第5話:不器用な恩返しと、始まる伝説
翌朝。ヴァルガは小鳥のさえずりで目を覚ました。
「……信じられん」
朝日が差し込むベッドの上で、彼は自分の体を確かめ、驚愕の声を漏らした。
重かった体は10歳若返ったように軽く、何より欠損しかけていた右腕は、傷跡ひとつ残さず完全に元通りになっていたのだ。痛みはおろか、違和感すらない。
(ただの草をすり潰しただけで、こんな真似ができるはずがない。あのアマチュア丸出しの治癒魔法……いや、彼女が使ったのは、間違いなく『神代の秘薬』クラスの代物だ)
身支度を整え、リビングへ顔を出すと、シズルはすでに起きていて、鼻歌交じりに何かを布で包んでいた。
「あ、おはよう。顔色、すっかり良くなったわね」
「……ああ。あんたのおかげだ」
「ふふ、なら良かった。はい、これ」
シズルは布包みと、小さな丸薬瓶をヴァルガに差し出した。
中には、黒パンにたっぷりの肉を挟んだサンドイッチと、昨日の『ただの薬草』が詰まっている。
「山を下りるまでお腹空くでしょう? それと、もしまた擦り傷ができたら、その薬を塗ってね。……あんまり無茶しちゃ駄目よ?」
「……っ」
どこまでも無防備で、お節介で、底抜けに優しい。
ヴァルガは言葉に詰まりながらそれを受け取ると、腰に提げていたずっしりと重い革袋を外し、テーブルの上にドンッと置いた。
中には、これまでの過酷な依頼で稼ぎ貯めてきた多額の金貨が入っている。
「ちょっと、何これ?」
「治療費と、飯代だ」
「こんなにもらえないわよ! スープ一杯と、その辺の草の値段じゃないわ!」
「俺の命と、右腕の値段だ。……これでも安いくらいさ」
慌てるシズルに背を向け、ヴァルガはドアノブに手をかけた。
不器用な男なりの、最大限の感謝と恩返しだった。これ以上ここに長居すれば、この心地よい微睡みから二度と抜け出せなくなる気がしたのだ。
「恩に着る。……あんたのスープ、最高に美味かったぜ」
照れ隠しのようにそれだけ言い残し、ヴァルガは足早に山を下りていった。
◆
その日の午後、辺境の街ランズベリーの傭兵ギルドは、ちょっとした騒ぎになっていた。
「ヴァルガ!? お前、生きてたのか!」
「嘘だろ、赤斑の暴猿と相打ちになって、右腕を吹っ飛ばされたって聞いたぞ……って、腕あるじゃねえか!」
ギルドの酒場に姿を現したヴァルガを囲み、傭兵仲間たちが目をひん剥いている。
「ああ、死にかけたがな。……運良く、深い森の奥に住む魔女に拾われた。一晩でこの通りだ」
ヴァルガはニヤリと笑って右腕を回してみせた。
周囲からどよめきが起こる。いかに高位の治癒魔法使いでも、欠損を治すには何日もかかるのが常識だ。
「す、すげえ! どこだ、その魔女はどこにいる!?」
「教えるかよ。彼女はな、静かに暮らしたいんだ。もし無理に探し出して彼女の平穏を脅かすような真似をする奴がいたら……俺が真っ先に叩き斬る」
凄みを利かせ、酒場を黙らせるヴァルガ。
彼は恩人であるシズルの静かなスローライフを守るため、あえて名前や正確な場所を伏せたのだ。
――だが、彼はファンタジー世界の「噂」の広まりやすさと、尾ひれがつく速度を甘く見ていた。
『深緑の森の奥には、どんな傷や病も一晩で治す特効薬を作る神代の魔女がいる』
『あの最強の傭兵ヴァルガが、彼女には絶対に頭が上がらないらしい』
『大金貨の山を積んでも、彼女の薬は買えないそうだ……!』
隠せば隠すほど人間の好奇心は煽られ、噂は熱狂と共に瞬く間に街中へ、そして隣街へと広がっていくのだった。
◆
「へっくちゅ!」
同じ頃。
山の上のこぢんまりとした丸太小屋の縁側で、シズルは可愛らしいくしゃみを一つこぼした。
「……誰か噂でもしてるのかしら」
ぽかぽかと暖かい日差しの中、彼女の手元には、ヴァルガが置いていった金貨の入った革袋がある。
「いくらなんでも、あんな薬草でこんなにお金をもらうなんて申し訳ないわね……。でも、せっかくだし、次に商人のローウェンさんが山を通ったら、少し良い茶葉とお肉でも注文しようかしら」
彼女は、自分が街で『神代の魔女』として伝説になりかけていることなど露知らず。
ただのんびりと、次のお茶の時間を楽しみにしながら、柔らかな陽だまりの中でふわりと微笑むのだった。




