38話 継がれる炎
一方、診療所。
ようやく上がった雨の名残を拭うように、クラリスは張り付いた前髪を払いのけた。
魔法陣による治療は、順調に進んでいる。
……残り枚数を、除いては。
「クラリス。残りはわずかだ。……ルスカも戻らん」
ミュラーが低く言う。
その視線の先には、咳を押さえながら列を成す人々。
「……やむを得ん。重症以外は治療を中断すべきだ」
苦々しい判断。
クラリスは奥歯を噛み締め、思わずミュラーの胸元を掴んだ。
「でも!!いま軽い症状の人だって、いつ重症化するかなんてわからないんですよ!未知の物質だし、治療介入は早いほどいいはずです!!」
「そうはいっても、ないものはねぇんだ!」
ミュラーの声が鋭くなる。
「死にそうなやつから助ける!軍の基本だ!」
クラリスははっと息を呑む。
(それは……そうだ)
ゆっくりと手を離す。
ミュラーは短く息を吐き、ぽん、とクラリスの頭を軽く叩いた。
「お前の気持ちはわかる。だが、選択はしなきゃならん」
クラリスの胸の奥で鼓動が強くなる。
そのとき。
「開けてーっ!!道を開けて!!」
列の外から怒鳴り声が飛び込んだ。
「怪我人だ!!子供がやられた!!」
人混みが割れ、子供を抱えた父親が姿を現す。
頭はタオルで覆われ、その布はどす黒い赤に染まっていた。
クラリスとミュラーは一瞬視線を交わし、すぐに駆け寄る。
「柱が倒れてきたんだ!頭に当たって…!!助けてやってくれ、まだ七歳なんだ!!」
父の声を背に、ミュラーは子供を抱き取り、診療台へ運ぶ。
「ぼく、わかるかな?お名前いえるかな?」
クラリスが目線を合わせる。
子供はかすかに瞼を持ち上げた。
「……マルコだよ」
「ここ、どこかわかる?先生の手、握れる?」
小さな指が、弱くクラリスの手を握る。
ミュラーが低く言う。
「頭部直撃だな。他は大きな外傷はなさそうだが……ヴィルの透視が要る。問題は頭だ」
固まったタオルを、慎重に剥がす。
その瞬間。
血がどくん、と噴き上がった。
一直線に吹き出す赤。
頬に温い飛沫がかかる。
「……っ!!」
慌てて圧迫する。
だが布は瞬く間に鮮やかな赤へ変わり、鉄の匂いが室内に満ちる。
「もう一度……出血源を……」
ゆっくりと圧迫を緩める。
しかし。
「ぐちゃぐちゃだな……出血点が多すぎる。これじゃ特定できねぇ」
ミュラーが眉を寄せる。
クラリスは圧迫する手に力を込めた。
「くそ……とりあえず圧迫するしかない……当てずっぽうで針糸をかけてみますか……?くそ、こんなとき、焼けたらな……」
クラリスが頬の血を拭った、そのとき。
「焼くって、普通に焼くってことか?」
低い声が背後から落ちた。
振り向くと、小太りの男が腕を組んで立っている。
「……おい、なんでお前がここにいる。関係者以外立ち入り禁止だ」
ミュラーが睨む。
アレンは肩をすくめた。
「功労者だろ?それより、焼けるやつ知ってる。連れてくるか?」
クラリスは一瞬ためらい、ミュラーと目を合わせる。
それから、強く頷いた。
「……お願い」
数分後。
ばたばたと足音が近づき、診療所の扉が開く。
現れたのは――
「お、お父さん!?」
「クラリス!無事だったんだな」
安堵に胸を撫で下ろす父と、その背後に立つ母。
思わず、クラリスの声が裏返る。
「お前の父ちゃん、指の温度変えられるだろ。焼けんじゃねーの?」
アレンの一言に、父はなぜかやや縮こまりながら頷いた。
視線が一斉に父へ向く。
「……それだ!」
クラリスの目が見開かれる。
「肉屋のアレン……ほんと意外にいいやつ……!」
ぐい、と父の手を引き寄せる。
「お父さん、いまからこの子の出血を止めたいの。人差し指、温度を上げられる?」
「よ、よくわからんが……可愛い娘のためなら、お父さんやるぞ!頼られるのは初めてだしな!」
どこか誇らしげに父がクラリスの横に座る。
ミュラーは素早く子供に鎮痛の魔法をかけた。
「ここ。ここも。……あとここ」
じゅっ、と焼ける音。
焦げた匂いが立ちのぼる。
出血がみるみるうちに止まっていく。
「……たいしたもんだな」
「お父さん、すごいよ!!」
縫合を終え、笑顔で顔を上げたクラリス。
「……お父さんは初めて人の怪我なんて見てちょっと……気分が……」
対照的に父は真っ青な顔で弱々しく笑ってふらりと立ち上がった。
クラリスはミュラーと顔を見合わせ、深く頷く。
「これも魔法陣化すれば、外傷だって対応できる。きっと、なんとかなる!」
クラリスの瞳に光が輝いた、そのとき。
バァン!!
診療所の扉が勢いよく開いた。
「クラリス先生!!ミュラー先生!!」
ハンナの声。
「外、来てください!!すごいことが……!」
クラリスとミュラーは顔を見合わせ、駆け出す。
視界に飛び込んできたのは――
ルスカとカレル。
二人とも、大きな袋を抱えている。
「魔石だ!城の宝物庫から持ってきた!」
「ルスカ……!」
「第二陣も来る!もう不足の心配はない!」
その言葉に、クラリスの視界がにじむ。
慌てて袖で拭った。
そして、振り返る。
待つ人々へ、声を張る。
「みんな!!魔石が来たよ!!全員、必ず治療できるからね!!」
歓声が広がる。
雨の上がった城下町。
日が落ち始め、治療を終えた人々が松明に火を灯す。
これまで煌々と街を照らしていた城の明かりは静かに沈み、診療所の松明だけが、夜を切り裂くように燃えていた。




