第4話:胃に優しい極上リゾットと、官僚の休日
「クラウスさん。王都へ戻る前に、まずはその窮屈そうな制服、脱いじゃいましょうか」
縁側でローウェンと熱い「国家機密化計画」を語り合っていたクラウスに、シズルが笑いながら声をかけた。
「……む? しかし、私は国家の役人であり、常に身だしなみには……」
「お仕事は『明日から』。今日はまだ、私の患者さんのお休みの日よ。はい、ガストンさんが置いていった着替え。少し大きめだけど、洗い立てだから」
手渡されたのは、大工のガストンが愛用している、ゆったりとした麻の作務衣だった。
クラウスは一瞬渋ったものの、先ほど自分を深い眠りへと誘ってくれた『恩人』の言うことには逆らえず、大人しく更衣室(という名の空き部屋)へと向かった。
数分後。
首元までカッチリと締めていたクラウスの制服は脱ぎ捨てられ、ゆったりとした作務衣姿の男がリビングに現れた。
「うむ……。なんというか、非常に……心もとないな」
「似合ってますよ、クラウスさん。すごくリラックスして見えます」
「……そうか?」
風通しの良い麻の服は、これまで彼を縛り付けていた『官僚としての重圧』という鎧を、物理的に剥ぎ取ってくれたようだった。
ウッドデッキのチェアに腰を下ろすと、山の爽やかな風が、作務衣の隙間を通り抜けて肌を撫でる。
呼吸が、信じられないほど深い。
「さ、お昼ご飯ができたわよ。今日はクラウスさんの荒れた胃袋に合わせて、特別メニューね」
シズルがお盆に乗せて運んできたのは、湯気を立てる深めの木皿だった。
中に入っていたのは、黄金色に輝く『卵と薬草のチーズリゾット』。
付け合わせには、大根によく似た根菜をトロトロになるまで煮込んだ温かいスープが添えられている。
「……美味そうな匂いだ」
不眠症のせいで常に吐き気を抱え、食事といえば苦い覚醒用の茶と、腹を膨らませるだけの硬い携帯食しか口にしていなかったクラウス。
彼の胃袋が、その優しい香りを嗅いだ瞬間に「早くそれを入れてくれ」とキュルルと愛嬌のある音を鳴らした。
「いただきます」
クラウスは木製のスプーンでリゾットをすくい、ふうふうと冷ましてから口に運んだ。
「……っ!!」
舌の上で、濃厚な卵の甘みと、とろけるようなチーズのコクが弾けた。
しかし、決して脂っこくはない。細かく刻み込まれた数種類の薬草が、爽やかな香りと微かな酸味を添えており、後味を驚くほどさっぱりとさせている。
柔らかく煮込まれた米粒が、荒れ果てていた胃の粘膜を優しく撫でるように滑り落ちていく。
「美味い……! なんだ、この信じられないほど優しい味は……っ」
「ふふ。徹夜続きで胃酸が出すぎている時は、脂っこいお肉よりも、こういう消化が良くて粘膜を保護してくれるご飯が一番なのよ。スープも、生姜に似たスパイスを少し効かせてるから、身体の芯からポカポカしてくるはずよ」
シズルの言う通りだった。
温かいスープを一口飲むと、胃袋の底に小さな太陽が生まれたように、身体の内側から心地よい熱が全身の血管へと広がっていく。
ガチガチに冷え固まっていた内臓が、喜びの声を上げているのがわかった。
クラウスは、官僚としての行儀作法も忘れ、夢中でスプーンを動かした。
「美味い……美味い……っ」
ただのご飯が、これほどまでに美味しいと感じたのはいつ以来だろうか。
王都の高級レストランで政敵と探り合いながら食べるフルコースよりも、この山小屋のウッドデッキで食べる一杯のリゾットの方が、何千倍も、何万倍も価値のある極上のご馳走だった。
「お兄さん、いっぱい食べるんですね! おかわり、ありますよ!」
「ああ。頼む、ティセ殿」
紫色の瞳を持つ可愛らしい少女が、クラウスの空になった皿にたっぷりとリゾットを追加してくれる。
遠くでは、大柄な傭兵が薪を割り、それを商会長のローウェンが不器用な手つきで運んでいる。
平和で、穏やかで、何の計算も裏もない、完璧な時間。
「……私は、馬鹿だったのかもしれんな」
二杯目のリゾットを平らげ、食後の温かいハーブティーを飲みながら、クラウスはポツリと呟いた。
「国を良くするためには、自分が眠る間も惜しんで、完璧な機械にならなければならないと思い込んでいた。……だが、機械ではない血の通った人間が、こんなにも美しい時間(休息)を知らずに、どうして民の幸せを守る法など作れようか」
クラウスの灰色の瞳は、かつての氷のような冷たさを失い、穏やかな慈愛の色を帯びていた。
「シズル殿。あなたには、心からの感謝を。……私の壊れかけていた心と身体は、あなたのおかげで救われた。この御恩は、必ずや『国政』という形でお返ししよう」
「えっ? いや、そんな大げさなことはしなくていいんだけど……」
「いいえ! 国家の宝であるこの聖域を守ることこそが、私の新たな正義! さあローウェン商会長! 食後のお茶が終わったら、ただちに王都へ戻るぞ!」
すっかり活力を取り戻したエリート官僚は、再び目の中に『健康的な狂気』を宿し、立ち上がった。
シズルは「まぁ、元気になったならいっか」と苦笑しながら、王都へ帰るクラウスに、手作りの『ホットアイマスク』と『特製安眠ハーブティーの茶葉』を、お土産としてたっぷりと持たせてやるのだった。




