6話 診察室の可愛いメイドさん
「おい!おせぇ!患者溜まってんぞ!!」
息を切らして診療所にたどり着いた三人に、診察室から顔を出したミュラーの怒号が飛ぶ。
「す、すみません!すぐいきます!」
三人はそれぞれ白衣を羽織り、山のように積まれたカルテへ手を伸ばす――その時だった。
「クラ先生はこっち!」
ハンナにぐいと腕を引かれ、クラリスはひとつの診察室の前へ連れていかれる。
「若い女の子だから!先生ね!」
カルテを押しつけると、ハンナはそのまま走り去った。
クラリスはカルテに目を落とす。
「18歳女性、昨晩からの腹痛……」
(よし、集中)
ぱしん、と両頬を叩いて気合を入れ、扉を開ける。
――甘い匂い。
薔薇のような、けれど嗅いだことのある香りが鼻をつき、わずかに眉を寄せる。
診察室のベッドには、付き添いもないメイド服の女性が横たわっていた。
腹を押さえ、苦しげに顔を歪めている。額には脂汗が浮かんでいた。
「……痛い……早くなんとかして……」
絞り出すようなその声に、クラリスは小さく頷いた。
「わたしは医師のクラリスよ。もう大丈夫。いま診るからね。もう少し頑張ろうね」
女性は弱々しく微笑み、小さく頷いた。
メイド服が診察の大きな壁となった。
痛がる女性を横向きにし、なんとかメイド服を脱がせ所見を取っていく。
(右上腹部痛、反跳痛もある。Murphy兆候は陰性で、背部は問題なし……)
さらさらとカルテに記載すると、机の上のファイルから二枚の紙を取り出した。
紙には緑のインクで描かれた魔法陣。
(前まではヴィルを呼んでたけど……)
紙を女性の上にかざす。
ぱぁ、と淡い光。
クラリスの脳裏に像が浮かぶ。
(……見える。魔法陣さまさまね)
肝臓と横隔膜の間に、癒着。
付属器周囲にも炎症。
(やっぱり……)
クラリスはそっと息を吐いた。
「診断はfitz-hugh curtis症候群ね」
クラリスはカルテを書く手を止めると、顔を上げた。
「ふぃ……なんですか?それ……?」
メイド服に戻った女性は眉を寄せた。
すでに“消去”と“鎮痛”を終え、顔色はかなり戻っている。
「簡単に言うと性病よ。クラミジアって菌が性器から体の中に入って、悪さをしてるの。あなたの場合は肝臓のあたりまで炎症が広がってた。もう菌は消したから、痛みは落ち着くはず」
クラリスはカルテに目を落とす。
"肝横隔膜周囲に癒着"の文字。
「ええと……?」
「要は性行為で菌がうつるってこと。仕事はメイドよね?ご結婚は?」
「してます、けど……」
「ふーん……」
ペン先が一瞬止まる。
(18歳のメイドで、既婚……)
おかしくはない。
……それでも、何かが引っかかる。
その違和感を、クラリスは言葉にできないまま書き進める。
「じゃあ旦那さんからかな。失礼だけど旦那さん、外で、その……遊んだりは?」
「してないはず、ですけど……でも」
女性はむくりと起き上がる。
「最近帰りが遅いの!!」
拳を握りしめる。
「絶対それだわ!!」
その勢いに、クラリスは思わず小さく笑う。
「まあ、そこはわたしにはわからないけど……旦那さんも連れてきてくれる?」
「先生も怒ってくれるの!?」
女性はクラリスの手に手を重ねた。
クラリスは目を瞬かせ、首を振る。
「いや、そうじゃなくて……旦那さんも治療しないと、二人がその……仲直りしたら、貴女がまたうつされちゃうからさ」
「あら……!」
女性は一瞬目を見開き、
「でもしばらくはさせてあげないんだから!!」
と、少しずれた勢いで言い切った。
「はは……」
クラリスはカルテに「夫も受診指示」と書き足す。
その間に女性はすっと立ち上がり、手早く身なりを整えた。
「助かったわ。この調子なら仕事に戻れそう」
「無理はしないでね」
「ええ、ありがとう!次は夫と!」
手を振り、診察室を出ていく。
その背中を、クラリスはカルテを書くペンを動かしながら目で追った。
――香りだけが、やけに強く残る。
(……最近どこかで嗅いだ香りだな……)
胸の奥に、小さな引っかかり。
なぜかシュヴァンの顔が頭をよぎる。
『……もっと君を知りたくて、たまらなくなった。……おかしなことにね』
あの言葉が、まるで今囁かれたかのように耳元を騒がせる。
ぽたり。
「あっ……!!」
カルテの上にインクが落ち、"クラミジア消去"の文字がにじんで見えなくなる。
「も〜……!!集中!!仕事!!」
クラリスはぶんぶんと首を振ると、カルテを診察終了の箱へ放り込んだ。




