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8話 そのグラスを飲み干して


がたがたと車輪の回る音が馬車に響く。


「おえぇ……」


クラリスは窓にもたれ、顔を真っ青にしていた。


「大丈夫?クラ……。酔い止め、早く効くといいけど……」


ヴィルは隣でその背中をさすっている。


「はぁ……そんなんで魔物なんて退治できるわけ?」


ルスカの隣に座り、肘をついたアニはため息をひとつ。


馬車は小石でも踏んだのか、大きく揺れた。


視界が揺れる。

胃の奥がぎゅっとひっくり返る。

それでもクラリスは、アニのほうをじとっと睨んだ。


「ア……アニパイセン、なんか口調ちがいすぎません?最初会った時、もっと可愛い感じだったのに……っぷ……」


こみあげる何かに耐えるように、クラリスは唇を震わせた。

アニはちらりと冷たい目を向ける。


「なんか、この人たちの前で“あれ”する価値ないかなって。

あ、ルスカ王子にはごめんなさいですぅ?」


わざとらしい作り笑いでルスカに向き直る。


しかしルスカはしっしっと手で払った。


「やめろ。お忍びで来てるんだ。王子と呼ぶな」


ルスカは本をめくりながら、目だけで釘を刺す。



クラリスは吐き気の中、ぼんやりと思い返した。




――ルスカが討伐に同行することは公にはされていない。


『近衛が来ると予算だなんだとうるさくなる。構わん、俺だけで行く。無事に帰ればいいだけのことだ』


もともと診療所勤務という自由を与えられている彼だからこそ押し通せた"私的な視察"だ。




「……ですよね。じゃあ特に気は遣わないってことで」


アニはふてくされたように肘をつき直す。

そして、青ざめたクラリスをじろりと見る。


「だめだ……魔物のとこ着く前に死ぬ……」


「そんな感じするね……」


ヴィルはそっと背中を撫でる。


ルスカは本をぱたんと閉じると、クラリスのリュックを漁り水筒を取り出し蓋を開けた。


「ありがとう……」


水筒をうけとり、青い顔で外を眺め背中をさすられるその様は、これから魔物を討伐する者の姿とは、とても思えなかった。









「おい。おい、起きろ」


肩を軽く揺さぶられ、クラリスははっと目を開けた。


「あ、あれ……着いたの?」


視界をぼんやりさせながら頭を起こし見回すと、ヴィルがぐーっと背伸びをするところだった。


……どうやら、さっきまでそこに頭を預けて寝ていたらしい。


「わっ!!ごめん!肩に寄りかかってた!重かったでしょ!?頭、人体で一番重いのに……本当ごめん!」


クラリスが両手を合わせ何度も頭を下げる。

ヴィルはそれをそっと止めた。


「いいよ。……それより、顔色、良くなったね」


そう言って、クラリスの手を軽く握る。

ルスカはページをめくるふりをして、一瞬そちらへ目をやった。


「手も冷や汗なくなってる。安心した」


ヴィルはにこりと微笑んだ。


(なにこの診察……さすが街で噂の初恋泥棒……)


「?」


首を傾げるヴィルに、クラリスがごくりと息をのんだ瞬間——


こん、とおでこに衝撃が走った。


「いたっ……」


この感触には覚えがある。

クラリスがおでこを押さえながら睨むと、

案の定、ルスカがじとりとした目で立っていた。


「……おい。降りるぞ」


「えっ!?もう!?ま、魔物!?」


きょろきょろ見回すが、どうみても夕暮れの街の中。

ルスカはその寝起きの様子にため息をついた。


「説明をうけただろう。今日は宿に泊まる」


「はやくしてくれる?」


呆れるルスカの声に、馬車の外から不機嫌そうなアニの声。


(そうだった、魔物のところは歩いて行くんだった!)


ようやく覚醒してきた頭を押さえつつ、クラリスはリュックをつかんでルスカの後を追い、馬車を降りた。


ぽつ、と雨が頬に当たる。

思わず空を見上げると、雲はすっかり黒く沈んでいた。


(……これから一雨来そうだな)


リュックを握る手に、自然と力がこもった。










ざああああ、と雨が石畳を叩く音が響いた。

窓の外は白く煙り、行き交う人影がぼやけて見える。


「うわ……結構降ってきたね~……」


クラリスは湯気の立つ皿を前に、窓の外を覗き込んだ。


チェックインを済ませた四人は、宿のレストランで夕食を囲んでいるところだった。


庶民が泊まる宿らしく、魔石の照明はなく薄暗い。

各テーブルに置かれたランプの火だけが、ゆらゆらと赤い光を落としている。


クラリスは皿の上の、見たことのない赤い野菜をフォークで突きながら口をひらいた。


「それで……どんな魔物なのか、そろそろ教えてくれていいんじゃないの?」


出発前から何度も聞いていたが、アニにはぐらかされ続けていたのだ。


アニはパンをちぎりながら、ちらりとクラリスに視線を向ける。


「……正直に言うけど、本当によくわかってないんだよ。なんせ、派遣したやつらはみんな帰ってこなかった」


クラリスが手にしていたフォークが、かたんと皿の上に落ちた。


「え……?わ、わたし、“どうせ序盤のおつかいイベントみたいなノリでしょ”って思ってたけど……そんな……ガチのやつ……?」


ごろごろ、と外から雷鳴が響いた。


クラリスが硬直している横で、ヴィルがそっとフォークを拾い、握らせてくれる。


「でもさ、クラの力があれば大丈夫だよ。

消しちゃえば、すぐ……でしょ?」


ヴィルに励まされ、クラリスがわずかに息を吸ったその時。


アニはナフキンで口を拭い、すっと身を乗り出した。


「……それなんだけど」


ピカッ。


稲光がレストランの天井を白く照らす。

アニはまるで気にする様子もなく、真顔で言った。


「魔物、消さないでやっつけてくれる?素材が欲しいんだよね」


ドーン。


窓ガラスが震え、クラリスの手がびくりと跳ねる。


「いや無茶だって。医者だよ? わたし勇者じゃないよ? よくみて?いたいけな女の子」


クラリスが己を指差すと、向かいの席でルスカがグラスを静かに置いた。


「アニ。あの場でお前が出した条件は“討伐”だ。倒し方まで指定される謂れはない」


「そ、そうだよ!クラは戦う力なんてないんだから、そんな無茶は……!」


ぴかっとまた稲光が走る。

ヴィルが声を荒げると、アニは口角を上げた。


「別にいいけど。だって僕を認めさせたいって言ったのは、その人なんだから。

結果、僕が認めなくても悪く思わないでよね」


ドーン。

雷が落ち、テーブルのランプがゆらりと揺れる。


クラリスはその揺れる火をじっと見つめていた。

……指先に、わずかに力が入る。


「アニ。お前の過去は知っている。

だが、そんなやり方を続けていては、周りに誰もいなくなるぞ」


ルスカはグラスの水を見つめたまま、淡々と告げる。


「……っ」


アニはぎり、と奥歯を噛み、膝の上で拳を握った。


その時、再び稲光が部屋を照らし――


ふ、とテーブルに置かれたランプの灯が消えた。


「わ、なに? 火が……」


ヴィルの声が雷鳴にかき消される。

手を上げて店員を呼ぶと、すぐに灯りは戻った。


クラリスは静かに口を開く。


「……わかった。なんとかやってみる」


「く、クラ……?」


クラリスは顔を上げ、アニをまっすぐ見る。


「そのかわり、ちゃんと約束してね?

倒せたら、魔石のこと――協力してくれるって」


に、と笑うその瞳に、ランプの火が映り、ゆらりと揺れた。


「……いいよ?高位貴族の僕に、二言はない」


アニはグラスを持ち上げ、ぐいとそれを傾けた。


――胸の奥が、ほんの少しだけ熱くなる。

けれどアニには、その理由はわからなかった。

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