第2章:過労の女騎士は、甘いハーブティーの虜になる 第1話:魔の森の噂と、クマだらけの女騎士
「……また、討伐部隊の三班から負傷者が出たのか」
辺境の街ランズベリー。その治安維持を担う騎士団の執務室で、第参部隊隊長のエリノーラは、提出された報告書を見て重いため息をついた。
ここ数週間、魔の森の周辺で魔物の動きが異常に活性化している。
街を守るため、騎士団は連日のように討伐へ駆り出されていた。しかし、絶え間ない戦闘は確実に部下たちの体力と精神を削り取っている。
備蓄していたポーションは底を突きかけ、街の薬師たちが徹夜で調合に当たっているが、とても供給が追いついていない。
「隊長、どうか少しお休みください。ここ三日、まともに睡眠をとられていないでしょう」
「私が休むわけにはいかない。負傷した者たちのフォローと、次の部隊の編成をしなければ……」
心配する副官の声に、エリノーラは首を横に振った。
銀色の髪は手入れをする余裕もなくパサつき、生真面目な美貌には深い疲労の色が濃く刻まれている。目の下には、遠目からでもわかるほど真っ黒なクマができていた。
部下が倒れていく中で、上官である自分だけがのうのうとベッドで眠るなど、彼女の強すぎる責任感が許さなかった。
「……それに、傭兵ギルドで妙な噂を聞いた。あの『赤斑の暴猿』と相打ちになって腕を失いかけたという傭兵ヴァルガが、一夜にして完治して酒場に現れたらしい」
「ああ、あの噂ですか。なんでも、魔の森の奥に『どんな傷でも一晩で治す特効薬』を作る、神代の魔女がいるとか……。ですが隊長、あんなものはただの酒場のホラ話です」
「ホラ話でも構わない。万が一本当なら、その薬があれば部下たちを救える」
エリノーラは立ち上がり、椅子に掛けてあった厚い胸当て(ブレストアーマー)を身につけた。
「隊長! まさかお一人で森へ行くおつもりですか!? 今のあなたでは、道中で魔物に遭遇すれば命が……!」
「すぐに戻る。留守を頼む」
制止する副官の声を振り切り、エリノーラは執務室を後にした。
◆
(……体が、鉛のように重い)
魔の森に足を踏み入れ、険しい山道を登り始めてから数時間。
エリノーラの息は完全に上がり、足取りは覚束なくなっていた。
極度の睡眠不足に、重い金属鎧。さらに「部下を救うための薬を何としても手に入れなければ」という精神的な重圧が、彼女の体を内側から蝕んでいる。
(神代の魔女……。もし本当にいるのなら、どんな恐ろしい代償を要求されるかわからない。莫大な金貨か、それとも私の寿命か……)
エリノーラの脳内には、紫色の毒沼のほとりに建つおどろおどろしい小屋と、大鍋で不気味な緑色の液体を煮込む、シワだらけの恐ろしい老婆の姿が浮かんでいた。
たとえ魂を売ることになろうと、部下たちのためなら構わない。彼女は悲壮な決意を胸に、鉛のような足を無理やり前に動かし続けた。
やがて、鬱蒼とした木々が途切れ、少し開けた場所に出た。
「……あそこ、か……?」
エリノーラは、剣の柄に手をかけ、油断なく目を細めた。
そこに建っていたのは――毒沼でも不気味な小屋でもなく、日当たりの良い場所にぽつんと佇む、こぢんまりとした可愛らしい丸太小屋だった。
おまけに、庭先には洗濯物が風に揺れており、とても生活感に溢れている。
「な、なんだここは……?」
毒気を抜かれ、呆然と立ち尽くすエリノーラ。
その時、小屋の横から誰かが歩いてきた。
「あら。今日はとっても良いお天気だから、お布団も干しちゃおうかしら」
のんびりとした、鈴を転がすような声。
そこにいたのは、恐ろしい老婆などではなかった。
艶やかな黒髪を無造作に束ね、ゆったりとしたエプロンドレスを着た、息を呑むほど美しい女性だった。
彼女――シズルは、両手でふかふかの布団を抱えたまま、庭先に立つ全身金属鎧の不審者とバチリと目を合わせた。
「……えっと、こんにちは?」
シズルが首を傾げて微笑むと、ふわりと、心を落ち着かせるような甘いハーブの香りが風に乗って漂ってきた。
「あ、あなたは……っ」
張り詰めていた緊張の糸が、その香りを嗅いだ瞬間にプツリと切れた。
同時に、三日三晩の徹夜による限界が、エリノーラの体を容赦なく襲う。
「……魔女、ど、の……」
エリノーラはそれだけ言い残し、ガシャン! と派手な金属音を立てて、シズルの目の前で前のめりに倒れ込んでしまったのだった。




