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19話 だれにも見えない色


「あ~……ひとりかぁ……憂鬱だなぁ……」


クラリスは水路を進む小舟の上で、大きなため息をついた。


(メイドたち、変だったよな……)


手元の手紙をぱらりと開く。


セレンから届いたそれには、綺麗な文字で長々と診察の依頼が綴られていた。


そして文末には

"くれぐれも内密に"

の文字。


(前回はヴィルがいたからな……元気かな……)


水路の水がちゃぷんと音を立てる。


クラリスは膝の上で手紙を折りたたむと、ゆっくり顔を上げた。










「ようこそいらっしゃいました」


薔薇の香りを纏わせたメイドに案内され、幾つものアーチをくぐり、ようやくたどり着いた小屋。


その前で、赤い髪を風に揺らしたセレンが薔薇の花に鼻を寄せていた。


「奥様。お連れしました」


「ええ、ご苦労様」


セレンが顔を上げると、メイドは一礼して下がっていった。


「先生、ありがとう。今日はお一人なのね」


にこりと微笑む。

やはり化粧気もなければ、香りもまとわせていない。

けれど、繊細なレースで縁取られたシルクの手袋だけが、なぜか妙に目を引いた。


クラリスはその雰囲気に呑まれ、声も発さずただ小さく頷く。


「さあ、行きましょう?お茶を用意するわ」


セレンはクラリスの腕を取ると、小屋の中へとその背を押した。








「さあ、召し上がって?お口に合うといいけれど」


目の前のセレンに微笑まれ、クラリスは小皿のクッキーに手をつけた。

小屋の中にメイドはいないのか、紅茶もクッキーも、全てセレンが用意したものだった。


「あなたって、有名人なのね。社交界では、あなたの話題で持ちきりよ。王子殿下のお妃候補、だって」

「んぐ……!?」


セレンはカップに口をつけながら微笑む。

対照的にクラリスは、慌てて紅茶を口に含んだ。


セレンは目を見開き、それからくすくすと笑みを漏らす。


「ち、違いますよ、こんな平民に、そんなわけないでしょ!」


「あら……そうなの?でも社交界ではみんなその話題で持ちきりよ?あの王子殿下が、ご執心だって」


「いや……それはなにかの間違いで……シュヴァンはからかってるんだよ」


「まあ……!御名前で呼んでるの?そんな人、きっと国であなた一人よ」


「えっ」


そう言われ思い返す。


(そういえばルスカやフィーですら名前で呼んでないな……あれ……死ぬ……?)


クラリスはぞっと顔を青くすると、首をさする。

その様子に、目を丸くしていたセレンはとうとう堪えきれず吹き出した。


「あなたって、可愛いのね。王子殿下がご執心なさるのもわかるわ……わたしの夫とは、大違い」


セレンはそっと目を伏せる。


「今回来てもらったのは前回と同じ理由よ。けれど確信があるわ。きっとそうだって」


小さく息を吐く。


「診察を、お願いできるかしら」


クラリスはセレンをじっと見つめ、それから静かに頷いた。








「やっぱり……」


告げられたクラミジア陽性の結果。

セレンはそう吐き捨てた。


クラリスはカルテに視線を落とす。


(感染してる何人ものメイド。しかも反復感染。そして、奥さんのセレンもまた、何度も感染してる……)


今しがた書き終えたクラミジア(+)の文字。


(どうしよう……もしかしたら、旦那さんが……でももし違ったら大変なことになる。軽々しく言えない)


ペン先がぴたりと止まる。


「あの……セレン。旦那さんとは、話は……?」


「……無理よ」


セレンは小さく首を振る。


「そんなこと言ったら……わたし、追い出されてしまうわ」


そう呟くと、そっと手袋に触れ、目を伏せた。


「わたしはね、元々はもっと高位の貴族の家の生まれなのよ……」








この国に四つしかない高位貴族の長女。

それがわたし。


『セレンお嬢様は天才、いえ、神童でございますわね!』

『すごいぞセレン。お前は父様に似て賢いな!妹とは大違いだ!』

『本当、この子は将来、きっと王子様のお妃になるわ!』


物心がついた時から、ずっとそう言われて育ってきた。


『いつか、女当主になるかもしれんな!』


あの目。あの声。

歳を重ねるごとにお勉強の先生の数は増えた。


妹がお庭で蝶々をおいかけてる時だって、お花の蜜を吸って楽しそうにしてる時だって、ずっとずっとお部屋で算術の計算をしてた。


辛くなかったの。

だって勉強は楽しいし、お父様やお母様が褒めてくださる。

いつのまにか、女当主はわたしの夢だったの。



けれどあの運命の日。


七歳の、能力授与式。


『う~む……この能力では……お妃どころか、貴族では引き取り手が……』

『ですが旦那様、この子だってがんばって……』

『そうはいってもな。お前だって……わかるだろう』


落胆の声、失望の目。


あの日から、全ては変わった。



あんなにいた先生は、だんだんいなくなった。


代わりに、刺繍だのピアノの演奏だの、これまでと全然違うことをやらされるようになった。

本棚の本はいつのまにか消えた。



『お姉様、この家は、わたしが引き受けますから!』


なによそれ。

なによそれ。


わたしはあんたが庭でてんとう虫探してる間も、泥まみれで遊んでる間も、ずっと勉強していたのよ。


『わたしの能力があれば、きっと素敵なお婿様が現れるわ!』


なによ、それ……!!



『結婚おめでとう!!』

『本当に素敵なご夫婦ね……物語みたいだわ』


真っ白なウェディングドレス。

優しそうな旦那様。



そしてわたしは。


妹から何年も遅れて、この格下の家に嫁がされた。


いいえ。


引き取っていただいたの。





  





「そう、だったんだ……」


クラリスはペンを置いた。


「だから、わたしがどんな扱いを受けているか、わかるでしょう?」


セレンはクラリスと視線を合わせぬまま、手袋に手をかける。


一瞬ためらい――

それでも、するりと脱いだ。


「なに、それ……!」


手首には、どす黒い痣。

指の形のように、五つ。


クラリスは息を呑み、そっとそこへ指を添えた。


「こんなのダメだよ!ひどすぎる!わたし、言ってきてあげる!!」


勢いよく立ち上がろうとしたその手首を、セレンが慌てて掴む。


「だめよ!!」


セレンの声が震える。


「旦那様を怒らせたら……わたし、どこにも居場所なんてないんだから……!!」


わっと泣き出したセレンの背を、クラリスは優しく撫でた。


「こんなの、絶対痛いよ。おかしいよ。ねえ、セレン……」


クラリスは一度口を閉じ、小さく息を吐く。


「旦那さん、他にも女がいないかな……この病気はさ、性的接触によってうつることが多いんだよ。だから、その……」


言葉を濁すクラリスに、セレンは涙に濡れた目をゆっくり細めた。


「いいのよ。優しいのね」


そして、小さく笑う。


「……きっとメイドよ」


セレンは窓へ視線を向けた。

咲き誇る薔薇が、風に揺れている。


「あの子達、匂うでしょう?香水の使い方、知らないのよ。本当なら、あんなもの縁もないはずなのに。旦那様が与えたに違いないわ」


「そんな……」


クラリスの手が止まる。


クラミジア陽性。

何度も繰り返される感染。

口を揃えて言う、“旦那や彼氏には話せない”という言葉。

フィーリアの特注香水。

王室御用達。


そして、彼女たちから漂う薔薇の香り。


「けれどね、証拠がないの」


セレンは自嘲気味に笑う。


「あったとしても、どうにもできないわ」


俯いた、その時だった。


「ねえ、医者になろうよ」


「え?」


顔を上げるセレンの両肩に、クラリスは両手をおく。その手は強く力が込められていた。


「勉強は必要だけど、セレンならきっとできる。お金だって稼げる」


「でもそんな……考えたことも……」


「やってみて、ダメならその時また考えよう。でも、やってみないと、なにがだめだったのかもわからない」


クラリスはセレンの目の前にしゃがんだ。


「わたし、いま医学校を立ち上げようとしてて。一期生になってほしいの。とはいっても、まだ全然なんだけど……」


クラリスは困ったように笑う。

けれどセレンには、その姿が窓から差し込む光みたいに明るく見えた。


「セレンはさ、五年後、どうなりたい?」


「わたし……」


セレンは目を伏せた。

手首に刻まれた青い痣。

メイドたちのくすくす笑い。

妹の顔。


セレンは唇を噛む。


「やってみたいわ。自分の力で生きたいの。だれに見下されることもなく」


その声は震えていた。

けれど、はっきりと、小屋に響く。


「うん。一緒にがんばろう」


クラリスは優しく微笑んだ。


「ところでさ……セレンの能力ってなんなの?」


クラリスが首を傾げると、セレンはくすりと微笑みクラリスの手を握り、目を閉じた。


ぱぁっと一瞬光が溢れ、クラリスは目を閉じる。


「目を開けて?」


セレンの言葉に、瞼を開くと――


『クソ野郎』

『みんなくたばれ』

『成金野郎』

『センスなし』


壁中に書かれた悪口の数々。

書き殴られたそれらには、確かな悪意がこめられていた。


「私が書いたのよ。私の能力は"染める"なの。触れたものが染まるわ。わたしと、触れている人以外には見えないの」


クラリスはぱちぱちと瞬きをし――


「ぷっ……あははは!!」


思わず吹き出した。


「これだけできるなら、なんだってできるよ!おかし……っ、これとか……指先ギラギラ親父だって!」


お腹を抱えて笑うクラリスを見て、セレンもふっと笑みをこぼす。


ひとしきり笑い終えたクラリスは、息を整えながら顔を上げた。


「ねえ、セレン。……わたし、いい案があるよ」


その目は、ぎらりと光っていた。

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