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23話 なんにもわかんないよ



翌日。

休憩室にお昼の鐘が鳴り響く。

ミュラーとルスカ、それに遅れてアニがそれぞれの昼食を広げる。

静かな部屋に咀嚼音と、誰かが紙をめくる音だけが響く。


「クラリスどうした?おせぇな」


ミュラーがパンを齧りながら、読んでいた書類から顔を上げた時だった。


「あ"~……」


クラリスはふらふらと部屋に入ると、そのままソファに倒れ込んだ。


「遅かったな。おまえの患者多かったのか?」


ミュラーが不思議そうに首を傾げ声をかける。

と、アニがにやりと口角を上げた。


「わかるよ。『クラリス、ここへ』……でしょ」


「っ……!?」


クラリスはがばりと上体をおこし、パクパクと口を動かす。

その目はまんまるに見開かれていた。


ルスカもまた視線がアニへちらと移る。


アニは二人の様子を見て、上機嫌に肘をついた。


「僕もいたからね。高位貴族なんだから」


「全然気づかなかった……声かけてくれたらよかったのに」


「どこにいたかわかんなかったし。あの登場は楽しかったよね。『パン屋のクラリス』とか言ってさ」


思い出したようににやにや笑うアニ。

クラリスは言葉を探していたが、そのままどさりとソファに身を倒した。


小さくついたルスカのため息がやけに響く。

アニは頬杖をついたまま首を傾げた。


「それでどうすんの?お妃様になるの?」


「おい、そんな感じ?俺いずれおまえに頭下げんの?」


「……下げません。もー……どうしたらいいかわかんないの」


クラリスのくぐもった声。


「なんでさ?ロマンチックだったじゃん。みんなの憧れだよ?あんなの」


「……わたしはずっと嫌な汗かいてた。ダンスだって全然覚えてない」


クラリスはクッションに顔を押し付けたまま、もごもごと何かを呟く。


「恋愛なんてわかんないよ……」


少しだけ間が空く。


「……他に考えることなんて、いくらでもあるのに」


そのままソファに突っ伏し、ぴくりとも動かなくなる。


ミュラーとアニは顔を見合わせた。


「なるほどなぁ」


「重症だね」


「他人事だと思って……」


くぐもった声だけが返ってくる。


その時。

ルスカが本を閉じる音がぱたんと響いた。


「……おまえはどうしたいんだ」


ルスカは椅子を引いて、背後のクラリスを振り返る。


「……わかんない。わたしどうしたらいいと思う?ルスカ」


「しらん。お前のことはお前が決めろ。でないと、後悔するぞ」


「そうだけどさぁ~……」


クラリスはばたばたと足を動かした。


その時。


「クラ先生?今日往診って言ってなかった?」


ひょいと休憩室を覗いたハンナの声に、クラリスはがばりと起き上がった。


「あ!!忘れてた!!」


クラリスは机の上にあったパンを一つ取ると、鞄に詰める。


「ミュラー先生!すぐ帰ります!」


「お、おぉ」


クラリスの白衣がふわりと揺れる。


途端に静かになった休憩室では、誰かのついたため息が一つ残った。











いつも通り、屋敷の奥の奥。

案内された先、薔薇園の中でクラリスに気づいたセレンが顔を上げた。


「ごめん、セレン!遅れちゃった」

「いいのよクラリス。忙しかったのでしょう」


セレンはクラリスの腕を取ると、いつもの小屋へとその背を押す。


「昨晩は大変だったわね。あなた、あっという間に遠い人になるんだもの」


セレンは椅子をぎい、と引くと、クラリスを座らせた。


「少しは眠れた……わけないわね。顔色が良くないわ」


クラリスはわずかに目を見開く。


「まあね。仕事が手につかなかったよ」


そういうと、困ったように笑った。


「そうでしょうね。ねえ、あなたお妃様になるの?」


「ならないよ。あ、でもお妃にでもなったら学校は作りやすいのかな?うーん、でも医者はやれなくなるよね?お妃……お妃ってなんなんだ?」


頭を抱えるクラリスに、セレンはくすりと微笑む。


「ついこの間のあなたの言葉を借りようかしら。五年後、どうなりたいの?」


「うーーん……わかんない……とりあえず生きてれば……」


「なあに、それ」


セレンがくすくすと笑い出した、その時だった。


「奥様、失礼致します」


「どうぞ」


セレンの答えに応じて扉が開き、何人ものメイドたちがぞろぞろと入室する。

その手にはそれぞれ紅茶や焼き菓子、ケーキやフルーツが載ったトレーがあった。


「奥様。御命令の通り、お持ちいたしました」


「ええ、ありがとう。そこに並べて」


メイドたちはテーブルに続々とセッティングをしていく。

セレンはクラリスの横に立ち、その肩に手を添える。


「あなたにお礼がしたくて。我が家の料理人自慢の菓子を用意させたのよ」


そういうと、セレンは力を発動させた。

一瞬光が満ちる。


「奥様……?」


「なんでもないのよ。続けて」


セレンは穏やかにそう答える。

が、クラリスは目を見開いた。



ここにいる一人を除いた全てのメイドたちの身体中が黄色く染まっている。手も、足も、胸の辺りも、そして下も。


「……決まりね」


セレンの目が潤み始める。

けれど、クラリスの肩に添えた手に力がこもった。


「わたし、やるわ。医師になる」


「そうだね……それがいいみたい」


クラリスは鞄に手を突っ込むと、ノートを取り出した。その目はぎらりと光っている。


「じゃあまずは骨の名前から!やると決めたらビシバシやるから!全部覚えてもらうからね!」


「……ふふ、忙しくなるわね」


セレンがノートを受け取った。

その時、ちょうどメイドたちが一礼をし、部屋の隅に控える。


「奥様。整いました」


「ご苦労様。下がっていいわ。さあクラリス。話の続きはお茶をしながらにしましょう」


二人はカップに口をつけた。


「それで、わたしは……」


セレンの手がかすかに揺れる。


「これを始めたら……いい……のね……?」


かしゃん。


カップが指先から滑り落ちる。


「セレン?」


クラリスが顔を上げた。


次の瞬間。


セレンの身体がぐらりと揺れ、そのままテーブルへ崩れ落ちる。


「セレン!?」


慌てて立ち上がろうとして。


視界がぐるりと回った。


「なっ……」


テーブルに手をつく。


床が傾く。

身体に力が入らない。


(なに……これ……!?)


口元を押さえた、その時だった。


バタン!!


扉が乱暴に開かれる。


歪む視界の向こう。


何人もの男たちの靴が見えた。


その中の一人がゆっくりとしゃがみ込む。

宝石だらけの指が、クラリスの頬を掴んだ。


「やあやあ、未来のお妃様」


聞き覚えのある声。


「ゲオルク……」


「覚えていただけて光栄ですな」


ゲオルクはニヤリと笑う。


「困るんですよ。学校なんか作られたら」


頬を掴む手に力がこもる。


「せっかく上手く回っているのに」


クラリスは振り払おうとするが、指一本動かせない。


「お貴族様たちの金とボンクラ息子の行き場がなくなっちまうでしょうが」


ゲオルクは手を離した。


クラリスの身体がぐしゃりと床に落ちる。


「あなた……どういう……」


セレンが震える声を絞り出す。


ゲオルクはゆっくりと振り返り、笑った。


「お前ももう用済みだ。今までご苦労だったな」


メイドの誰かがくすくす笑う。


(だめだ、このままじゃ……)


クラリスは必死に指先へ力を込める。


動け。動け。動いて。


けれど、ぴくりとも動かない。


(このかんかく、まえ、にも……)


ぐるぐる回る視界。

すぐに黒に染まっていく。


「おい。こいつらを地下へ。まだ殺すな、使い途を考える」


その言葉を最後に、クラリスの意識は、闇へ沈んだ。


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