる。
「人の思考回路もね『思い癖』っていうのがあってね、反射的に出る反応でどうすることもできないと思うかもしれないけど、それは『絶対』ではなくただ癖でそうしてしまうだけなんだ。」
ルシファが自分も左手でカップを持ってお茶を飲んだ。
「君が自分の大切なものは全て傷つけられると反射的に思ってしまうのは仕方のないことだ。今まで充分過ぎるほどそういう目にあってきたからね。でも、言葉が悪くてすまないが、私にとっては怪我してる右手でお茶を飲むのと同じくらい愚かな癖だよ。」
あれだけの恐怖だったのに、お茶を飲むのと同じ扱いをされ、ギルは不快になった。
「恐怖に囚われることなく冷静に考えてみて。また言葉は悪いが、君を捨てたお母さんが、わざわざ君を探し出し、ここまで来ると思うかい? もし仮にここにナイフを持って現われたとして、私がすんなり刺されると思うかい?」
そうだ。冷静に考えればなんであんな恐怖を感じる必要があったのだろう?
「『思い癖』は癖だからどうしても自分の意志とは無関係に出てしまう。昔の恐怖が出てきた時、『癖』でしかないってことをできるだけ早く思い出すんだ。すぐには無理だろう。でも何度も何度も挑戦しているうちに『癖』でしかないと思う癖がつくもんだよ。」
左手でお茶を飲むとまじまじとカップを見つめた。
「やっぱり、利き手じゃない方で飲むのは飲みずらいね。」
カップをテーブルに置くとギルを見た。
「慣れないことをするのはちょっと苦痛かもしれない。どうして右手のように器用に飲めないのかと苛立つこともあるだろう。そこでやめたら終わりだ。疲れたら休んでもいい。続けているうちに新しい癖がつく。」
ギルはルシファに対して不快な感情を抱いたことを後悔した。
「それとキツイ話ついでに、もう1つ。追い討ちをかけるわけじゃないことはわかって欲しいんだが。これからさっきのような恐怖がどんどん表に出てくるよ。」
反射的にギルは身を硬くした。
「人は忘れたいこと、思い出したくないことは心の奥底にしっかりと蓋をして閉じ込めるものなんだ。それは消したんじゃなく、ただ隠しただけ。隠して見えないけど確実に存在する。ヘタに見えないから当の本人は何かわけのわからない化け物が自分の中にいる恐怖を感じる。怖いから、見たくないから余計にしっかり蓋をする。箱の中身は窮屈で暴れまわり、余計に本人は理由のわからない恐怖を感じる。」
僕の中には沢山のものが押し込められてる。それが次から次へとさっきのように出てくるというのだろうか?
「閉じ込められたものを解放するには蓋を開けなきゃいけない。自分の奥底から解放されて出て行くとき、その存在を見ることになる。だから君は辛いだろうけど、恐怖が表に出てくるってことはいい事なんだ。捕らわれから解放されるチャンスだから。その恐怖に負けてまた無理やり蓋をするか、そのまま解放するかだ。」
「僕は・・・解放できたのかな?」
「私が君の思うように誰かに傷つけられると本当に思うかい? それとも私が自分で転んで怪我をする? 私は何かに躓いても、君のように顔面からスライディングするようなことはないと思うけどね。」
差し出された鏡を覗くと、頬に擦り傷があった。
ギルは恥ずかしさに顔を背けた。




