最終話 今世こそは、老衰を
あれから、夜は終わらなかった。
松明の火は絶えることなく燃え続け、
溶かされる魔石の熱が、何度も夜を塗り替えた。
「おい!次の石溶かせ!こっち終わるぞ!」
「先生たち、夜食用意してきたよ!」
声は途切れず、手は止まらず、
治癒した者が次の患者を支え、列はゆっくりと、確実に短くなっていった。
やがて、空が白みはじめる。
ようやく朝の光が差し込んだころ、
列の終わりが、はっきりと見えた。
「はい、これでどうかな?咳は、ない?」
最後に受診した男の子が、はにかみながら頷く。
その瞬間。
張りつめていた糸が切れたように、クラリスはその場にぺたりと座り込んだ。
大きく、息を吐く。
見上げた空は、透き通るような青だった。
徹夜明けのまぶたに、太陽の光が容赦なく突き刺す。
「……終わった」
かすれた声で、つぶやく。
「過労死するかと思った……」
その声は、人々の歓声に紛れて誰にも届かない。
それでも。
朝の光は、まぶしいほどに、やさしかった。
あの魔物襲撃事件から、パストリア王国には確かな変化が訪れた。
魔法陣の発展だ。
王は、魔法陣と魔石の存在を公にすることで、民の不満が爆発するのではないかと危惧していた。
確かにそんな声も一部からあがった。
けれど、怪我を負いながらも魔物と第一線で戦うシュヴァンの姿を、診療所で夜通し戦うルスカの姿を、多くの民は自らの目で見た。
なにより、あのフィーリア姫が怒り狂う王に逆らって国民のために提言をした、という美談。
なぜだかそれが、何よりも民の心を打った。
反乱の芽すら育たなかったのだ。
代わりに、民の間に芽生えたのは――関心だった。
診療所で、ささやかな能力が魔法陣となり、人を救う力へと変わる。
その光景を、ほとんどすべての市民が目にしていたのだ。
その結果。
この国で唯一魔法陣化の能力を持つヴァルディス家に、大いなる注目が集まった。
そして。
「あのさぁ……この計画書だけど」
机に肘をついたアニが、書類をひらひらと振る。
「トイレにこれ設置したら“流れる”って……どうやって魔法陣をトイレに置くわけ?掃除できるからって、魔石の値段考えてる?各家庭の予算、見た?」
「は、はいっ……!!すみません……!!」
ぺこぺこと頭を下げながら出ていく男。
「……やってんなぁ、アニ」
診療所の軒先でそれを眺めながら、ミュラーがぼそりと呟く。
「暮らしの発展に携われるのが、楽しくて仕方ないみたいですよ」
「そうかぁ……今まで貴族の嗜好品にばかり使われるの、嫌だったんだもんなぁ……。そりゃあ、よかったよ……でもなぁ……」
ミュラーは、隣に建てられた立派な建物を見上げる。
「俺の診療所の横に、俺の診療所よりでかい事務所を、キャッシュ一括で建てられた俺の気持ち、わかる?」
目尻にじわりと涙を浮かべるミュラー。
クラリスはぽん、とその肩を叩いた。
「先生はあと三十年ローンですもんね」
「そのとおりだよ!!」
ミュラーはその場に膝をつき、天を仰いだ。
アニは診療所の横の空き地を買い取った。
そして魔法陣化のための事務所を構え、毎日厳しい審査を行っている。
危険性はないか。
再現性はあるか。
本当に暮らしを良くするのか。
訪れる者は手厳しい意見を“いただく”ことになるが――
貴族には高額の相談料を。
平民にはほぼ無料で。
その結果、事務所の予約は途切れることがなかった。
更にアニは隙あらば診療所にも顔を出している。
そして。
その横で、今日もため息をつく者は、ミュラーだけではない。
「はぁぁ……」
患者のはけた診療所で、クラリスは大きくため息をついた。
「抜けてたよね……特許の存在。この世界に特許さえあれば、いまごろ大金持ちだったのに……」
目尻をうっすら潤ませる。
「まあまあ、クラ。クラの魔法陣のおかげで、みんな元気に暮らせてるんだし。よかったじゃない」
「それはそうだけどさ!!」
クラリスもまた天を仰ぐ。
「魔法陣あっても結局毎日残業だよ!!過労死するって!」
ぐい、とカップを飲み干し、机に置く。
ルスカが本から顔を上げた。
「……お前、結局休みの日もここにきてるじゃないか」
「それもそう!!なぜかきちゃう!!」
頭を抱える。
「そもそも、魔法陣を治療に使える人が少なすぎるんだよ……。知識がないと危ないし……。教育を貴族にしか与えない国が悪い。ほんと、国が悪い」
「お前は飲み屋の親父か」
ミュラーがぽこ、と本で頭を叩く。
「国が悪い……そう、国が……」
ぶつぶつ呟きながら、クラリスはゆっくり顔を上げた。
「ク、クラ?大丈夫?」
「……当たりどころ悪かったんじゃないの?」
「そんなに強く叩いてないだろ!!」
「先生、一応元軍人ですからね」
ルスカの一言が落ちる。
その瞬間。
クラリスの目が、かっと見開かれた。
「……あ」
椅子ががたん、と鳴る。
「作ればいいんだ。学校!!」
一瞬の沈黙。
「……は?」
「医者を量産する!!そうすれば、わたしが働かなくて済む!過労死しなくて済む!!」
拳を握りしめる。
「もうプール付き豪邸は望まない!せめて……せめて今世こそは、老衰してみせる!!」
その宣言は、診療所の外まで響き渡った。




