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20話 社交界へのコンタミネーション


「とうとうこの日が来てしまった……」


クラリスは頭を抱えようとして――


「いけません!!整えたんですから、触れないでください!!」

「はいっ!!」


後ろから飛んできた声に、慌てて手を引っ込めた。


「いや~相変わらずすごいなぁ……」


クラリスは鏡に映った自分の姿をまじまじと見る。





早朝に呼び出され。


「これなんか浮いてない?」

「香油です。三十分漬け込んでいただきます」

「わたしお肉かな?」



「化粧適当でいいですよ。誰もわたしなんかみませんよ」

「いけません!!王子殿下の御命令です!!」

「はい……」



「あの……髪、やり直すんですか……?」

「ええ!誰にも負けない美しい女性にしますからね!!」

「えぇ……」



「こんなに締め上げられたらガッツリご飯たべらんないですよ」

「パーティでガッツリ食事する女性なんかおりません!!」

「……ここにいるけど……」

「なにか!?」

「なんでもありません」



そうして出来上がったのが、鏡に映るクラリスだった。


いつもは適当にひとつへまとめていた髪はゆるく巻かれ、ハーフアップに整えられている。

そこへきらきらと輝く飾りが散りばめられ、灯りを受けるたび繊細に揺れた。


薄いブルーのドレスは上品なレースで飾られ、動くたびに裾がひらりと揺れる。

生地は光を受けるたび、淡くきらめき、素人のクラリスですら、一目で高価だとわかるほどだった。


「すごいなぁ……さすがです皆さん」


「ふふ、素材がいいからですよ」


「ははは……今日は人生で1番ちやほやされていい気分です」


クラリスはくるりと回る。


しなやかなドレスは身体に吸い付くように広がり、ふわりと花が咲くようだった。


(あのマリアンヌ騒動の時は、ルスカがいてくれたけど……)


昨晩の仕事終わりの最後のダンス練習のあと。


『俺は行けない。ダンスは見れるものにはなった。……せいぜい、恥をかくなよ』


そう言い残した顔は、暗がりでよく見えなかった。


(はぁ……そもそもわたしはなんで来たんだろうな)


『あの……お誕生日会は診療所で盛大にやるから、パーティは欠席しても……』

『うん?聞こえなかったな。……なにか?』


シュヴァンにはまるで聞いてもらえなかったのだ。


クラリスがため息をついた時だった。


コンコン。


小さなノックとともに、そっとドアが開く。


「お姉様!失礼しますわ」


鈴の鳴るような声にクラリスは顔を上げる。


「フィー!きてくれたの?」


「当然ですわよ、お姉様……お綺麗ですわ……!!」


「ありがと、なんか皆さんが振ってくれたすごい粉やらなんやらのおかげだよ」


「いいえ!お姉様がお美しいからです!!」


フィーリアの金髪は灯りを受けてきらきらと輝いている。

グリーンのドレスは彼女の美しさを引き立てるようだった。


「フィーの方がすっごく綺麗!」


「まぁ……ふふ、ありがとうございます」


フィーリアはそっとクラリスの手を握る。

その手は少し冷たい。


その時だった。


コンコン。


今度は先ほどよりも少し大きなノック。


「……やあ」


ひょいと顔を覗かせたシュヴァンは、いつもの赤いマントを揺らしている。


フィーリア、それからクラリスへと視線を向け――


一瞬だけ、目を見開く。

けれどすぐに、穏やかな笑みを浮かべた。


「二人とも綺麗だね。……クラリス、よく似合っている」


「殿下、そろそろ」


「ああ」


背後の従者に促され、シュヴァンは短く返事をする。


そのまま足早にクラリスの前まで来ると、そっと頬に片手を添えた。


「……!!」


クラリスが息を呑む。


シュヴァンはそのまま自然な仕草で唇を寄せると、楽しげに目を細めた。


「それでは、後ほど」


踵を返し、赤いマントを翻して部屋を出ていく。ぱたん、と扉が閉まる。


「やりますわね……お兄様……」


フィーリアがきっと閉まったドアを睨む。

クラリスは呆然と頬に手を添えた。


(ち、違う、違う。みんなにやってるんだよ、王族の挨拶だよ)


なのに。

胸の奥が、ずきりと痛んだ。


『傷ついてほしくないんだよ。君のことが、誰よりも大切だから。好きだから』


なぜだかヴィルの言葉が、何度も脳裏に繰り返されていた。










「ラングフォート家当主グスタフ・ラングフォート様、並びに御令嬢アンリ様!」


高らかに響き渡る侍従長の声。

整えられた白髪の老齢の侍従長だが、その声はホール中に響き渡っている。


(なにか魔石なんだろうけど……)


名を呼ばれた中年の男と、その娘らしき若い女性は、大きく開かれた扉の前へ進み出る。二人は優雅に一礼すると、そのままホールの中へと消えていった。


(このシステムなに!?いる!?わたし平民だしファミリーネームないよ!?)


クラリスはごくりと唾を飲んだ。


周囲を見渡せば、いるのは金持ちそうな父親と、その隣で着飾った若い令嬢たちばかり。


それもそのはず、このパーティは外向きにはシュヴァンの生誕パーティだが、実際には"妃候補を選出するための場"だという噂が社交界に広がっているのだ。


「まあ、あの方が?」

「嫌だわ、まさかおひとりで?」

「なんて恥ずかしい……くすくす、平民だものね」


付き添いの男性もいない、けれど妙に仕立ての整ったクラリスは格好の噂の的であり、御令嬢たちの視線を独り占めしていたのだった。


(気まずいよぉ……こういう時は、そうだ、ひとり医療単語しりとりしよ……えーと、頭蓋骨。つ、痛風。う……)


腕を組み、眉を寄せ、呻きながら頭をひねるクラリス。

周囲の人はヒソヒソと声を顰め距離を取る。


そうしていつのまにか人の姿もホールから消え。



トントン。



「あ!ゼンメルワイス!!あ~、それがあったな~」


肩を叩かれたクラリスはぱぁっと顔を輝かせた。


「あの。あなたの番です」


「へ?」


クラリスは周囲を見回す。

あんなにいたはずの人は、今や誰もいなかった。


老侍従長はわずかに眉を寄せると、開かれた扉の前を静かに示した。

促されるまま、クラリスは慌てて中央へ進み出る。


「え~……女性医師の……え~……」


侍従長は大きく息を吸う。


「パン屋のクラリス」


優雅なメロディに重なるように、ホール中からどよめきの声が広がる。


「まぁ……!平民が……なにかの間違いでは?」

「家名もないなんて……」

「なんておっしゃったの?」

「パン屋、ですって」


一部からは怒気を含んだ声さえ響く。


(結構いい声してたな……あの名前呼びおじさん)


クラリスは笑い出しそうになるのを堪えつつ、小さく会釈をする。


そして逃げるように、ホールの隅へと足早に姿を消した。











「まあ、あの幼かったゴリアス家のお嬢様が、お美しくなられましたわね」

「ファウンダー家のアンリ様も、とても聡明とお伺いしております」


貴族たちが優雅に挨拶を交わすホールの片隅で、


「おいしい……なにこのお肉……顎が弱りそうなくらいやわい……」


クラリスは眉を寄せた。

その顔は真剣そのもの。


(ようやくありつけたご飯。しかも肉!!……コルセットで拘束性障害はあるものの……食べねば!!)


その目がぎらりと光った、その時だった。


「お飲み物はいかが?」


楽しげな声とともに、すっとグラスが差し出される。


「あ、ありが……」


受け取りながら顔を上げたクラリスは、ぱちりと目を見開いた。


「セレン!」


思わず声が大きくなる。

遠巻きにこちらを窺っていた貴族たちがぴくりと肩を揺らした。

けれどセレンは気にする様子もなく、するりとクラリスの腕に自分の腕を絡める。


「いいの?その……わたしと話してたら、噂されるかもよ?なんか怖いじゃんここの人」


「いいのよ。わたしも隅の人なんだから。……それより、あなた大変なことになってるわね」


セレンは扇を開きくすくす笑うと、目だけをのぞかせ貴族たちを見る。

貴族たちはサッと目を逸らした。


「笑い事じゃないよ?なんかみんなジロジロ見てくるんだから」


クラリスは手に持つ皿の肉にフォークをぶすりと刺し、口に運ぶ。


「ふふ、ここでそんなに食事する人も珍しいし……それに、あなた」


セレンは扇で隠すようにクラリスの耳に口を寄せる。


「本当に綺麗だもの。嫉妬してるのよ」


その声は、どこか楽しげだった。


「はは……まあ衣装のおかげかな……」


「あら、謙虚ね。わたしお世辞は言わないのよ」


セレンが少しだけ唇を尖らせた、その時だった。



ガシャン!



「おい!」

「た、大変申し訳ございません!」


ホールのどこかで、何かが割れる大きな音が響く。

一斉に視線がそちらへ向いた。

その瞬間。

セレンの指先から、淡い光が溢れる。


「セレン?」

「見て」


少し離れた場所で、誰かと談笑している一人の男。


(あれ……?あの人、どこかで……)


クラリスの視線が男の頭からゆっくりと下へ降りていき――止まった。


男性の身体の一部が、うっすらと黄色く染まっている。


両手。


そして――股間。


「ちょっ……!!やりすぎ……!!」


数日前にクラリスが提案したのだ。


“両手を染めれば、触れた相手がわかるかもしれない”と。


けれど、今実際に目にしたその姿に、クラリスは思わず口元を隠して肩を震わせた。


「ふふ、上手くいったわ。ねえ」


セレンの声はわずかに揺れていた。

クラリスの腕を掴む手にも力がこもる。


「……結果を見るのが怖いのよ。近いうちに、来てくれるかしら」


クラリスはフォークと皿を置き、その手に手を重ねた。


「いいよ。宿題もたっぷり持って行こうと思ってたしさ」


セレンがほっと息を漏らした、その時だった。



高らかなラッパの音がホール中へ響き渡った。


周囲の貴族たちが、一斉に入口へ振り返る。


セレンが扇を閉じ、ふっと笑った。


「……噂の王子様のお出ましね」


クラリスは思わず顔を上げた。

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