第三話:灰かぶりの書庫、運命は埃の中に
異世界の勇者が王になってから、奴隷制度は徐々に廃止されていきました。
多くの奴隷が解放されましたが、社会には彼らの働き口がなく、そもそも彼らには生きるためのスキルすらありませんでした。
だからこそ、王は「学校」というものを建てました。
元奴隷たちに基本的な技術や教養を教え、卒業後には働けるようにするためです。
男たちは戦闘技術を学び、女たちは家事全般を習います。
卒業すれば、男は冒険者になり、女は使用人として働くことができます。
私、セリナもその“ごく普通”の一人です。
メイド課程で勉強中で、うまくいけば将来どこかの貴族の屋敷で奉公できる……はずでした。
今日の私の仕事は、図書館の掃除です。
文字を読める人は少ないので、ここはいつも人が少なく、埃も溜まりやすくて、本なんかネズミにかじられそうです。ネズミは……本当に嫌です。
「おのれ!くたばれ、なんと卑しい豚野郎、これだから――!」
突然の怒声にビクッとしました。
魔法使いの装束をまとった、少し年配の男性がいました。手にした本を、今にも破り捨てそうな勢いでページをめくっています。
何を読んでいるのだろう。私は文字が読めないので、彼が何に怒っているのかはわかりません。
でも、表紙の絵を見る限り、たぶん「勇者ハラルド戦記」だと思います。
ハラルド様の鎧は派手なので、町の旅芝居などでもよく目立ち、ヒーロー役に選ばれやすいのです。
きっと、あの人もハラルド様が好きなのでしょう。
……でも、いくら人がいないとはいえ、あんな大声はマナー違反だと思います。
思い切って声をかけてみました。
「あの……すみません、図書館ではおし――」
「死ね!! ハラルド、オークの餌にでもなれ! それがお前の運命だ!!」
……豚野郎は、まさかのハラルド様でした。
少しの沈黙のあと、あの魔法使いのおじさんは急に優しい顔になって、ぺこりと頭を下げました。
「すみません。私は“マオウ”という魔法使いです。実は私、『勇者ハラルド戦記』のマーシャ派でして……その……最後にハラルドが幼馴染のマーシャではなく、姫と結ばれるエンディングがどうしても気に入らなくて。つい、大声を出してしまいました。いやはや、これは失態です。――ところで、お嬢さんはここで何をされているのですか? ここは滅多に人が来ないはずですが」
「あっ、はい。私はここの清掃を任されていまして……セリナと申します」
「なるほど、あなたもマーシャ様の恋を応援する仲間なのですね」
マオウさんか。変わったお名前です。マオウさんはそんなふうに微笑みました。
確かに、勇者ハラルド様が姫様と結婚して、幼馴染の魔法使いマーシャ様が悲恋に終わるのは、私もお嬢様に何度も聞かされたことがあります。あの方も、マーシャ様が報われないのが不満だと言っていました。
「あの……マオウさんは、読み書きができるのですよね?」
「ええ、まあ。一応、魔法使いですから。文字や言語の扱いは得意です。……もしよろしければ、教えて差し上げましょうか?」
「えっ、本当ですか?」
まるで私の心を見透かしたように、向こうから“教える”と言ってくれました。……もしかして、この人、すごく優しい人なのかもしれません。
でも――
「私、お金はあまり持っていませんし……卒業して奉公できるようになったら、必ずお返しします!」
「いいんですよ、お嬢さん。私は“知識を授かる者”です。知識をお金で売るような真似はしたくありません。だから――交換しましょう」
マオウさんは、やさしく微笑みながら言いました。
「この町のことを、教えてくれませんか? 私は人付き合いが苦手で、ずっと引きこもって魔法の研究ばかりしていました。気がついたら、社会とすっかりズレてしまって……これは困りました」
「……あの、私でよければお手伝いします」
「いやぁ、助かりますよ。今日はお嬢さんに出会えて本当によかったです。――そうだ、お礼にこれをプレゼントしましょう」
そう言って、マオウさんが渡してくれたのは、一冊の小さな本でした。
とても古そうな装丁で、紙も少し黄ばんでいます。だけど、どこか温かみがありました。
「なんとも異世界――勇者のいた世界で語られていた童話です。とても面白いですよ。明日から、これを使って読み書きを学んでみませんか?」
この出会いは、本当に予想外でした。
まさか、私みたいな“ごく普通のメイド候補生”が、こんなふうに運命と出会うなんて――
あのときの私は、まだ何も知りませんでした。
ただ、マオウさんからもらったその本のタイトルだけは、今でもはっきり覚えています。
――『シンデレラ』
灰かぶり姫の、ものがたり。