六章 『聖都アプロスにて』 −2−
フランチェスカは孤軍奮闘していた。
レイはというと死体にけつまずきながら、フランチェスカの元へ近づこうとするが、距離を置いて傍観している様にも見える。
フランチェスカは意外にも苦戦していた。
いや、苦戦しているというよりも調子を狂わされていると言ったほうがいいかもしれない。
的確な射撃とそれに合わせた隙を突く剣撃だけならどうってことは無いのだが、明らかに軍人ではないものが混じっているのだ。
例えばフライパンで襲ってくるおばさんやら、小石を投げる子供、果てはおけとモップを持っているようなものまでいる。
本当にそんなもので戦おうと思っているのだろうか疑問である。
「うおぉぉぉぉ!」
親切にも掛け声とともにガタイのいい男が、背後から木槌をフランチェスカに向ける。
服装からして金持ちそうではないので、自分で作り出した逸品なのか、それとも代々伝わる品物なのか分からないが、ともかくそれなりに年季の入った大きな破壊力のある木槌が振り下ろされる。
が、すっぽ抜けたように木槌は明後日の方へ飛んでいく。
彼の腕と一緒に。
「大丈夫ですか?」
銀色の美しい髪を血の斑点が汚す。
戦場に天使が舞い降りた。
「問題無い。そちらこそ覚悟はできたのか?」
「はい。彼に会いに行きます」
フランチェスカに向かって屈託のない笑顔で答える。
何やらふっきれたようだなとフランチェスカは思い、そうかとだけ呟いた。
ガタイのいい男が痛みにうめく。
その声を聞き、思い出したようにシオンは飛んでいった男の腕を男の元へと運ぶ。
「あの、すみません。痛かったですか?今戻しますから・・・あれ?・・・戻らないや。私の時はすぐにくっつくのに」
くっつくはずの無い腕をいじくり回しているシオンにフランチェスカが呆れたように、子供を諭すように語る。
「ここは戦場だ。命のやり取りをする場所だ。敵に情けをかける所ではない。その腕は元には戻らないし、そのようなことを気にする必要も無い」
剣が振りかぶられる。
男は覚悟を決め、それが振り下ろされる瞬間を待った。
血を流しすぎて意識がもうろうとしているせいだろうか、それとも赤い鎧の天使が何かしたのだろうか、男は腕の痛みを全く感じてはいなかった。
風を切る音がして、金属音がした。
「何も戦われへん相手まで殺すこと無いやろ」
フランチェスカの剣をレイが受け止めていた。
「何だ、お前いたのか」
「後ろの方にずっとおったっちゅうねん。儂は血の臭いに酔って気分悪いわ。全くお嬢様はここに人殺しに来たんかいな」
「お前、最初にあれだけやっといて、よく他人の事が言えるな」
「いや、あれはな。最初に格の違いを見せつけてやな、戦意をくじこうと思ったんや。まあ、結局逆効果やったけど」
突然レイの背後で地面を蹴る音がした。
死体の下に隠れていたのだろうか、血みどろの子供がいた。
手には短剣が握られている。
声をかける暇など無かった。
気がつけばその子供は両肩口に刺さった刀の勢いで、後ろの方に飛ばされていた。
宙を舞う子供に群がるように刀剣が襲う。
どさりと軽い音を立て、そこに死体がもう一つ増えた。
「やはり他人の事は言えんだろ」
「しゃあないやろ、こういう体なんやから。別に殺そうと思って殺しとる訳やない」
レイのあっけらかんとした物言いに、フランチェスカは肩をすくめる。
「まあ、お前のことなどこの際どうでもいい。とりあえずこれだけの敵相手に前に進むだけでも一苦労だぞ。どうする?」
依然としてフランチェスカ達の前には、積極的に攻撃してこないにしても大きな化け物が横たわっている。
「だったら、儂等で道をつくればいいやろ。そのくらいなら簡単に出来るやろ」
二人はシオンを見つめる。
シオンはガタイのいい男に別れを告げている。
全く今の状況を分かっていないのだろうか、戻ってくる彼女には笑みがこぼれている。
「行くんやろ?師匠のところへ」
「は、はい!」
「私達が道をつくる。一人でも何とかなるだろ?」
「はい」
「全くめんど臭いことになったなあ。ほんまやったら一瞬でこのぐらいの人数片づけられるのに」
「だったらそうすればいいだろ」
「馬鹿言え。儂は人殺しに来たんや無いって、さっきも言うたやろ。儂は師匠を助けにやな・・・」
「はいはい」
レイは愚痴をこぼしながら、刀剣で竜をつくる。
シオンがその竜の頭に乗り、竜は聖都アプロスの中心へと向かい舞った。
「道を開けよ!阻むものは容赦はせぬ!彼の者の愛のため、我等はまかり通る!!」
会いに行く本人よりも張り切っているフランチェスカを見て、レイはやれやれと首を振った。
「朽ちよ、老いよ、果てよ。一片の希望すら要らぬ。さあ、共に絶望の淵へと沈み行こう。我が身には滅びこそ相応しい」
魔王は呪を唱えながら、血液が沸騰していく感覚に身悶える。
皮膚を破り、いたるところで血が流れ出す。
「かわいそうに」
もうろうとする意識の中で西王母の、彼女の声だけが鮮明に聞こえる。
声は甘い痛みとともに全身を包みこむような感覚を与える。
血と涙が混じって彼女の姿ははっきりとは見えないが、彼女が近づくにつれて鼓動が激しく高鳴る。
「どうしてそこまでして逆らおうとするの?自分の心に素直になるのが怖いの?それともそんなに私が嫌いなの?」
彼女が血を拭っている。
布越しの彼女の指の感覚が、ぞくぞくとした快感を与える。
「それはこれが作りものの感情だと分かっているからです。感情は脳内の物質、電気信号のやり取りの複合的な結果です。今は無理矢理につくられた状況に脳が錯乱しているだけ。すぐにでも元へ戻ります。そうすれば貴方を一片のかけらも残らぬほどに焼き尽してあげますよ」
などと脅してみせるが、声が上ずっていて哀れにしか見えない。
目元の血が拭われ、ようよう彼女の姿がはっきりと見えるようになる。
近くで見る彼女の顔は本当に幼く、体つきも同様少女そのものだった。
性的魅力など一つも無い。
しかし、魔王はそんな彼女を押し倒したい欲望に支配されていた。
彼女の着ている薄衣を剥ぎ取り、犯してしまいたい。
そんなドス黒い奔流に理性というきれそうな糸で流れをせき止めている。
「作られたもの、生まれてきたもの、そんな事に本当に意味があるとお思いなのですか?大切なのはその胸にあるもの」
彼女は魔王の手を取って、彼の胸へと添える。
高鳴る鼓動は血を流しすぎているからだけではないことを知っている。
「そして、私の胸にあるもの」
今度は自分の元へと魔王の手をやる。
魔王の手が彼女の柔らかな小さな膨らみに触れる。
糸は容易く切れた。
「・・・さあ、愛する私のために貴方の仲間を殺してきて」
一時の間を置いて、魔王は頭を抱えて笑いだした。
涙を流しながら笑うその姿は、狂気に近い。
西王母はキョトンとしている。
「・・・あははははっ。はっはっはっ、私が誰かを愛する?そんな馬鹿げたこと冗談にもならない。そんなことが許されるはずがない。いや、絶対に許してはならない。貴方を愛するくらいならば、私自身が滅んだ方がずっと良い。それが私にとっても貴方にとっても最良の選択なのだから」
「・・・役立たずが」
そう言って西王母は再び自ら傷ついていく魔王を放っておいて、玉座にドカッと座る。
そして、肘をついて興味無さそうに魔王を眺める。
「張りぼての愛情故に死んでいく。こんな間抜けな死に方こそ私には相応しいのかもしれないな・・・朽ちよ、老いよ、果てよ。絶望など生ぬるい。この身に降り注ぐは・・・」
ドガガガガガァァァァ!!!
魔王の呪がすべて唱え終える間際、轟音とともに壁が崩れ、何かが飛び込んできた。
「大丈夫・・・ですか?」
「・・・シオン・ミカエル?」
「はい!」
ぼんやりした問いかけに明るい肯定が返る。
「すみません。助かりました」
「いえ、こちらこそ勝手に来てしまってすみません」
長い長い人生の中で他人に命を救われることなど初めてのことで、魔王には何ともしっくりこないものがあった。
そして、
「うっ。うぅぅっ」
シオンが飛び込んできたときに偶然にも西王母にそれほど深くも無い傷をつくって、術が解けたせいだろうか。
すがすがしい気持でもあった。
血まみれの体を支えてもらいながらゆっくりと立ち上がる。
そして、西王母の元へとふらふらと歩みだした。
「・・・来るな、来るんじゃない!こっちに来ないで!」
西王母は叫びながら足元に散らばる瓦礫を投げつけるが、瓦礫は見えない壁に阻まれ砂塵へと変わる。
恐怖に歪むその顔は駄々をこねる子供のようでもある。
「いや、来ないで。お願い、助けて。いや・・・」
最後には身を固くして玉座にうずくまってしまった。
彼女の頭に掌が乗る。
ビクッと体を震わせる西王母。
指はただ乱れた髪を整え、離れていった。
「・・・何故殺さない?」
「少なくとも私は貴方を殺すためにここにいるのではありませんから。あくまでも情報収集が目的です」
振り向かず、いつもの笑みで答える。
それから魔王はシオンの懐に身をうずめる。
自らつけた傷は思ったよりも深く、体は休息を要求してまぶたを重くする。
しかし、魔王は途絶えようとする意識を保ちながらさらに言葉を紡ぐ。
「それともう一つ。貴方の人の心を操る力は貴方が思うほど強力なものではないと分かりましたから。恐らくは目の前の人間一人の心を操ることが限度でしょう」
西王母はゆっくりと顔を上げ、目を見開いた。
「何を馬鹿な。これ以上私を愚弄してどういうつもりだ。私に力が無いと。そんなはずは無い・・・そんなはずは・・・」
「今更そんな嘘をついて何になります」
「本当なのか?私に力が無いというのは・・・それならば何故民は戦う!私に心を操られていないのに、何故?!」
「それは・・・」
まぶたが重い門を閉じ、まるで寝言のように最後に呟く。
「貴方を愛しているから」
そんなと呟き、西王母はシオンの開けた壁の穴へと近づく。
街の外の喧騒が聞こえる。
(民は操られた生きた木偶だと思っていた。民が従うのは力のせいで、当然のことだった。向けられる笑顔も称賛も羨望も全ては作り物のガラクタだと思っていた。それなのに今、あんなにも多くの人たちが命をかけて私を守ろうとしている)
恐怖の涙が乾ききる間もなく、西王母の頬に温かな涙が伝った。




