第5話:究極の『ととのう』体験
その日の夕方。
ガストンの常軌を逸した集中力と、ヴァルガの圧倒的なパワーにより、露天風呂の隣には、見事な総ヒノキ(香柏)造りの小さな『サウナ小屋』が完成していた。
横には、巨大な木樽にたっぷりと冷たい湧き水が張られた『水風呂』。
そして、その前には、リクライニングできる角度に調整された、ガストンお手製の極上の木製チェアが三脚並べられている。
「……完成だぜ。さあ、火生石を起動しろ」
ガストンが炉の石を熱すると、密閉された小屋の温度はみるみるうちに上昇し、あっという間に八十度を超える灼熱の空間となった。
シズルは、特製の薬草(白樺のような香りのするものや、ミントのようなハーブ)を煮出したアロマ水を木桶に用意してくれた。
「さあ、ガストンさん、ヴァルガさん、ローウェンさんも。男三人で、一番風呂……じゃなくて、一番サウナを楽しんできてください!」
シズルに見送られ、ガストン、ヴァルガ、そしてちょうど街から物資を運んできたローウェンの三人は、腰に布を巻いた姿で、サウナ小屋の扉を開けた。
「うおっ……! な、なんだこの熱気は!」
中に入った瞬間、むせ返るような熱風が三人を包み込む。
ローウェンが悲鳴を上げたが、ガストンは「いいから座れ!」とベンチに促した。
「おい、嬢ちゃんが言ってた通り、この熱い石にアロマ水をかけてみるぞ」
ヴァルガが、柄杓ですくった薬草の水を、炉の石にゆっくりと流しかけた。
ジュゥゥゥゥッ!!
けたたましい音と共に、一気に大量の水蒸気が小屋の中に充満する。
「あ、あっつぅぅぅっ!!」
強烈な熱波が、三人の全身を襲った。
だが、それは不快な熱さではなかった。香柏の木が放つ芳醇な香りと、シズル特製の薬草の香りが混ざり合った、最高級の蒸気。
毛穴という毛穴が一気に開き、滝のような汗が全身から吹き出していく。
「す、すげぇ……。身体の奥底に溜まってた毒素が、汗と一緒に全部搾り出されていくみたいだ……っ」
ローウェンが息を荒らげながら呻く。
数分後。限界まで身体を熱した三人は、サウナ小屋を飛び出した。
「次はこの水樽だ! 行くぞ!」
ガストンの合図で、三人は頭から冷たい湧き水の掛け湯をし、木樽の中へとザブンと浸かった。
「……っ!!!!」
声も出ないほどの衝撃。
灼熱から極寒への急激な温度変化。だが、数秒もすると、身体の表面に薄い温かい膜(羽衣)が張ったような不思議な感覚に陥り、冷たさは極上の心地よさへと変わった。
「上がれ! そして、あの椅子に座るんだ!」
ガストンたちは水風呂から上がり、フラフラとした足取りで、ウッドデッキに用意された特製の木製チェアに深く腰を下ろした。
山の冷ややかな夜風が、濡れた身体を優しく撫でていく。
その時だった。
「……あ」
ガストンの口から、間の抜けた声が漏れた。
頭の中が、真っ白になった。
ドクン、ドクンという心臓の鼓動だけが、身体の中心で心地よく響いている。
視界がぐらりと揺れ、身体の輪郭が世界と溶け合っていくような、強烈な浮遊感。
脳内に、言葉にならない圧倒的な多幸感と、絶対的なリラックスの波が押し寄せてくる。
「……と、とのったぁぁぁ……」
誰に教えられたわけでもない。
しかし、その言葉が自然とガストンの口からこぼれ落ちていた。
隣を見れば、歴戦の傭兵であるヴァルガも、若き大商会長のローウェンも、口を半開きにして完全に虚空を見つめ、だらしない笑顔で魂を抜かれていた。
(すげえ……なんだこれ。三十年間の腰痛が治っただけでも奇跡だってのに。この極上の体験は、王様だって味わえねえぞ……)
ガストンは、星空を見上げながら、深く、深く息を吐き出した。
職人としてのプレッシャー、弟子を育てる重圧、そして肉体の限界。それらすべての『現代社会のストレス』が、サウナと冷水、そしてシズルの薬草の力によって、完全に浄化されていく。
「……最高だ。俺はもう、この山の子になるぜ」
ガストンは、心の中でひっそりと、街の工房を弟子に譲る決意を固めていた。
こうして、山小屋の露天風呂は最高級の『サウナ付き温泉施設』へとアップグレードされ、頑固な大工の親方は、シズルのスローライフを物理的に快適にする『専属の山大工(サウナ仲間)』として、完全にこの沼へと沈んでいったのである。




