第2話:恐ろしい魔女と、縁側のお茶会
「……はっ!」
エリノーラは弾かれたように身を起こした。
見知らぬ天井。いや、太い丸太がむき出しになった、山小屋の天井だ。
自分が横たわっているのは、洗い立てのシーツが掛けられた柔らかなベッドの上だった。
「しまった、私は……!」
記憶がフラッシュバックする。
魔の森の奥で小屋を見つけ、そこから出てきた黒髪の女を見た瞬間、意識を手放してしまったのだ。
慌てて立ち上がろうとして、エリノーラは自分の体の異変に気づいた。
身につけていたはずの重厚な金属鎧が、綺麗さっぱり剥ぎ取られている。
下に着ていた薄手のチュニックとズボンだけの、ひどく無防備な姿になっていた。
「私の鎧……それに、剣はどこだ!?」
罠に嵌められた。そう直感したエリノーラは、騎士としての警戒心を最大まで引き上げ、素足のままベッドを飛び出した。
すぐ隣の部屋――リビングへと続くドアを、勢いよく開け放つ。
「動くな! 私はランズベリー騎士団、第参部隊隊長エリノーラだ! 貴様、私をどうするつもり……」
部屋に飛び込み、声を張り上げたエリノーラの視線の先。
そこには、縁側でぽかぽかとした陽だまりの中、ゆったりとロッキングチェアに揺られている黒髪の美女――シズルがいた。
「あら、おはよう。もう起きちゃって良かったの?」
シズルの手には、可愛らしい小花柄のティーカップ。
膝の上には、どこからやってきたのか、丸々と太った見知らぬ三毛猫が丸くなって眠っている。
シズルはその猫の喉を優しく撫でながら、心底不思議そうに首を傾げていた。
毒沼。大鍋。シワだらけの老婆。恐ろしい代償。
エリノーラが道中で想像していた『神代の魔女』の恐ろしいイメージが、音を立ててガラガラと崩れ去っていく。
「あ、お茶淹れたてなんだけど、飲む? 蜂蜜たっぷり入れたから美味しいわよ」
「……は?」
毒気を抜かれたエリノーラは、間抜けな声を漏らした。
「い、いや。貴様が『神代の魔女』なのか?」
「かみだいのまじょ? 何それ。私はシズルよ。この山奥で、細々と薬草を育てて暮らしてるただの一般人だけど」
シズルはくすっと笑ってティーカップを置くと、立ち上がってエリノーラの方へ歩いてきた。
近づいてくる彼女からは、戦意も殺気も一切感じられない。ただ、あの倒れる直前に嗅いだ、心をほどくような甘い匂いがふわりと漂ってきた。
「私の鎧をどうした! なぜ脱がせた!」
後ずさりしながら吠えるエリノーラ。
しかしシズルは、まるで駄々をこねる子供をたしなめるような、呆れた溜息をついた。
「あんな重くて硬い鉄の塊を着たまま、ベッドに寝かせられるわけないじゃない。シーツが破けちゃうわ」
「なっ……」
「それに、あなた。自分の顔を鏡で見たことある? 目の下は真っ黒だし、頬はげっそりコケてるし。睡眠不足のままあんな重装備で山を登ってくるなんて、自殺行為よ。倒れて当然だわ」
シズルの言葉は、エリノーラの痛いところを的確に突いていた。
確かに、限界だった。もしあの庭先で倒れていなかったら、帰りの山道で魔物に襲われてあっけなく死んでいたかもしれない。
「わ、私は……部下たちを救うため、どんな怪我でも一晩で治す特効薬を求めてきたのだ! 貴様がそれを作れるなら、いくらでも払う! だから……っ」
焦燥感から早口に捲し立てるエリノーラ。
だが、シズルは彼女の言葉を遮るように、すっとその生真面目な顔に手を伸ばした。
ひんやりとした柔らかな指先が、エリノーラの目の下にある色濃いクマを、そっと撫でる。
「部下の心配をするのは上司の立派な役目だけど……その前に、自分がボロボロに壊れちゃ意味ないでしょう?」
シズルの黒曜石のような瞳が、エリノーラを真っ直ぐに射抜いた。
その目には、怒りでも憐れみでもなく、ただ深い深い『共感』と『優しさ』が宿っていた。
前世で、責任感から自分をすり減らし、ついには過労で倒れてしまったシズル。
目の前の不器用で真面目すぎる女騎士の姿が、かつての自分と重なって見えたのだ。
「いいから、今日はもう何も考えずに休みなさい。薬の話は、あなたがちゃんとした顔色に戻ってからよ」
反論しようと口を開いたエリノーラだったが、シズルの有無を言わさぬ、しかしどこまでも温かい大人の気迫に圧され、思わず口をつぐんでしまった。
「さ、お茶が冷めちゃうわ。こっちに座って」
半ば強引に手を引かれ、エリノーラは縁側の椅子に座らされる。
目の前には、琥珀色の液体からふわりと湯気を立てる、甘い香りのハーブティーが置かれたのだった。




