18話 美味しいお肉
あれから数日が経ち、クラリスのステップも随分と様になり始めた頃のことだった。
(あぁ……パーティが近い……行きたくない……ドタキャンしたら首飛ぶかな……)
診察室で、クラリスがデスクにぐでんと頬をつけながら、カルテを書き殴っていた時だった。
「クラ先生、次の患者さん再診なんだけど、時間ないから二人一緒がいいって。いい?」
ハンナがカルテを机に置く。
その顔はどこか複雑そうだ。
「え?親子?」
「職場の同僚ですって。別々にって言ったんだけど、聞かないのよ」
「そう……ならいいけど……」
クラリスはカルテを引き寄せ、上体を起こすとページに目を走らせた。
(あー……あのメイド……)
そこにはクラミジア(+)の文字。
クラリスが顔を上げた瞬間、診察室の扉がガラリと開いた。
一瞬で立ちこめる、薔薇の香り。
「せんせーい!ごめんなさいね!時間なくって無理言って!」
「助かるわぁ」
二人のメイドは機嫌良く笑みを浮かべながら入室すると、一人は椅子、もう一人はベッドに腰掛ける。
「それはいいけど、どうしたの?」
「前と同じなのよ!痒いし、トイレで痛むの!またアレだと思うのよ!」
「えぇ……?」
屈託なく笑うメイド達に、クラリスはペン先で頭を掻いた。
「ねえ、前に話したよね?旦那さんだか彼氏だかはどうなったの?そっちを治さないと、ずーっと感染するよ?」
クラリスは二人分のカルテを並べる。
前回のページには"配偶者の治療必要"の文字。
メイド達は顔を見合わせ、くすくす笑いながら肩をすくめた。
「一応話したけど……ダメだったの。ごめんなさいね」
「ふふっ、わたしも」
どこか楽しそうですらある二人に、クラリスは眉を寄せる。
「……とりあえず、顕現するから。ちょっと待ってて」
クラリスは魔法陣の紙が綴じられたファイルに手を伸ばした。
「またクラミジアだよ?二人揃って」
「やだぁ~、そうだと思った!」
「ね~」
二人はきゃいきゃいと声を上げ、楽しそうに両手を合わせる。
「あのねぇ、放置したら色んな病気に繋がるんだよ?赤ちゃんできなくなったりしたら困るでしょ?」
「はーいごめんなさぁい!」
まるで悪戯を叱られた子どもみたいな返事。
クラリスは深々とため息をついた。
「消したからもう大丈夫、とか思ってるでしょ。そういう問題じゃないんだからね」
「えへへ、わかりました!」
クラリスはカルテにペンを走らせながら、ふと思い出したように顔を上げた。
「あ、ねえそうだ。奥さん元気?セレンさん、だっけ?」
その瞬間。
二人のメイドは顔を見合わせ、くすくすと笑い始めた。
「お元気よ!だって……ねえ?」
「そうよ、感染なさることあるのかしら?」
妙な言い方に、クラリスは眉を寄せる。
「……?」
「奥様って素朴な方だから。流行りもご存知ないの」
「そうそう。旦那様はおしゃれなのにね?」
メイドの一人がもう片方の肩へ手を置き、くん、と香りを嗅ぐように鼻を寄せる。
嗅がれたメイドはくすぐったそうに身を捩らせた。
「あ……もしかしてその香水のこと?」
「あら先生、知ってるの?おしゃれな女の子ならみんな知ってるものね」
「ね~。わたしもフィーリア様みたいになれたらなぁ」
二人は両手を合わせ、きゃいきゃいと笑い合う。
その時。
「ちょっと!雑談なら待合室でやって!患者さんいっぱい待ってるんだから!」
ハンナがカルテを抱えたまま診察室へ顔を出した。
メイド達は「はぁい」と笑いながら立ち上がる。
「せんせーい!またね!」
ひらひらと手を振りながら出ていく二人。
「こら!病院なんかくるもんじゃないよ!」
ハンナが呆れたように扉を閉める。
クラリスはペンを止めたまま、しばらくその背中を見つめていた。
その日。
月が姿を見せない待合室を、ランタンの光がゆらゆらと照らしていた。
魔法陣から流れるワルツに重なるように、靴の音が静かに響く。
「1、2、3……ターン」
ルスカに導かれ、クラリスは身体をくるりと回す。
白衣の裾がふわりと広がった。
「大分形になってきたな」
「ほんと?」
「ああ。だが目線は前だ」
ルスカの指摘に、クラリスは慌てて顔を上げた。
「ルスカの鬼シバキのおかげだね。ありがとう」
ぱっと浮かんだ笑みに、ルスカは一瞬目を見張り、それからすぐに視線を逸らす。
「……鬼シバキは余計だ。おい、そこ違う」
「あっ!ごめんごめん」
クラリスが繋いだ指に力を込めると、ルスカの指先もまたぴくりと揺れた。
「……パーティ、もうすぐだろ。お前、どうするんだ?兄上と……」
口をつぐみ、繋いだ手を上に掲げる。
導かれるまま、クラリスが再びくるりと回った。
「どうもこうも……珍獣枠じゃない?“民間女医です!”みたいな」
(こいつ……)
ルスカはちらとクラリスを見下ろし、ふいと視線を逸らす。
「どうだかな……お前、出会った時から兄上のことが……その、好き、なんじゃないのか」
「前にも言ったでしょ!推しと好きは違うの。……あっ、ごめん!」
踏んでしまったルスカの足から、クラリスは慌てて自分の右足を退けた。
「推しはね、美味しいお肉なの」
「は?」
ルスカは眉を寄せる。
「美味しいお肉みたらさ、"美味しそう!"って言うじゃない?でもお肉と結婚しようとは思わないでしょ?そういうこと」
クラリスはさも当たり前のことを言ったかのように、にこりと微笑んだ。
「……兄上が、美味しいお肉……」
ワルツの曲が静かに響く。
「……ふっ……」
ルスカは耐えきれず笑みをこぼした。
「わ、笑った!?」
クラリスは目を丸くし、ルスカを見上げる。
が、ルスカは顔を背けると、咳払いをし顔を戻す。
「……お前の心理は特殊だぞ」
「そうかなぁ」
首を傾げるクラリス。
けれどルスカはほんのわずかに口角を上げた。
「……まあいい。だが、お前」
ルスカは視線を落とし、繋いだ手を少しだけ引く。
「ちゃんと、考えておけよ」
「え?」
クラリスはぱちりと瞬きをする。
(ヴィルも、同じこと……)
「……なんでもない。続けるぞ」
ルスカは足を引いた。




