2話 僕が、君と同じ
「……クラリス嬢?」
シュヴァンが呟いた、その瞬間。
「う、うわああああ……っ!!」
情け無い悲鳴が部屋に反響する。
クラリスだ。
左腕を庇うように、ごろごろと転がっている。
「し、痺れ……手が……サタデーナイト症候群……っ!!」
シュヴァンは一瞬きょとんとし、次の瞬間、堪えきれず、ふっと笑みをこぼす。
が、はっとして、口元を隠した。
ゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡す。
石造りの部屋は二人が寝転がるのがやっとの狭さだ。
窓から差し込む月明かりが、蜘蛛の巣を照らしていて、どこか幻想的ですらある。
だが。
重厚な鉄の扉が、そのすべてを否定していた。
「……閉じ込められているようだね」
シュヴァンは顎に手を当て、わずかに思案する。
やがて小さく首を横に振った。
「僕はここに至る経緯の記憶がない。……君は?」
シュヴァンが視線を落とす。
クラリスは足元で左腕を抱えたまま、涙目で首を横に振った。
シュヴァンはそのまま膝をつく。
すっと手を伸ばすと、クラリスの左腕に触れる。
そしてゆっくりと、撫で上げた。
「……怪我、したのかい?見た目には、わからないけれど」
「……っ!!!」
クラリスは声にならない悲鳴をあげる。
(お、推しが……っ!!嬉しいような、余計痺れるような……!!)
クラリスは明らかに痺れの増した左腕を押さえながらシュヴァンを見上げる。
月明かりに照らされた彼は、わずかに首を傾げ、穏やかに微笑んでいた。
頬にじわりと熱が集まる。
「い、いえっ……!!大丈夫です!!なんにもありません!!ええ、しびれてなんか、ないです!!はい!!」
クラリスは慌てて身体を起こすと、石の上に正座した。
その挙動のあまりの不自然さに、シュヴァンは一度だけ目を瞬かせる。
だがすぐに、いつもの微笑みに戻った。
(こんな密室で推しと二人なんて……!!やっとわたしにご褒美ターンが来たんですね!?)
クラリスが正座のまま顔を伏せ動けなくなったのを横目に、シュヴァンは小窓に手をかけ身体を持ち上げ外を覗く。
いつものマントはなく、服装も街の人と変わらないような軽装だった。
(こんな装いの推し見るの初めて……違う、そうじゃない)
クラリスは眉間に手を当て考える。
だが、
(やっぱり思い出せない。脳震盪かな……?)
小さく首を傾げた。
「……だめだ、なにも見えない」
とん、と軽やかに着地すると、今度は扉に手をかける。
「……開かないね。ふむ……」
その時。
「あ!わ、わたしが消しましょうか?扉!」
クラリスがはっと顔を上げた。
が、シュヴァンは否定するように首を振る。
「……敵の数が読めない。ここで扉を消すのは、少し賭けが過ぎるかな」
「そ、そうですね……」
クラリスがしゅんと肩を落とすと、シュヴァンは微笑みを浮かべた。
「……だが、いい案だった。またなにか思いついたら、話してくれ」
ぽんと肩に手を置くと、シュヴァンはクラリスの横に座った。
(幸せすぎる……)
隣から香る石鹸のようなにおいがクラリスの鼻をくすぐる。
(……これ、わたし今日死ぬっぽいな……)
クラリスはぽかんと口を開けしばらく放心していた。
しかし。
「……嬢。クラリス嬢?」
「は、はいっ!!!」
慌てて顔を向ける。
シュヴァンは、不思議な生き物を見るような顔で首を傾げていた。
「も、申し訳ないです、ちょっと、意識が飛んでおりまして、けれどもJCSはⅠ-1で意識は清明で……!!」
口を走らせながら、
(もぉ~~~なにいってんのわたしは!!)
クラリスは頭を抱えた。
「頭、痛むのかい?……頭をやられたのかもしれないね」
(メロい……心配してくれてる……わたしの頭おかしい挙動を……)
穏やかなその声に、クラリスが今度は肩を落としていると。
「少し休むといい。僕が見張っている」
その言葉に、クラリスはがばりと身体を起こした。
「い、いいえ!わたしなんかよりシュヴァン王子が休んでください!わたしが頭やられてるのはいつもですから!」
「……僕は大丈夫だ。女性のきみが休息を」
「いいえ!!わたしは女ですが頑丈です!0歳から鍛えてます!それよりシュヴァン王子が休んでください!」
シュヴァンはぱちぱちと瞬きを三度ほど繰り返した。
やがて小さく息を吐き、微笑む。
「いいから休みなさい。王子様はね、寝ないんだよ」
(アイドルはうんこしない神話の王子バージョン……!?)
クラリスの頭に、雷のような衝撃が走る。
だが。
「……そんなわけないですよ」
一歩、言葉を選ぶ。
「王子様だって、人間です。骨も、内臓も、わたしと同じ細胞からできてます。寝ないと、死ぬんですよ」
前世の高梨の最期が脳裏によぎる。
ぞっと顔を青くし、両腕を抱えさすった。
「……」
シュヴァンは、何も言わない。
その沈黙が、やけに長く感じられた。
耐えきれずクラリスがそっとシュヴァンの方を向いた、そのときだった。
「……僕が、きみと同じ」
その言葉は、まるで自分自身に問いかけるように、ゆっくりと落ちた。
シュヴァンは息を止め、その顔からは、いつもの微笑みが消える。
見開かれた瞳に映っているのは、ただ一人――クラリスだけ。
(あれ……?お気に召さなかった……?やはりわたし、死ぬ……?)
震えながらも、クラリスが小さく頷いたその時。
「……けれど」
シュヴァンの声が、わずかに揺れた。
「君だって、僕を王子扱いするじゃないか」
その横顔は月明かりから外れ、表情は見えない。
「……ルスカや、フィーリアとはちがって」
「一応、わたしにも社会性ありますからね。……シュヴァン王子の周りの人、なんか……目が怖いし」
「……そうか」
小さく笑う。
けれどその笑みは、どこか力が抜けていた。
「ふっ……」
シュヴァンは一度、顔を腕の間に埋めた。
わずかに肩が揺れる。
そして数秒後、ゆっくりと顔を上げる。
月明かりを背にしたその表情は、やはり微笑んでいるのに――
(なんて、寂しそうな……)
クラリスの胸が、どくんと大きく鳴る。
(……あれ?)
一瞬だけ、引っかかる。
脳裏に浮かぶのは、城を見上げていたルスカの横顔と、諦めたように笑っていたフィーリア。
だがすぐに首を振った。
(推しだからって、メロついてちゃだめだ。だって、もしかしたら……)
クラリスは膝の上で揃えた手をぎゅっと握る。
おそるおそる、口を開いた。
「……やめましょうか?王子扱い」
シュヴァンはほんの僅かに息を呑み、ただクラリスをその瞳に収める。
動きはなく、肯定とも否定とも取れない。
けれど、クラリスの目には、シュヴァンの瞳がきらりと輝いたように見えた。
(だ、だめだ、この人に見つめられると、胸がドキドキして……でも、それもやめなきゃ、この人のために!)
クラリスは頬を染めながら、大きく息を吸い込んだ。
「じゃあ、じゃんけんで順番決めよ!シュヴァン!」
――その目は、さっきまでとは違っていた。




