9話 医者はたまに勇者やります
翌朝。
昨晩の雷雨が嘘のように晴れ渡り、澄み切った青空が広がっていた。
しかし宿屋の一角には、そんな空に見合わない空気が漂っていた。
「村の人に聞き込みにいこ?医学も何事も、一に準備二に準備、三四に準備、五に準備なんだから!」
「やだってば。なんで僕が行くのさ」
アニは椅子にふんぞり返り、ぷいと顔を背ける。
先ほどからこのやりとりは繰り返されていて、早三回目だ。
「もういいんじゃないか?置いていけば」
ルスカは何度もため息をついている。
「だってさ、アニも現場に行くんでしょ?
万が一私たちがやられたら、逃げなきゃいけないじゃない?」
「は? 死ぬ気なの?」
「そうじゃないけど……魔物は身分の区別なんてしないし、死ぬ可能性も頭に入れておかないと」
「……」
アニは横を向いたまま黙り込む。
クラリスは困惑し、ルスカは無言で本のページを目で追っている。
その中で、ただ一人ヴィルだけがアニをじっと観察していた。
そして、ふっとやわらかく目を細める。
「ねえ、クラ?」
「ん?」
ヴィルはクラリスと視線を交わし、
そのあとアニの方へ静かに視線を送った。
――ちょっと僕に任せて。
そう伝えるような、ごく小さな合図。
クラリスは気づいて、こくりと頷く。
「ルスカ!とりあえず宿の人に地図借りに行こ!」
「……?あ、ああ」
ルスカは戸惑いながらも、クラリスと共に受付へ向かった。
ロビーに残されたのは、ヴィルとアニだけ。
ヴィルはアニの前にしゃがみ込み、そっとその目線に合わせた。アニはちらりとヴィルに視線を移し、そしてまたすぐ逸らした。
「外、行かない?今日、すごくいい天気だよ。きっと気持ちいいよ」
「だから行かないってば!」
アニはぷいと顔をそむける。
ヴィルは少しだけ首を傾げ、まるで同じ問いをやさしく置き直すみたいに言った。
「具合は、どう?」
その一言に、アニの肩がびくりと揺れた。
ゆっくりとヴィルの方へ顔を向けると、ヴィルは真正面から目を合わせる。
「昨日の馬車の時から、ずっと辛そうだったでしょ。乗り物酔いかな?……心配してたんだ」
どくん、とアニの心臓が跳ねる。
(なんで……そんなの、誰にも見抜かれたことなかったのに)
アニが目を丸くする様子に、ヴィルはくすりと笑った。
「僕ね、兄姉が11人いるんだ。甥も姪もいて……今は20人かな。よく面倒みてるから、人の体調の変化、すぐわかるんだ」
「こ、子供扱いするな……っ!」
「そんなつもりじゃないよ。ただ、気づけるだけ。でもそれって、けっこう便利なんだ」
ヴィルはそっと微笑み、すっと立ち上がった。
「それでね…そんな僕からの提案だけど。
気持ち悪い時、外の風を浴びるとすっきりしたりするよ。……ちょっとだけ、歩いてみない?」
ヴィルが手を差し出す。
(乗り物酔いなんかじゃない。この気持ち悪さは……でも)
アニはその手を、じっと、長いこと見つめた。
そして――ほんの少しだけ唇を噛んで、小さく頷き、そっとその手を取った。
「ヴィルにアニ!来てくれるのね、ありがとう!」
クラリスは近づいてくる二人を見つけると、まずヴィルにだけ小さく目配せし、その直後ぱっと明るい笑顔に変わった。
「宿屋の人に聞いたんだけど、魔物に襲われるようになったのは最近みたい。
直近で被害にあったのは……この家と、この家の人」
クラリスが地図を広げると、ヴィルとアニは自然と彼女の両側に立ち、覗き込む。
2箇所は少し離れていた。
「時間ももったいないし、二手に分かれましょ。えっと……」
クラリスがちら、とヴィルを見上げる。
視線が合うと、ヴィルは小さく頷いた。
その頷きを確認したクラリスは、ためらわずに決める。
「じゃあ、わたしとルスカ。ヴィルとアニで!お昼の鐘が鳴ったらまたここに集合ね!」
クラリスはルスカと目を合わせて歩き出し、ヴィルとアニに向けて手を振った。
クラリスとルスカはふたり地図を見ながら辺りを見回していた。
「あれかな?大きな倉庫があるからわかるっていってた」
「ああ。おそらくそうだろうな」
「それにしても……」
クラリスはきょろきょろと見回した。
何軒もの全焼している家。
「昨日は寝てて気付かなかったけど……多くない?これって……何か、関係してるのかな?」
「……あると、思っていたほうがいいだろうな」
ルスカは焼け落ちた家の前にしゃがみ、焦げ落ちた馬の玩具をつまみ上げた。
煤にまみれた木片が、指の間で音もなく砕ける。
その光景に、クラリスは胸が詰まって何も言えなかった。
(……寄ってきてない?死亡フラグ……?)
クラリスの背中に、冷たい汗が流れた。
「あれは恐ろしかったね……今思い出しても震える」
顔や手足に包帯を巻いたおじさんが、苦々しげに吐き捨てた。
「お辛いところをごめんなさい。でも、わたしたち、その魔物を討伐にきたんです。どんな魔物でした?」
「あんたたちが……討伐?」
おじさんはクラリスたちを上から下まで値踏みするように見る。
武器一つ持たない少女、無表情で腰に剣を下げた黒髪の男。
「言いたかねえが……大丈夫か?
何人も“討伐に行く”って言って山に登って……帰ってきてねえ」
クラリスはぶるりと震える。
(……最悪、魔物消せばいい、よね……?)
怒れるアニの顔を想像しながら、クラリスは頷いた。
「大丈夫か……?……まあ、無理はするなよ……あの日はなーー」
おじさんが語る話はこうだった。
その日、おじさんは魔石を台車に積み、倉庫へ運んでいた。
ふと暗くなり空を見上げると、大量の鳥。
倉庫に逃げ込む間もなく、急降下してきた鳥たちに魔石を奪われ、顔も服もつつかれて怪我を負ったという。
「……厄介だな」
ルスカが唸る。
「鳥が1箇所に固まっていればいいが、散っていれば——“消去”を何度も使うことになる」
「それは避けたいよね……過労死する」
クラリスも小さく息を吐く。
「ところで、おじさん。この辺りは魔石の産地なんですか?」
「ああ。あの山は鉱山だ。よく取れる洞窟もある。だから俺たちは魔物には慣れてたんだが……」
そこでおじさんは顔を曇らせた。
「ある日突然洞窟の前に“湖”ができちまってな」
「湖が……できた?雨とかでもなく?」
「ああ。いきなりだ。その上、あの鳥どもまで集まってきやがって、近寄れなくなっちまった」
「そんなこと、あるのかな……?」
クラリスが腕を組み、数秒だけ思案していた、その時。
おじさんが、血が滲んで汚れた包帯を掻いた。
「おじさん。その怪我……見せてもらえませんか?」
「あ?いいけど……綺麗なもんじゃねえぞ」
おじさんは困惑したように言いながら、ゆっくり包帯をほどいていく。
露わになった肌には、赤み、水疱、そしてところどころに黒ずんだ跡が残っていた。
見た瞬間、クラリスの表情から温度が消えた。
「……これは、ただの傷じゃない」
ルスカも息を呑む。
クラリスは村の一点に目をやった。
(あれって、もしかして……)
魔石の洞窟のそばに、急にできた湖。
そこに集まる鳥。
そして、村を襲って、魔石を奪っていった。
焼けた家。
この傷。
点と点が、ゆっくりと線になっていく。
(……繋がってる)
ルスカと短く視線を交わし、頷いた。
「おじさん、お願いがあります。売り物にならない魔石でいいので、少しだけ分けていただけますか?」
「あ、ああ。それくらいなら……」
「ありがとう。それから、これ」
クラリスはリュックから小瓶を出し、そっと手渡した。
「その傷、火傷です。毎日よく洗って、この薬を塗ってください。包帯も毎日取り替えてね」
「や、火傷……?突かれた跡じゃねえのか?あんたたち、なんなんだ?なんでそんなことわかるんだ?」
クラリスはルスカと目を合わせ微笑んだ。
「わたしたち、医者よ。
……たまに勇者業もやってるの」
横でルスカが、ふっと笑みを浮かべた。
(……魔物、きっと簡単じゃない)
クラリスは、胸の奥に引っかかる違和感を振り払えなかった。
(だって討伐に行った人たちは、誰も「戻っていない」)
ただ追い払われたのではない。
逃げられなかったのだ。
(……当然帰るつもりでみんなを巻き込んでるけど……本当は、一人で行くべき、なのかもな……)
胸の前で握った手を、ルスカは何も言わずに見ていた。




