26話 いまはもう
「ルスカ……?」
ルスカはクラリスをゆっくりと腕の中へ抱き下ろす。
だが、その安堵も一瞬だった。
「名前は言えるか、ここがどこかわかるか!」
「クラリス……場所はわかんないけど……見当識は、大丈夫みたい……」
弱々しい笑みに、ルスカは一瞬だけ息を吐く。
だがすぐに視線を全身へ走らせた。
「おい、痛むところはないか、どこをやられたんだ……!」
「大丈夫、めまいだけ……」
「だがおまえ、真っ青だぞ……!」
全身を抱く力は優しいのに、手は離さないようにしっかりと支えている。
「殿下!お待ちくださいと申し上げましたのに!」
ルスカの背後から声と共に雪崩れ込んできたのはカレルと兵たちだった。
「これは……!」
カレルは地下牢に目を走らせ、眉を寄せる。
だが次の瞬間には表情を引き締める。
「その男を拘束しろ!」
兵たちが一斉に動く。
カレル自身はうずくまるセレンの肩を支えた。
「離せ!!離せと言っている!!」
ゲオルグは床を這いながら喚いた。
「クラリス!!生きてるか!」
「ミュラーせんせい……アニまで……」
そばに駆け寄る声に、クラリスは弱々しく目を開く。
ミュラーはルスカと目を合わせ、ルスカが頷くとほっと胸を撫で下ろした。
「なんなのこれ……すごい匂いなんだけど……」
アニはハンカチで口元を抑え周りを見回す。
「ヴェサリアン家もとんでもないもの抱えてたってわけだね……元からきな臭い家ではあったけど……」
アニが見下ろした先では、ゲオルグが組み伏せられている。
「この……!!こんなこと、許されると思ってるのか!!離せ……!!離せ!!この、クソ女!!殺してやる!!」
顔を上げクラリスを睨みつけながらバタバタと暴れていた。
ルスカがクラリスを抱く手に力が入る。
その時、クラリスがはっと我に帰った。
「ルスカ!……あの人!診てあげないと……!」
クラリスが指を刺した先には、壊死性筋膜炎の男が横になっている。
顔は苦悶様で、呼吸は浅いままだった。
「お前、まずお前から……」
ルスカが眉を寄せる。
「わたしは大丈夫、薬かなにかの後遺症のめまいだけ……」
そう言いながらも、身体は今にも倒れそうだった。それでも、男から目を離さない。
「早く!壊死性筋膜炎なの」
「なに……!」
ルスカはミュラーと顔を見合わせると頷く。
クラリスを抱き上げ男に近づき、側にそっとおろした。
「当てずっぽうだけど細菌は消した。だから……」
クラリスが言い終える前に、ルスカは男の足へ手を当てる。
「顕現」
淡い光が溢れた。
同時にミュラーも魔法を発動させる。
地下牢が一瞬だけ白く染まった。
「……細菌は見当たらない」
「鎮痛は軽くかけた。強すぎると血圧が落ちる」
二人の言葉にクラリスはぱちぱちと瞬きをし、ふっと笑う。
「流石」
クラリスは背後を見回す。
カレルに支えられたセレンは、苦しそうに息をしていた。
兵たちが取り囲み、彼女を拘束するべきか迷っているようだった。
「セレン……もう少しだけ、頑張れる?」
クラリスが声をかけると、セレンは顔を上げ弱々しく頷く。
「カレル、セレンをこっちへ。お願い、治療に必要なの」
「ですが……」
「お願い」
カレルは小さく息を吐くと、セレンを抱き上げクラリスの横に静かにおろした。
「さっきセレンの能力で感染創の縁を染めたんだ。その線より赤みが超えてれば、進行してるってことになる」
クラリスがセレンの手を握る。
「セレンに触れた状態で発動してもらわないと、染色が見えない。早く!」
ルスカとミュラーは一瞬戸惑っていたが、それぞれセレンの肩や手に触れた。
クラリスがセレンに頷く。
地下牢が再び光で満たされた。
「これは……!」
男の足に浮かび上がった黄色い線。
その線を越え、赤みは数センチ太もも側へ広がっていた。
「っ……」
セレンの身体がぐらりと倒れる。
「おい……!!」
ミュラーが慌てて支える。
セレンは顔を伏せたまま"大丈夫"というように、手を僅かに上げた。
「やっぱり進行してる。細菌は消せても、毒素が消せなかったんだ……」
クラリスは拳を握る。
「わたしの魔法も、あと一回発動したらそのあと保つかわからない。でも幸いカレルがいる。止血ができる。わたしの魔法で足をアンプタ(切断)するしかない」
「待ってよ!」
アニが声を上げた。
「それじゃクラはどうなるのさ!患者助けてクラが倒れたら意味ないでしょ!」
その声は怒っているようで、震えていた。
クラリスは二、三度瞬きをする。
そして、ふっと笑った。
「アニがいるでしょ?」
「……え?」
「なんとかなるよ」
アニは口を開く。
だが何も言えず、ふいと顔を背けた。
ミュラーが苦笑する。
「こいつは言い出したら聞かねえからな」
ルスカも小さくため息をついた。
「お前は俺たちがなんとかしてやる。荒療治でも文句言うなよ」
「それはやだなぁ……」
クラリスは弱々しく笑う。
そして男へ向き直った。
「右足、治療のために切断します」
男がゆっくりと顔を上げる。
クラリスは真っ直ぐ男を見た。
「大丈夫、絶対助ける!命さえあれば、なんとかできるから」
クラリスの言葉に、男は頷く。
クラリスは全員を見回した。
「カレル。わたしが消去したら、すぐ塞いで」
「……承知しました」
クラリスは男の足へ手を添えた。
そして息を吸う。
「右大腿中部から遠位側、消去――!」
「大腿断面、塞ぎます!」
地下牢を強い光が満たす。
次の瞬間。
――バチン!!
乾いた音が響き……
クラリスの視界がぐらりと揺れた。
「……っ」
これまでより強い目眩に、クラリスの身体が後ろへ倒れ、ルスカの手が支える。
「……いじょうぶだ、うまくいったぞ!」
「クラ、大丈夫か、おい!!」
クラリスの視界はぐるぐると回り、世界の端が黒く染まっていく。
その時だった。
視界の真ん中に、赤が揺れた。
「……の女は、拘束はいかがしますか!?」
「ヴェサリアン夫人です!!御判断を……!」
断片的な声だけが耳に届く。
クラリスの手が、冷たく、硬いなにかに包まれた。
誰かの手だった。
「だめだよ……」
自分でも驚くほど小さな声だった。
「セレンは、わたしの患者で、友達で……」
冷たい手が、きゅっと握り返す。
「なかまなんだから……」
握り返す力が、少しだけ強くなる。
クラリスは安堵したように目を閉じた。
そして、そのまま意識を手放した。




