35話 医師として
「クラ……魔石が……もうない……!!」
「そ、そんなわけないよ、あんなにあったじゃない!」
クラリスはアニの持つ袋を手に取る。
つい先日まで、あの魔物から採取した魔石がゴロゴロと音を立てていた袋だった。
だが。
袋の中にはもはや、幼児の拳ほどの魔石しか入っていなかった。
「ど、どうしよう……!魔石をもらいにこの前の村に行く!?」
「間に合わないよ、馬車で何日もかかる!」
「それでも行かないと、みんな苦しいままじゃいられないよ!!症状だって、進行するかもしれない!その魔石じゃ、せいぜい二百枚が限界だよ!」
クラリスは診療所に置いていたコートを羽織る。
「わたし、行ってくる!」
「ま、待ってよ!無茶だって!」
アニがクラリスの手を引いた時だった。
「なんの騒ぎだ?」
凛とした声が場を割く。
「ルスカ!このバカを止めてよ、魔石が足りないからって、この前の村に行くなんていうんだ!」
アニは手首をがしりとつかむが、クラリスはそのままずるずるとアニを引きずりながら診療所の出口へと向かっていく。
「魔石が?」
「そう、だって行かないとみんなを助けられないよ!患者だって、これから増えるばっかりなんだ!誰かが行かなきゃ!」
「だから!なおさらクラが行くのはダメだって!!」
アニが悲鳴に近い声を上げた時だった。
「……城だ」
ぽつりと呟いたのは、ルスカだった。
その目には、強い光が宿っていた。
「え?それって……!」
アニが目を見開く。
「城にあるものを溶かす。……俺が行く。
俺にしか、できないことだ!」
石畳にたまった水溜りを蹴り上げ、ばしゃりと水飛沫が跳ねる。
ルスカは城への道のりを駆けていた。
(静かだな……こんな時だというのに)
気づけば雷の音もせず、先ほどまで鼓膜を震えさせていた魔物の叫び声ももうしない。
雨も、止んでいた。
走り続けてきた足が止まる。
肺が空気を求めて大きく肩を上下させる。
(兄上が、退治なさったのだろう。……本当に、すごい方だ)
顔を伏せた。
(俺が、どんなに望んでも得られなかった力だ)
脳裏によぎる、シュヴァンの姿。
素晴らしい魔法能力。
政に明るく、書類仕事はミスもない。
兵への指示は的確で、斬新な発想まで持つ。
王からも、王妃からも、家臣たちからも、民からの信頼も厚い。
『シュヴァン王子殿下がいれば、この国は安泰だな!』
ついに城を出た。
その影から、逃げるように。
けれど。
(今の俺は医師だ。そう生きると決めた!そして、命を救うために、使えるものは、なんだって使ってやる!)
顔を上げた。
肺は痛む、靴の中がじんじんと痛む。
しかし、ルスカの足は、再び石畳を蹴った。
王子ではなく、医師として。
「ご報告申し上げます!」
謁見室。
玉座に座す王と王妃、そしてフィーリアの前に、
息を切らした兵が膝をついた。
「シュヴァン王子殿下により、魔物は沈黙した模様です!しかし、出現地域の被害は甚大で、それ以外の地区でも、奴の攻撃により、多数の民が被害を訴えており……!!」
王が小さく咳をした。
兵ははっと口を閉ざす。
王はゆるやかに片手を上げ、静かに問う。
「民はルスカの診療所へ行ったのではないのか。そこならば、対応できると、そう報告を受けておる」
咳を挟みながら、王はちらとフィーリアを見る。
フィーリアは、迷いなく頷いた。
「そ、それが……!
民が殺到し、混乱をきたしているとの報せが……!」
王の喉から、低い呻きが漏れた。
その時。
「お、お待ちくだ――」
「うるさい!待てん!」
扉の向こうで揉み合う声。
次の瞬間。
重い扉が、勢いよく開いた。
「ルスカお兄様!!」
フィーリアの声が、高く、はっきりと響く。
王妃が息を呑んだ。
「ルスカ!貴様……!!」
王は苦々しげに口を開く。
息を切らしたルスカは、玉座を真っ直ぐ見上げた。
「王族として逃げ出したに飽き足らず……」
一歩。
「医師の仕事も逃げ出したのか!!」
また一歩。
赤い絨毯にぽたぽたと水滴がたれる。
しかし、ルスカは一切気にも留めず、王の前へ進み出る。
膝をつく。
顔を上げる。
その目に、迷いはない。
「ルスカ・パストリア、医師として――」
一瞬、息を吸う。
「恐れながら、進言いたします!」




