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4話 名前を呼ぶ夜



月も下りかけた頃。

診療所のドアが開くと、視線が一斉に入り口に向く。


「戻りました」


ルスカの声。

そこには、クラリスとルスカが立っていた。


「クラリス!!無事だったか!!」


ミュラーのひと声をきっかけに、がたがたと椅子がなる。


「みんな、こんな時間まで……心配かけちゃったね」


クラリスが照れくさそうに笑う。


その横で、ルスカはわずかに息を吐き、肩の力を抜いた。


フィーリアがすぐに歩み寄り、クラリスの頬に手を添える。


その手は、ひやりと冷たい。


大きな瞳には、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。


「お姉様が、戻られないと聞いた時は……もう……もう……」


フィーリアは緑のハンカチでそっと目元を抑える。


「フィーリア様は本来このような時間に外にいることは出来ないのです。……以後面倒をかけぬよう」


カレルは低く告げると、ふいと目を伏せる。


フィーリアはそのままクラリスの耳元に顔を寄せた。


「カレルも心配していましたわ」


小さく囁く。


クラリスとフィーリアが同時に視線を向けると、カレルは今度こそ窓の方を向いた。


「ねえ、何があったの?」

「そうだよ、クラが全然帰ってこないから、街中探したんだから……」


腰に両手を当てるアニと、その隣に立つヴィル。


ヴィルの顔は、はっきりと分かるほど青ざめていた。


「それが、覚えてないんだよね。気づいたら閉じ込められてて、それに……」


言いかけて、クラリスの言葉が止まったその時だった。


ガチャリとドアが開く。


皆が振り返ると、そこには先程までの軽装とは違い、いつもの礼装のシュヴァンがいた。

背後には兵たちが跪き、赤いマントが風に揺れる。


「……無事に、帰ったね」


「お兄様!」


フィーリアが目を見開く横を通り過ぎ、シュヴァンがクラリスに近寄る。


その瞳は穏やかで、でもどこか熱を灯していた。


「……今日は……」


シュヴァンが手をクラリスの頬に伸ばす。


「……もっと君を知りたくて、たまらなくなった。……おかしなことにね」


フィーリアが息を呑んだ。


「……あとのことは、僕に」


その手はクラリスに触れる直前で、そっと引かれる。


「うん。……またね」


一瞬、言葉を探すようにクラリスの視線が揺れる。

だが、すぐにその顔を見上げて口を開く。


「シュヴァン」


今度は二人の周りに立つすべての人間と、跪く兵たちでさえ息を呑んだ。


「ああ。……また」


シュヴァンは名残惜しそうにゆっくりと背を向けると、ひらひらと手を振り兵たちの中央を通り夜へと消えた。


誰もが動けずにいる中、クラリスはそわそわと視線を動かし、あっと声を上げる。


「わたし荷物とってくる!」


診療所奥に小走りで消える背中。


「あーあ……」


アニのひと声が響く。


アニは、ヴィルとルスカに視線を移す。


二人とも、固まっていた。









翌朝。


診療所にはクラリスの姿があった。

その隣には、心配そうに付き添うヴィル。


「怪我はしてませんから!働けますよ!」


クラリスがそう笑うと、ミュラーはじっとその顔を見つめたあと、がしがしと頭を撫でた。


「……無理はするなよ。それに、あとで聞きたいことがある」


いつになく神妙な声。

だが口元はむずむずと動き、視線が落ち着かない。


その先にいるのはルスカとヴィル――二人とも、はっきりと疲れを滲ませていた。


「おっさんさぁ……」


アニがミュラーの脇腹に肘を入れる。

ミュラーがびくりと跳ねた。


「だって気になるだろ!王子だぞ!どうみてもなにかあっただろ……!!」


「乙女じゃん」


アニがため息をついた、その時だった。


「先生たち!!大変!!」


ハンナが休憩室に飛び込んでくる。


「シュヴァン王子殿下がみえてます!」


その一言で、空気が止まった。


ハンナの後ろに、赤いマントが現れる。


だれしもが目を見開き、息を呑む。


「おはよう。邪魔するよ」


深夜まで幽閉されていたとは思えないほど、いつも通りの優雅さ。

整った足取りで、まっすぐクラリスの前へと歩み寄り、じっとみつめる。


(あ、朝から、推しが……!!ちがう、やめるんだ推し扱いは……!!でも顔が強い……!!)


クラリスの頬が、じわじわと熱を帯びる。


シュヴァンはその変化を見逃さず、わずかに目を細めた。


「おはよう、クラリス。……そう、呼んでいいよね?」


ゆっくりと手が持ち上がる。

肩に触れる、その寸前で――止まった。


(ダメだ、普通に……ルスカやフィーみたいに……!!)


クラリスはぎゅっと拳を握る。


「……うん、いいよ。おはよ、シュヴァン」


震える声はやや裏返っていた。


一瞬の沈黙。


だが、シュヴァンは満足気に笑みを浮かべると、


「……また」


軽く言い残し、くるりと背を向けた。

赤いマントがひらりと揺れ、足早に姿を消す。


ぽかんと口を開けたまま、クラリスは立ち尽くす。



「ねえ……なにこれ!?なにこれ!?」


ミュラーが甲高い声を上げ、アニの肘が即座に飛ぶ。


「視察場所が近かったとかでしょ。偶然だよ、ぐうぜん!」


吐き捨てるように言うアニの横で、ミュラーがうずくまる。


(あの兄上が……?まさか、そんなこと……)


ルスカは静かに眉を寄せる。

その隣で、ヴィルは無言のまま視線を落としていた。


――だが、その後も。


「やあ。お昼かな?」


そう言っては固まるクラリスの横に座り、パンを食べるクラリスを眺めてすぐに立ち去る。


夕日の差し込む診療所に赤いマントが揺れ、


「やあ。仕事はどうだい?」


ただそれだけを告げて姿を消す。


(な、なんで……!?)


カルテを書く手が固まるクラリス。


「……さすがに多くない?」


ミュラーが小声で呟く。


今度はアニも何も言わない。


その視線の先で――


ルスカとヴィルが、無言で顔を見合わせていた。

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