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神代の魔女の甘やかしスローライフ ~戦闘力皆無の私が、規格外の癒やしで最強の社畜たちを無双させるまで~  作者: RIU


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第8章:引退間近の女冒険者、特製おつまみで晩酌を楽しむ 第1話:鈍る剣筋と、三十代後半のキャリアの壁

ジリッ、と。

薄暗いダンジョンの石畳の上で、ミランダの革靴が僅かに滑った。


「ちぃっ……!」


目の前に迫る、オークの振り下ろした巨大な棍棒。

二十代の頃の彼女であれば、筋肉のバネを使って軽々とバックステップで躱し、そのままオークの懐に潜り込んで首を刎ねていたはずの攻撃だ。

しかし、今のミランダの身体は、彼女の脳からの『回避』の指令に対して、ほんのコンマ数秒だけ反応が遅れた。


ドゴォォォンッ! という轟音と共に石畳が砕け散り、飛び散った鋭い石の破片がミランダの頬と二の腕を浅く切り裂いた。


「ミランダさん! 大丈夫ですか!?」

「問題ない! 後衛は魔法の詠唱を続けろ、私が足止めする!」


後方の若い冒険者たちに指示を飛ばしながら、ミランダは愛用の長剣を構え直した。

彼女は、冒険者ギルドでも一握りしかいない『Aランク』のベテラン冒険者だ。

十代の頃から剣一本で生計を立て、数え切れないほどの魔物を討伐し、多くの仲間を失いながらも生き残ってきた。その剣の腕と冷静な判断力は、ギルド内でも高く評価されている。


だが、どれほど経験を積もうと、人間には逆らえない『絶対的なルール』がある。

――老いだ。


三十代後半を迎えたミランダの身体は、確実にピークを過ぎていた。

長年の激闘で蓄積された関節のダメージ。雨の日にうずく膝。少し無理をして徹夜の探索をしただけで、数日間は身体の重さが抜けなくなる。

若い頃は一晩寝れば完治していたような打撲や切り傷も、今ではいつまでも痛みを引きずり、醜い痕を残すようになってしまった。


(くそっ……。身体が、重い……っ!)


ミランダは奥歯を噛み締め、オークの追撃を剣で受け流した。

重い一撃を受けるたびに、手首から肩にかけて、ビリビリと痺れるような鈍い痛みが走る。

『力』と『反射神経』で押し切れていた戦い方が、もう通用しなくなってきているのだ。最近は、豊富な『経験』による予測と立ち回りでなんとかカバーしている状態だった。


戦闘が終わり、オークの巨体がドスンと音を立てて倒れ伏す。

「やりましたね、ミランダさん! さすがはベテランだ!」

「俺たちだけじゃ、あんな大物倒せませんでしたよ!」

若いパーティーメンバーたちが、無邪気に歓声を上げてミランダを取り囲む。

彼らの瞳はキラキラと輝き、未来への希望と、無限の体力に満ち溢れていた。


「……ああ。お前たちの援護のおかげだ、よくやった」

ミランダは息を整えながら、努めて冷静な先輩の顔を作って頷いた。

だが、剣を鞘に収める彼女の手は、疲労と筋力の限界で、微かに震えていた。



討伐を終え、街の冒険者ギルドに併設された酒場に戻ったミランダは、カウンターの隅で一人、安酒の入ったジョッキを傾けていた。


(……そろそろ、潮時かもしれないな)


酒のアルコールが、酷使した筋肉の痛みを少しだけ麻痺させてくれる。

冒険者の寿命は短い。三十代後半まで最前線で戦い続けられる者など、ほんの一握りだ。多くの者は怪我で引退するか、命を落とす。

ギルドマスターからも、最近は「そろそろ後進の育成に回らないか」と、暗に引退を勧めるような打診を受けるようになっていた。


だが。

『引退して、どうする?』


ミランダの前に、分厚く、そして途方もなく高い壁が立ちはだかっていた。

彼女は、戦うことしか知らない。

十代で剣を握ってから、魔物を殺し、金を稼ぐことだけが彼女の人生だった。女性らしい趣味も、家庭を持つという選択肢もすべて切り捨てて、ただひたすらに生き残るためだけに自分をすり減らしてきたのだ。


冒険者を辞めて、普通の生活に戻る?

料理も裁縫もできない。愛想笑いを浮かべて店番をするような器用さもない。

かといって、このまま冒険者を続ければ、遠からず衰えた身体が限界を迎え、魔物の餌食になるのは火を見るよりも明らかだった。


(私は、何者にもなれずに、ただ老いていくだけなのか……?)


ジョッキに映る自分の顔を見る。

目尻には細い皺が刻まれ、肌は日焼けと傷跡で荒れている。王都の貴族の女性たちのような、美しく穏やかな歳の重ね方とは無縁の、ただ闘い疲れた女の顔だった。


「よう、ミランダ。相変わらずシケた面して飲んでんな」


ふいに、背後から野太い声がかけられた。

振り返ると、そこには見知った大柄な男――凄腕の傭兵であるヴァルガが、ドカッと隣の席に腰を下ろしていた。


「ヴァルガか。お前こそ、最近ギルドに顔を見せないじゃないか。どこかの貴族の専属にでも飼われたのか?」

ミランダは鼻で笑いながら、ヴァルガの顔を見た。


そして、彼女は目を丸くして驚いた。


「お前……なんだ、その肌ツヤは?」

「ん? ああ、わかるか?」

ヴァルガはニヤリと笑い、自慢げに自分の太い腕を叩いてみせた。


昔からの付き合いであるヴァルガも、ミランダと同年代のベテランだ。本来なら、彼も無数の古傷と蓄積疲労でボロボロのはずだった。

しかし、目の前にいるヴァルガの肌は、まるで二十代の若者のように血色が良く、ハリとツヤに満ちている。かつて彼の左腕にあった、魔物に抉られた深い傷跡も、なぜか綺麗に塞がって目立たなくなっていた。

何より、彼から放たれる『気(生命力)』が、信じられないほど充実しているのだ。


「お前、一体どんな高級ポーションを飲んだんだ……? まさか、不老不死の秘薬でも見つけたのか?」

「ガッハッハ! 不老不死ってのは大げさだがな、それに近いもんはあるかもしれねえ。俺は最近、辺境のランズベリーにある『魔の森』に入り浸っててな」

「魔の森……? あんな辺境の森に、何があるって言うんだ」


ヴァルガは声を落とし、周囲を気にするようにしてミランダに顔を近づけた。


「あそこの山奥にな……とんでもねえ『薬師の嬢ちゃん』が住んでるんだよ。そいつの作る飯と、薬湯(温泉)、それから……とびっきりの『サウナ』ってやつが、疲れた身体の芯まで効くんだ」

「温泉? サウナ……?」

「ああ。騙されたと思って、一度行ってみな。お前みたいに、戦うことに疲れ果てて、先の人生に迷っちまってるような奴には……あの『究極の甘やかし』が必要だぜ」


ヴァルガは意味深な笑みを浮かべ、ミランダのジョッキに自分の酒を少し注ぎ足した。


「ま、行けばわかるさ。行くなら『ヴァルガの紹介だ』って言いな。あの嬢ちゃんは、身内にはすげえ甘いからな」



ヴァルガの言葉が、どうしても頭から離れなかった。

数日後。

ミランダは、自分でも半信半疑のまま、王都から遠く離れた辺境の街・ランズベリーへと足を運んでいた。


(私は一体、何をしているんだ……。怪しげな温泉の噂を信じて、こんな片田舎まで来るなんて。完全に判断力が鈍っている証拠だ)


自嘲しながらも、ミランダの足は『魔の森』へと向かっていた。

森の入り口には、なぜか『ローウェン商会私有地・無断立ち入りを禁ず』という厳重な立て札と、さらに『特任監査室直轄・国家自然保護区(※密猟者は極刑に処す)』という、大仰な国のお触れ書きまでが並んで立っていた。


(……なんだこれは? ただの薬師が住む山奥の入り口に、なんで国家レベルの警告板が立ってるんだ?)

ミランダは眉をひそめたが、ヴァルガの「身内なら大丈夫だ」という言葉を信じ、森の奥へと続く獣道を進んでいった。


険しい山道を登ること数十分。

関節の痛みを庇いながら歩を進めると、やがて視界が開け、陽だまりのような空間が現れた。


「こ、ここは……っ」


ミランダは絶句した。

そこにあったのは、ヴァルガから聞いていた「山奥の粗末な小屋」などではなかった。

綺麗に組み上げられた香柏ヒノキの丸太小屋。その横には、森の景色と完全に調和した広大なウッドデッキと、立派な煙突を備えた『サウナ小屋』。そして、奥からは仄かに硫黄とハーブの混ざった温泉の湯気が立ち上っている。


(これは……王都の高級保養施設か何かか!?)


ミランダが呆然と立ち尽くしていると、ウッドデッキの方から、エプロン姿の女性が姿を現した。

艶やかな黒髪を後ろで緩く束ね、穏やかな黒曜石のような瞳を持つ、三十路を少し超えたあたりに見える美女だった。


「あら。こんにちは」

女性は、見知らぬフル武装の女冒険者ミランダを見ても全く警戒する様子もなく、ふわりと微笑みかけた。


「あ、あんたが、この家の主か……? 私は、ミランダ。冒険者だ。……その、ヴァルガから、ここの噂を聞いて……」

慣れない自己紹介に、ミランダはしどろもどろになった。

常に殺気立って生きている自分が、こんなにも平和で穏やかな空間に立っていることが、激しい場違いに思えて逃げ出したくなったのだ。


だが、女性――シズルは、ヴァルガの名前を聞いてパァッと花が咲くような笑顔を見せた。


「ヴァルガさんの知り合いなのね! よく来てくれたわ。私はシズル。どうぞ、中に入って」

「い、いや、私はただの冷やかしで……その、汚い冒険者がこんな綺麗な家に上がるなんて……」


ミランダは無意識のうちに、自分を卑下する言葉を口にしていた。

泥と血の匂いが染み付いた自分は、この清潔で温かい空間には似合わない。そう思ったのだ。


しかし、シズルはミランダの躊躇いなど意に介さず、タタタッとウッドデッキを降りてくると、ミランダのゴツゴツとした手を、自分のひんやりと柔らかな両手で包み込んだ。


「冷やかしでもなんでもいいわよ。……あなた、すごく疲れた顔をしてる。山道を登ってきて喉も渇いたでしょう?」

「あ……」

「お仕事の話は、とりあえず脇に置いておいて。……ねえ、ミランダさん。少し明るい時間だけど、一杯飲んでいかない?」


シズルの提案は、説教でもなく、冒険者としての武勇伝を聞き出すことでもなかった。

ただ、疲れた同年代の女性を労い、酒に誘う。

そのあまりにも自然で、心地よい大人の余裕。


(……ああ。ヴァルガの言っていた『究極の甘やかし』ってのは、こういうことか)


ミランダの張り詰めていた肩の力が、スッと抜けた。

剣を握るためにカチカチに強張っていた彼女の手が、シズルの温かい手に引かれるまま、ゆっくりと山小屋のウッドデッキへと導かれていく。


「……ああ。よければ、一杯ご馳走になろうか」

「ふふ、任せて。とびきり美味しい『おつまみ』を作るからね」


引退を前に人生の迷子になっていたベテラン女冒険者は、こうして魔の森の魔法の居酒屋(シズルの家)の暖簾をくぐったのだった。

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