第3話:甘いお茶と、抗えない『強制休養』
コトリ、と。
縁側の小さなテーブルに置かれたティーカップからは、湯気と共に甘く爽やかな香りが立ち上っていた。
「さ、冷めないうちにどうぞ」
隣のロッキングチェアに座るシズルに促され、エリノーラは恐る恐るカップに手を伸ばした。
(毒味もせずに口をつけるなど、騎士としてはあるまじき行為……だが)
不思議なことに、危険を告げる勘は全く働かない。むしろ、甘い匂いに釣られて胃の腑がきゅっと鳴り、誤魔化すように急いで一口飲んでしまった。
「……っ!」
口内に広がったのは、今まで味わったことのないような優しく、そして濃厚な甘みだった。
上質な蜂蜜のまろやかさと、気分をスッキリとさせるハーブの香りが絶妙に絡み合っている。
ここ数週間、討伐の合間に水で流し込むパサパサの携帯口糧しか口にしていなかったエリノーラの身体に、その温かい液体が恐ろしいほどの速度で染み渡っていった。
「美味しい……」
無意識のうちに、ポロリとそんな言葉が漏れていた。
ガチガチに強張っていた肩の力が抜け、ふうっ、と深い息を吐き出してしまう。
「ふふ、良かった。山を登ってきて疲れてるみたいだったから、少しお砂糖と蜂蜜を多めにしておいたのよ」
「……」
二口、三口と、エリノーラは夢中でハーブティーを喉に流し込んだ。
温かいお茶が胃に収まると、今度は急激な眠気が襲ってくる。瞼が鉛のように重い。
(い、いかん。こんな所でくつろいでいる場合では……!)
エリノーラはハッとしてカップを置き、自分の頬をペチッと叩いて気合を入れた。
「こ、こんなことをしている場合ではないのだ! 私は薬を……部下たちのための滋養薬を早く持ち帰って、次の討伐隊の編成を……!」
ふらつく足で立ち上がろうとするエリノーラ。
だが、その肩を、シズルの両手がスッと押さえ込んだ。
強い力ではない。だが、逆らう気すら起きなくなるような、有無を言わさぬ『大人の圧』があった。
「あのね、エリノーラさん」
「な、なんだ……」
「部下を心配する気持ちはわかるけど。あなたが今、そのボロボロの身体で山を下りて、もし途中で倒れたらどうなるの?」
「それは……」
「上司が過労で倒れたら、残された部下たちはどう思う? 自分のせいで隊長が無理をしたんだって、余計に自分たちを追い詰めることにならない?」
前世で、部下や後輩を庇って無理を重ね、最終的に過労で倒れて職場を混乱させてしまったシズルの言葉には、実体験から来る妙な説得力と重みがあった。
「上に立つ人間の一番の仕事はね、いつでも余裕のある顔をして、部下が安心して帰ってこられる場所を作ることよ。……自分が壊れるまで働くのは、美徳でもなんでもないわ」
「……っ」
シズルの静かな、けれど芯のある言葉に、エリノーラは言葉を失った。
図星だった。自分が無理をして前線に出続けることで、逆に部下たちに「休めない空気」を作ってしまっているのではないか。心のどこかで感じていた罪悪感を、見事に言い当てられてしまったのだ。
「だから、今日はもう休むこと。これは、この山の主である私からの命令よ」
シズルはふわりと微笑み、エリノーラの肩から手を離した。
「さ、そうと決まったら、まずはお風呂ね!」
「ふ、風呂だと?」
「ええ。重い鎧を着て山登りなんかしたから、汗だくでしょう? ちょうどお湯が沸いてるから、サッパリしてきなさいな」
シズルは立ち上がると、ポンポンと手を叩いて楽しそうに言った。
「とっておきの入浴剤を入れてあげるから、ゆっくり浸かってくるといいわ」
有無を言わさぬシズルのペースに完全に巻き込まれ、エリノーラは反論する気力すら湧いてこない。
生真面目すぎる女騎士は、初めて出会った『自分を甘やかしてくれる圧倒的な年上の女性』の前に、ただ従うことしかできなかったのだった。




