第1部 第12章
ゴムボールはルシファの両手で押されるたびに柔らかく変形した。
「このボールが君だとしよう。こうして空気がいっぱい入っていると、外から押されてもすぐに元に戻れる。」
テーブルの上に置いたボールに人差し指を突き刺した。ボールは凹んだが、指を離すときれいな球体に戻った。
「もしこのボールの空気があまかったらどうなると思う?指で押されて凹んで、そのままだ。」
何度もボールに指を押し当てて離した。そのたびにボールは球体に戻った。
「このボールが傷だらけで、空気が抜け出したら、そうなる。外部の圧力通りの形に変形したまま。今の君の様にね。でも人間は自己治癒力があるから、その皮膚の傷がどんどん治っていくように、心の傷も癒えていく。」
ボールを両手で掴むとぎゅーっと押した。ボールは楕円形に変形した。
「ちょっとした傷でも外部から強い刺激を受けると、そこから空気がもれて破裂してしまう。」
手の力を抜いてボールを元に戻した。
「まずは傷を治すこと。次はボールの中を空気で満たすこと。」
テーブルの上に置いたボールを抱えてその上に顔をのせてギルを見た。
「この空気って何だと思う?」
ギルには何も予想ができなかった。
「私が思っているのは「どれだけ自分で自分を認めているか」ってことだと思う。人によってはアイデンティティとか、「安心」とか「幸福」とかいうけど。」
ギルは首をかしげた。
「じゃあ、例え話をしよう。就職を考えた時、給料はいいけど面白くない仕事と、給料はよくないけどやりがいのある仕事があったとする。みんなが給料のいい方を進めた。給料は欲しいけど、やりがいのある仕事を選んだ。結果はどうなると思う?」
「正しい選択だと思う。」
「本当に? 給料は悪いんだよ。みんなが長期休暇とってリゾート行くのに、自分にはその暇もお金もない。仕事はハード、遊ぶ金も暇もなく友達がどんどん減っていく。」
ギルは黙った。
「そんな時、お金がない、友達がいなくなっていく、そんな外的要因のプレッシャーが来た時。だからみんなのいうことをきけばよかったんだって思ったら、他人の価値観で判断した時、空気の抜けたボールと同じに押された指の形に変形してしまう。他人の価値基準に自分を変形させてるんだ。でも、こんなにやりがいのある仕事ができるなんて幸せだ、だから自分の選択は間違ってなかったと思ってる人は、外的ストレスがきてもボールを丸いままにしておける。自分がどこに目を向けるか、どう感じるかで幸か不幸かが決まるんだ。」
何度指で押してもボールはきれいに戻った。
「だから私は自分に嘘をつくな、自分を傷つけるなという。ボールの空気が抜けちゃうからね。折角空気がいっぱいなのに他人の言うようにボールを変形させてもいけない。社交辞令でその場をあわせるのは仕方ない。でも、ちゃんと元の形に戻してあげなきゃいけない。」
両手でボールをテーブルに押し付けた。惨めにつぶされたボールは手を離すと元に戻った。
「このボールを池に入れたら、浮くよね? 空気が抜けてたら沈んでしまう。このボールは池に沈めても浮かんでくるよ。どんなに自分の周りがひどい世界でも自分にしっかり空気を入れておけば影響を受けないし、浮かび上がることもできる。」
ボールを軽くギルに投げた。反射的に受け取った。
「君が空気を満たすには「自分自身」を取り戻すことだ。他人に言われ続けた言葉で君の世界は作られてる。悪魔といわれたから自分は悪魔だ、死んで欲しいといわれたから生きている価値などない。そう思ってしまうのは仕方のないことだと思う。でも世界はそれだけじゃない。私のように君に自由な世界で生きて欲しいと思う人もいるし、キャッシーのように君に喜んでもらいたくて服を選んだり、ケーキを作ったりする人もいる。そんないろんなパターンを見ながら「自分」を創っていくんだ。外の世界はいろんな事が溢れている。それこそ理解できないくらいにね。」
ギルは手の中のボールに圧を掛けてみた。手を離すと元気よく元に戻った。
「難しかったかな。でもこれだけは覚えておいて。自分の人生は自分で創っていくものなんだ。例え人にいわれたからなんていいわけしても誰も責任とってくれないんだよ。その人の言うことを選んだのは自分なんだ。」




