五章 『邂逅』 −4−
「ああ、目が覚めたようだね」
小さな小屋ともいえる、木造の家だった。
暖炉があって、椅子と机が一つずつ。
ベッドにはシオンが横たわっている。
目が覚めたシオンは、頬を伝う涙を拭う。
「思い出したの・・・すべて・・・」
誰に言う訳でもなく、一人呟く。
そして、体を丸めてうずくまった。
「それは良かった」
呟きに魔王が答える。
「よくなんかない!・・・思い出したくなかった。ずっと忘れたままでもよかった」
身をさらに固くするシオン。
まるで何かから身を守るように。
「一体何を思い出したのかは知らないが、忘れていいような記憶なんてそうそうあるものだろうか。つらい記憶なら、なおさら心に留めておくべきだと思うのだが・・・何にせよ、つらい思いをさせてしまったことには、謝るよ。すまなかった」
シオンの頭の中を走馬灯のように、もう一度忘れていた記憶が巡る。
体の震えが止まらず、自分を抱き続けている。
(忘れて・・・忘れてしまって。そして、また繰り返すのか。同じ過ちを)
それだけはあってはならぬと、首を振る。
血で汚れた両手を握りしめる。
そして、かすれたような声でポツリポツリと言葉を発する。
「貴方が謝ることなんてない。私が犯した罪は、私が背負わなくてはいけないのだから・・・そう、あれは決して忘れていいようなものじゃない」
シオンの瞳には流れ落ちる雫は無く、決して力強いとは言い難いが、決意の色が浮かんでいた。
「私の方こそいろいろと迷惑をかけたようで、ごめんなさい」
シオンが顔をあげる。
魔王の笑顔があった。
そして魔王は微笑んで、気まずそうに目線をそらす。
「あの、その・・・」
どもりながら鼻をかく。
シオンは不思議そうに、キョトンとした表情で、魔王の顔を見つめる。
「私は死体の裸なら、見飽きるほど見ているのですけれど・・・その、生きている方のはあまり見慣れていないもので・・・」
シオンは自分が裸で寝かされていることに気づく。
彼が言わんとしていることを理解するのに、時間がかかった。
(何をそんなに恥ずかしがることがあるのだろうか)
そんなことを思いながら、かかっていたシーツを胸元まで持ってくる。
(裸で寝ていたということは、彼が脱がしたという訳で。それなのにこの男の反応は何であろう。まるで戦っていた時には想像がつかない)
「失礼ですが、勝手に洗濯させていただきました。だいぶ汚れていましたので」
そう言って、彼は机の上の服をとり、シオンに背を向けたままベッドに腰を下ろす。
(変な奴)
ぼんやりと彼の背中を見つめていた。
沈黙に耐えかねたのは彼の方。
「どうぞ、早くお着替えください。風邪をひかれますよ」
振り返り、恥ずかしそうにまた顔をそむける。
(そういえば、ジョゼ様と初めてした時の私もこんな感じだったろうか?いや、もっとひどかったかもしれない・・・)
何かを思い出したようにシオンは静かに笑う。
そして、すっと手が伸びた。
「!?・・・何を・・・しているのですか?」
「抱きついている」
消えてしまいそうな彼の問いかけに、平然とシオンが答える。
固まって動けないでいる彼の様子が楽しいのか、シオンの口元には笑みがこぼれていた。
「すみません。放してもらえませんか?」
今度は落ち着いた冷静な口調であったが、鼓動の高鳴りが明らかに動揺していることを示している。
シオンは彼の言葉通り彼を束縛していた腕を解き、彼の服のボタンをはずしていった。
「本当にそういうのはやめ、うっ・・・」
彼の首筋をかんで、服をはだけさせている。
「止めてください!からかわないでください!」
彼はシオンの方へ振り向き、少々強い口調で言う。
お互いの瞳を見つめあい、間が流れ、
「やだ」
「へ?うわぁ!!」
ベッドへ彼を押し倒した。
「あの、本当にやめませんか?こんなこと。私は、その・・・」
キスで何度も同じようなセリフを吐く唇を塞ぎ、髪をなでる。
鳥のさえずりが時折聞こえるぐらいで、他に人気などない。
静寂の中で唾液の混ざり合う音と衣擦れの音は、必要以上にいやらしく聞こえる。
何度も唇を交わす。
「今のあなたなら誰でも殺せそう・・・たとえ私であっても」
体に指を這わせながら、悪戯っぽく微笑む。
「私としては、その方が対処しやすいのでありがたいのですが」
困った顔で彼は正直に語った。
もう一度唇を交わそうとした時、小屋の入口がけたたましい音を立てて開いた。
「邪魔するで!誰かおるか?」
長身の男がドアを蹴り開いて入ってきた。
男二人の目があった。
珍妙な間。
「何しとるん、師匠。こんなとこで」
その日は木漏れ日そそぐ昼下がりのいい天気だった。
「・・・ということは、儂の住む世界と師匠の住む世界とは別もんで。だから、儂の世界の師匠とここにおる師匠も別もんなんやな。んー、何やよう分からんな」
レイは学者が考え事をするように、落ち着きなく歩き回っている。
「君の話によると、ここにいる皆が誰かにこの世界に呼び込まれたと考えるのが妥当だろう」
魔王は椅子に座らせたフランチェスカの肩に手を置き、目をつむっている。
「一体誰がそんなことを?」
シオンはちょこんとベッドに座っている。
「それは分かりません」
「そんじゃ、皆っていうことはこのおっさんもか?」
剣を抜こうとするフランチェスカを素早く魔王が制す。
フランチェスカの甲冑には、赤いミミズのような文字が浮かんでいる。
「確かなことは直接聞けばいいでしょう。もうすぐ鍵が開きますから、そうしたら言葉も通じますよ」
赤いミミズ文字が、感染症のように魔王の体にも浮かんでいっている。
「それにしても全く、この甲冑誰がつくったんでしょうね。この呪詛の組み方、馬鹿か天才か。『六つの鍵』をかけたまま、『時空転移陣』を時間軸をずらしてかけて、さらに『元素再構成式方位陣』を重ねてある。危険極まりない」
「・・・師匠、全く訳分からんのやけど・・・」
「私も同様に」
「つまり、私の力でも何の設備なしにこの呪詛を完全に解くのは骨が折れる、その程度の呪詛だということです・・・もっとも、一つ目の鍵の『人』の鍵ぐらいなら、私なら魔力暴発の可能性なしでできますが」
意味不明の言葉の羅列に、魔王以外は沈黙した。
「主の師よ。それだけの力と知識があれば、自力で元の世界へ戻ることも可能なのではないでしょうか?」
声とともにレイの足元からぬっと剣が現れる。
「君は?」
「私は神剣ミカエル。そこにいる彼女のあり得たかも知れないもう一つの現実です」
「・・・そうか・・・なるほど」
「それで、どうでしょうか?私達には元の世界でやり残したことがあるので、すぐにでも戻りたいのですが・・・」
「儂はかまへんけどなあ。このままでも」
「結論から言うと可能だ。しかし、戻る前にしなくてはいけないことがある」
「それは一体?」
フランチェスカと魔王の体のミミズ文字が、灰のように白くなってすっと消えた。
一息ついて、魔王が剣に答える。
「それはこの世界に私達を呼んだ人物を捜し出すこと。たとえ元の世界に戻っても、呼び戻されては意味がないですからね」
「よーするに人捜しせなあかんねんな」
「その通りです。それで皆さんにもその人捜しを手伝って欲しいのです」
魔王は皆を見渡し、皆がうなずき同意する。
「まあ、手伝うしかないわね」
変に低い声が鎧から響く。
「・・・やっぱりこの声、おっさんやんか・・・」
すかさずレイのあごのあたりに、フランチェスカの強烈な突っ込みが入るのだった。
月下、小屋から少し離れた湖のほとり。
レイは星空を眺め、フランチェスカは湖で体をきれいにしていた。
「その声、どう聞いてもおっさんにしか聞こえんねんけどな」
「お前もいい加減しつこいぞ」
「でもなあ・・・」
「お前の師も言っていただろう。今の私には実体が無いのだ。だから、この声も仕方がないものなのだと」
「実体ねえ・・・」
しげしげと水浴びしている甲冑を見る。
妙な光景ではあるが、どことなく様になってしまっているのが不思議だ。
「覗くな!このケダモノが!」
フランチェスカの兜が飛んできて、レイの頭にゴンと良い音を立てて当たる。
「痛っ。あのなあ、何で儂が覗かなあかんねん。それとも何か、儂が鎧見て欲情する変態っちゅうんか?」
首なしの鎧は片手を腰に当てて、レイの方を睨んでいる。
不意に一陣の風が湖面に模様を描く。
木々がざわめく。
レイは風の中で見たものにはっと息をのんだ。
そこにはあどけない少女の姿があった。
そのかわいらしい顔でレイを睨みつけている。
たなびくブロンドはまるで光の粒となって、今にも消えそうな淡い色合いだ。
風は止んだ。
そこには彼女はもういない。
あるのは頭の無い甲冑だけ。
(幻・・・やったんやろうか?)
「何をほけっとしている。早く頭を元の所へ戻さないか」
手元の兜から低い声が響く。
「んぁ・・・ああ」
レイはずぶずぶと湖の中に入っていく。
並ぶとレイとフランチェスカの背丈はたいして変わらない。
先程一瞬見えた少女とフランチェスカが同じ人物であるようには、レイにはとても思えなかった。
思えなかったが、幻だと決めつけるにはあまりにもはっきりとした幻だった。
「おっさん、あんたのこと女やと認めるわ」
「何をいきなり・・・まあ、いい。だが、認めるもなにも事実そうなのだ。そこのところを注意しろ。それにおっさんはやめろと言っているだろう」
了承の後にまたおっさんとつけるレイに、すかさずフランチェスカの拳が唸る。
「痛っ・・・それにしてもさっきのはかわいかったなあ。結構好みや」
「何をにやけている。気色悪いぞ。殴りどころが悪かったか?」
フランチェスカが珍しくレイの心配をしたその時、静寂の森の中に小屋の方から突然悲鳴が聞こえた。
あっという間の出来事だった。
閃光弾が投げ込まれて、白を基調とした軍服の集団が侵入、すぐさま包囲された。
「静かにしろ!抵抗しなければ何もしない!」
シオンの首元に一人が、剣をあてがい悲鳴を遮る。
冷静な彼女の面影はそこには無く、ただ震えるだけのか弱い存在がそこにはいた。
(誤算でした。彼女の記憶が戻って、こんなにも彼女が変わってしまうとは。記憶だけではなく、恐怖、ためらい、戦うことに不必要な感情は全て封じ込めていたという訳ですか)
魔王にとって、初めて戦った時の彼女の印象が強かったせいだろうか。
小屋の周りを取り囲む気配に気を使ってはいなかった。
いざとなれば周囲の森ごと消し炭にしてしまえばいいと、たかをくくっていたのだ。
結果、彼女を人質に取られて手出しできずにいる。
「夜分遅くにご苦労様です。何ならお茶でも淹れましょうか?」
「動くなと言っているだろうが!」
一人が魔王に銃口を向け、吠える。
それを魔王の正面に立っていた頭をそり上げた人物が制する。
その男は他のものとは違い、服の腕のあたりに赤いラインが一筋入っている。
おそらくはこの部隊のリーダーという証なのだろう。
「無礼は承知だが、我々と御同行願いたい。我らが王、西王母様の待つ聖都アプロスへ」
「西王母?聖都アプロス?」
「ここより西方にある聖都アプロス。そこを治める王こそ、我らの西王母様だ。数日前その西王母様よりこの地に降り立った大きな力を保護し、聖都へ連れてくるよう仰せつかった」
「大きな力・・・ですか。それが私だと」
神妙な面持ちで、部隊のリーダーはうなずく。
「できれば我々もこれ以上手荒な真似はしたくはない」
「手荒な真似、ねえ。できるものならしてみるがいい・・・と言いたいところですが。構いませんよ。一緒に行きましょう」
「あっ・・・」
すがるように空をつかむシオンに、魔王は大丈夫ですよと微笑みを返した。
「現時点でこの世界のことを私達は知らなさすぎる。これは何か情報を得るためのいい機会かもしれません。もしかしたらその西王母様というのが、私達をこの世界に呼んだ張本人かもしれませんし」
「でも・・・」
彼は大丈夫ですよともう一度微笑んで、白い軍服を着た者達とともに闇夜に消えていった。
シオンは部屋の隅にある自分の深紅の鎧と剣を見つめるだけで、身動きが取れないでいた。
「今更何に怯えると言うの?この手には今でも人を斬った時の感触が残っている。血の生臭さも味も確かに記憶している。今まで平然と殺してきたではないか。なのに何故今、今動けない・・・何もできなかった・・・」
それからフランチェスカ達が来るまで、シオンの震えは止まることは無かった。




