5話 簡単じゃないよ
翌朝。
クラリスとヴィル、ルスカの三人は、足早に診療所へ向かっていた。
「昨日はまた夜遅くにお母さんが来て、部屋の掃除しなさいって見張り始めてさ。参っちゃった」
いつも通り笑いながら寝坊の言い訳をするクラリス。
いつもなら、ルスカの小言とヴィルのフォローで賑やかな道のりだった。
けれど。
「そっか……」
「……」
今日は、通りの賑やかさだけが三人の間を流れる。
「ねえ……クラ、あのさ……」
ヴィルは口を開きかける。
だが、
(聞けない……。“何があったの”って、それだけなのに……)
結局、また口を閉じた。
足を止めたヴィルのもとへ、クラリスが不思議そうに近寄り、見上げる。
「どうしたの?ヴィル?」
顔が近づくと、ヴィルはすぐに目を逸らした。
「体調悪い? 診察しよっか?」
クラリスが心配そうに眉を下げ、ヴィルの額に手を当てる。
「熱くはないかな? 花粉?」
小さく首を傾げた。
(変わらないな、昔から……)
七歳で出会って以来、何度も額に触れられてきた手の感触が脳裏をよぎり、ヴィルは思わず笑みをこぼした。
「……ちがうよ」
視線を落とし、再び足を進める。
クラリスもその後ろに続いた。
「ねえ、貴族の医学校どうだったの? 見学、行ったんでしょ?」
「医学校……?……あっ!!そうだ!学校!!」
突然のクラリスの大声に、少し前を歩くルスカがびくりと肩を揺らした。
「あの日、医学校行かなかったの?」
「そうなの。診療所を出たらシュヴァンが来たんだよ!」
その名にヴィルの指がぴくりと動く。
「で、学校向かって……だめだ、思い出せない」
「……そっか。でも、大丈夫なの?やっと見学の日程取れたって言ってたよね?」
「いやぁ……大丈夫じゃない。先方がなんかめちゃくちゃ感じ悪い人だったから……謝って、許してくれるかなぁ……」
クラリスが弱気に声を震わせた、その時だった。
「僕が話を通しておくよ」
突然、背後から落ちてきた声に、今度は三人ともびくりと肩を揺らした。
振り返ると、すぐ後ろにシュヴァンがいた。
(いつの間に……!?)
驚きを隠せない三人を他所に、にこやかに笑みを浮かべ、片手を上げている。
その背後には何人もの騎士たち。
道行く人々の中には、気づいて足を止め、慌てて頭を下げる人もいた。
「シ、シュヴァン。お、おはよ……?」
戸惑うクラリスを気にすることもなく、シュヴァンはただ真っ直ぐクラリスを見つめ、微笑んだ。
「おはよう。朝がこんなにも清々しいのは初めてだよ」
クラリスの頬が、じわりと赤くなる。
(あ、朝から、推しが……!!なんか近い……!! だめだ、普通に……!!)
「ところで」
シュヴァンはようやく視線をずらし、ルスカとヴィルを見る。
「いつも三人で診療所に?」
その声音は穏やかなままだった。
だが、次にルスカへ向けられた目には、わずかな熱が滲んでいた。
「……羨ましいよ、ルスカ」
ルスカはぴたりと息を止める。
シュヴァンはそっと、その肩に手を置いた。
ルスカの喉が小さく鳴る。
その時。
「殿下! お時間が……!」
背後の騎士が声をかける。
シュヴァンは一瞬だけ表情を消した。
けれどすぐに、また微笑みを浮かべる。
「これまでのようだ。クラリス。いつにしようか」
「えっ!?」
クラリスの声が裏返る。
「医学校だよ。僕にまかせたまえ」
「殿下! お急ぎを!」
騎士の声が重なる。
その様子に、クラリスも焦って視線を走らせた。
「あっ……えっと、次の休みは明日、かな……?」
「わかった。空けておくよ。では、また」
シュヴァンはくるりと踵を返す。
道を開けた騎士たちの中央を、赤いマントが通り抜けていく。
やがてその背は小さくなり、騎士たちも続いて、姿は見えなくなった。
「……なんかよくわかんないけど……せっかくだし明日は絶対学校見学行く」
クラリスは拳を強く握った。
「そうだ、推しだなんだ言ってる場合じゃない。"魔法陣で金儲け"は失敗した今、医者を量産して過労死脱してみせるんだから!」
意気込んでどすどすと足音荒く歩き始めるクラリス。ルスカも無言でつづいた。
「……そんなの、簡単じゃないよ……」
ヴィルは眉を寄せたまま、ただクラリスの背中を追いかける。
そんな三人の姿を、物陰から、じっと見つめる男が一人。
その右足は、細かに貧乏ゆすりを繰り返し、親指の爪を、ぎり、と噛む。
「くそっ……なんとか、しねぇと……!」
小さな舌打ちが、響いた。




