26話 盤上の駒
「もういいだろう。あとはわかるはずだ」
船を降り、城門前で足を止めたルスカに、カイロンはにやりと笑みを浮かべた。
「困るよ、だってここの城難しいじゃん?いいよ、俺クラリスちゃんにあと案内してもらうから。ありがとな、ルスカ!」
カイロンは早口で言い放つと、クラリスの腰を抱いてさっさと城門をくぐっていく。
ルスカは何か言っていたが、城内については来なかった。
城に続く庭に配備された兵たちがカイロンの姿にざわつくのを、クラリスは背中で感じていた。
「は~やっと邪魔者が消えたよ。余程揉めてんだなルスカ。まあ、知ってたけど」
カイロンはやれやれと肩をすくめた。
(ルスカの事情、知ってるんだ……)
クラリスはカイロンの顔を見上げた。
「興味ある?なんでも教えてあげるよ、君は特別だから」
カイロンがぱちんとウインクを返したその時。
(唐揚げ食べたい唐揚げ食べたい唐揚げ食べたい)
「……うん?」
聞いたことのない単語に、カイロンは首を傾げる。
クラリスは、何か確信したように、腰に添えられた手を払い、にこりと微笑んだ。
(勝手に心読むの、やめてもらえる?それにもう、それ効かないよ)
カイロンは二度瞬きをすると、ふっと笑みを漏らした。
「バレたか。楽しい悪戯なんだけどな?」
「うーん、趣味のいい悪戯ではないかもね」
クラリスが肩をすくめた時。
一瞬、風が止んだ。
「おはようございます、カイロン王子殿下」
その声が響いた瞬間、ざっと集まっていた兵たちが頭を下げる。
もはやそちらを見なくてもわかる声の主に、クラリスは頬が熱くなっていく。
「……やあシュヴァン。ご機嫌麗しゅう」
「秘密の私的な視察は、いかがでしたか?」
クラリスはちらりと視線を上げる。
シュヴァンは笑顔だ。
だが、その目の底は驚くほど冷たかった。
が、カイロンは少しも怯まずクラリスの肩に腕を置いた。
「良い出会いがあってね。この子、可愛いし賢いし、おまけに肝が座ってる。それに、俺のこと好きになってくれたみたいで。こうしてデートしてきたってわけです」
「えっ!?」
クラリスはぎょっとカイロンの顔を見上げる。
いつのまにか集まっていたカイロンの部下たちも同じように驚きを隠せないようだった。
シュヴァンはにこやかな表情は変えぬまま、小さく息を呑む。
「それで、国に共に帰ろうと勧誘していたところで」
カイロンがクラリスの髪を持ち上げた時だった。
シュヴァンが静かに歩みを進め、クラリスの正面に立つとカイロンの腕ごと静かに払った。
「クラリス嬢」
「は、はいっ!!」
その石鹸のような香りに、クラリスの頭がくらくらと煮え立つ。
「国民が残念ながら国を去ることを決めても、僕に止める権利はない。……けれど」
シュヴァンはそっとクラリスの頬に手を添えた。
「君は僕のことが好きだものね?ずっと、昔から」
ぼん、とクラリスの中で何かが破裂する音がした。
(え、え、え、えげつない、ファンサが……!!)
クラリスは、思わず一歩後ずさった。
その声に、頬に触れる冷たい指の感触に、香りに、太刀打ちできない。
ただただ何度も頷くことしかできなかった。
そのとき、ぱちり、と強い刺激が走る。
まるで、感情が剥き出しになった瞬間を、誰かに掴まれたような。
(……君を盤から、外す理由がない)
シュヴァンは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
カイロンはぴくりと眉を寄せ、シュヴァンをみやる。
そしてシュヴァンはそっと手を頬から離し、カイロンに向き直った。
「では」
優雅に踵を返し、赤いマントがゆっくりと揺れる。
その背に、カイロンが小さく舌打ちをした。
その時だった。
ドオオオォン……
大きな音と共に地面が揺れ、何人かの兵が倒れ込んだ。
メイド達の悲鳴があがる。
「じ、地震……!みんな、頭を守って……!」
クラリスが発する声に被せるように、兵の一人が叫んだ。
「と、塔の方角……!!飛行系大型魔物です!!」
クラリスが顔を上げると、塔の向こう、城下町の方角にいたのは、飛行機を優に超えた、巨大な龍だった。




