第3話:不器用な手伝いと、特別扱いされない日常
フェリアが魔の森の山小屋で保護されてから、一週間が経過した。
シズル特製の『蜂蜜大根シロップ』の効果は凄まじく、数日も経つ頃には、フェリアの喉の痛みや炎症は完全に消え去っていた。
だが、フェリアはまだ声を発していなかった。
物理的な傷は癒えても、王都で受けた「歌えなければ無価値だ」という精神的な呪縛が、彼女の喉に重い鍵をかけていたのだ。言葉を発しようとするだけで、観客の冷たい視線や興行主の怒声がフラッシュバックし、息が詰まってしまう。
そんなフェリアに対して、シズルは「無理に喋らなくていいのよ」と言ったきり、本当に一切の干渉をしなかった。
何かを聞き出そうとするわけでもなく、歌姫としての過去を詮索するわけでもない。ただ、毎日三食の温かくて美味しいご飯を食べさせ、ふかふかのベッドで寝かせるだけ。
フェリアの生活は、王都にいた頃とはすべてが百八十度変わっていた。
「フェリアさん、こっちの薬草の根っこ、お水で洗うのをお願いできますか?」
「……(コクッ)」
ある日の午後。フェリアは山小屋の裏手で、ティセと一緒に薬草洗いの手伝いをしていた。
「お客様だから何もしなくていい」とシズルに言われていたフェリアだったが、何もしない時間が逆に不安になり、身振り手振りで必死に「手伝わせてください」と懇願した結果、こうして簡単な作業を任せてもらえるようになったのだ。
フェリアが着ているのは、煌びやかな絹のドレスではなく、ローウェンが街から調達してきた丈夫な綿のチュニックとズボン。足元は動きやすい革のブーツだ。
王都では「喉や身体に傷がつく」という理由で、刃物を持たされることも、冷たい水に触れることすら禁じられていた。彼女の身体は、ただ歌うためだけの『高価な楽器』として徹底的に管理されていたのだ。
だから、こうして冷たい井戸水で泥だらけの根菜を洗い、手がふやけていく感覚すら、フェリアにとってはひどく新鮮で、不思議な充実感があった。
「あ、フェリアさん! そっちの草は強くこすっちゃ駄目なんです! 葉っぱが破けちゃうと、お姉さんに怒られ……ああっ!」
「……っ!(アワアワ)」
不慣れな作業ゆえに、フェリアが力加減を間違えて薬草の葉をちぎってしまい、ティセと二人で慌てふためく。
王都にいれば、こんなミスをすれば即座に平手打ちが飛んできた。だが、ここにいるのは優しいアシスタントの少女だけだ。
「おいおい嬢ちゃんたち、何やってんだ?」
そこへ、丸太を担いだ大柄な男が通りかかった。
シズルの山小屋の増築工事(現在はサウナの横に休憩用の東屋を建設中)に精を出している、大工の親方ガストンだ。
「ガストンさん! フェリアさんが薬草ちぎっちゃったんです!」
「あーあ。シズル様は薬草の扱いには厳しいぜ? ま、ちぎれちまったもんは仕方ねえ。刻んで今日のスープの出汁にでもしてもらいな。……ほれフェリア嬢ちゃん、そこどいてな。丸太が通るぜ」
「……(ペコリ)」
フェリアは慌てて道を譲り、ガストンに頭を下げた。
ガストンは「おう」とだけ短く返し、丸太を担いでドスドスと通り過ぎていく。
その何気ないやり取りに、フェリアは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
『フェリア嬢ちゃん、そこどいてな』。
王都で、彼女をそんな風にぞんざいに扱う人間はいなかった。誰もが彼女を「金を生む道具」として祭り上げ、腫れ物に触るように扱うか、あるいは嫉妬に狂って影で石を投げるかだった。
だが、この山小屋に集まる人間たち――シズルも、ティセも、ローウェンも、エリノーラも、ヴァルガも、ガストンも。
誰一人として、彼女を『稀代の歌姫』として特別扱いしなかった。
ただの「不器用だけど、真面目に手伝いをしてくれる若い娘」として、極めてフラットに、そして家族のように接してくれるのだ。
(私……歌えなくても、ここにいていいんだ)
冷たい水で洗われた薬草を籠に入れながら、フェリアの口元に、自然と小さな笑みがこぼれた。
歌がなくても、自分の存在を許してくれる場所。
それは、平民の孤児として生まれ、ずっと自分の存在価値を証明するために歌い続けてきたフェリアにとって、初めて見つけた本当の『居場所』だった。




