21話 クラリス、ここへ
高らかに鳴り響くラッパの音。
一斉に入口へ振り返った貴族たちは、その姿を認めた瞬間、息を呑み、静かに頭を垂れた。
穏やかな微笑みを湛えたシュヴァン。
白のタキシードは、ラペルに織り込まれた絹が灯りを受けるたび、静かに光を返している。
その右手にはフィーリアの左手が添えられている。
フィーリアはシュヴァンを見上げ、にこりと微笑む。シュヴァンもまた小さく笑みを返し、そのまま二人はゆっくりとホール中央の舞台へ歩みを進めていった。
並んで歩く二人は、まるで一枚の絵画みたいだった。
貴婦人たちの間から、うっとりとした吐息が漏れる。
「ねえ、どなたをファーストダンスのパートナーになさるのかしら」
「やはり、ロシュフォール家のロザリア様ではなくて?」
「あの方、随分念入りに準備されてたと噂は聞いたわ」
「当然よ、このパーティはね……"そういう"場なのだから」
扇の陰で、貴婦人たちが囁き合う。
ホールの隅で、セレンと並んで頭を下げていたクラリスも、そっと顔を上げた。
けれど、人混みの向こうにいるはずの二人の姿は、ほとんど見えない。
(なんだか遠い人みたい……まあ、実際遠いんだけどさ)
つい先程まで共にいたフィーリアやシュヴァンが、今は姿さえ目にすることができない。
「ルスカ王子殿下がいらっしゃらないわ」
「噂は本当なのね。わたし、王家と繋がりたかったのに残念だわ。市井の診療所なんて足も踏み入れたくないし」
前に立つ令嬢たちは、背後のクラリスに気づいているのかいないのか、くすくすと笑い合っている。
(うーん。これはルスカも来たくないね)
クラリスがふっと笑った時。
楽団の音色がぴたりと止まった。
しんと静まり返るホールに、誰かの靴の音が響く。
ホール中央の舞台で、シュヴァンが片手を上げていた。
「面をあげよ」
シュヴァンの声に、貴族たちはゆっくりと顔を上げた。
「今宵は、よく集まってくれた」
穏やかな声が、広いホールへ静かに響く。
「先日の魔物襲撃により、城下にも少なからず混乱が残っている。準備も、例年通りとはいかなかった」
シュヴァンはそう言って、小さく肩を竦める。
その仕草に、場の空気がわずかに和らいだ。
「……それでも、この夜を迎えられたことを嬉しく思う」
その瞳が、ゆっくりとホールを見渡す。
「どうか今宵は、存分に楽しんでいってくれ」
その言葉とともに、シュヴァンの視線がゆっくりとホールを巡る。
明らかに誰かを探すその視線。
誰が選ばれるのか、ホール中の空気が熱を帯びていく。
(選ばれた方、どうか頑張ってください)
クラリスがボーイからグラスを受け取った、その時。
シュヴァンの視線が止まった。
「クラリス、ここへ」
「……っ!?」
クラリスの肩がびくりと揺れる。
グラスの中の水がちゃぷんと音を立てた。
(そ、そんな、まさか……)
ホール中の貴族たちが一斉に振り返る。
信じられないものをみたかのような視線が、クラリスの身体中を突き刺す。
「クラリス、あなた……行かなくては……」
セレンがそっとクラリスの手に触れ、その手からグラスを受け取る。
(ほ、ほんとに行くの?こんな……こんな、みんな見てる中で……!?)
クラリスは足を踏み出せない。
令嬢たちは扇の陰で、ひそひそと何かを囁き始める。
その時。
クラリスの背中がとん、と押された。
振り返ると、いつの間にか背後にいたカレルが、静かにクラリスを見下ろしていた。
「……お早く」
「な、なんでわたしなの、いっぱいいるじゃん、他に」
カレルはただ首を横に振るばかりだった。
「なんなの?あの方。平民よね?王子殿下のお言葉に従わないなんて」
誰かが放った言葉をきっかけに、ホールはざわめき始める。
「王子殿下をお待たせするなんて」
「失礼だわ」
「早く行きなさいよ」
クラリスが強く拳を握った。
その時。
赤いマントが揺れる。
人混みが左右に割れ、その中央を、シュヴァンがゆっくりと歩いてくる。
(ど、どうしよう、無理だよ、こんなの……)
逃げ出したいのに、足が動かない。
シュヴァンはクラリスの前まで来ると、そっとその左手を取った。
「大丈夫」
にこりと微笑む。
その声音は穏やかなのに、逆らうという選択肢だけが、最初から存在していないみたいだった。
クラリスは、ただ頷くことしかできない。
そのまま手を引かれ――
気づけば、クラリスは舞台の中央に立っていた。
何もかもを燃やし尽くしてしまいそうな視線が、遠くからクラリスを見つめていたことにも気づかずに。




