04:ちょっと魔王を倒しておいで
食後の緑茶を一口飲んだあと、雅就がそばに用意してあった一冊の古びた本を座卓の上に置いた。和綴じの本は相当古く、表紙にタイトルのようなものはない。
「これは遠い先祖の日記でね。かつてこの地が奈落と呼ばれていた頃、異世界ディセリアから、魔王と勇者シフィルが飛ばされてきたと記されている。当時名のある陰陽師だったご先祖様は勇者シフィルと協力し、魔王を封じることに成功したんだ。その後ご先祖様とシフィルは結婚して、その子孫が私たち古守家になるんだよ」
「ちょっと待って。突っ込みどころが満載なんですけど!?」
「ちなみにその時ディセリアと通じた穴があったのが、神社裏にある巨石の場所になるね。魔王と勇者がこちらへ来た時に開いたっきり、それ以降は一度も繋がることはなかったようだ」
初っ端から内容がぶっ飛びすぎて理解が追い付かない。勇者や魔王だなんて、この前プレイした「セカンドファンタジーシリーズ」のゲームの世界観そのものではないか。
「異世界とか魔王とか……お父さん、本気で言ってるの? ひょっとして、皆で私をからかってたりする?」
「冗談だったらよかったんだけどね」
「……え?」
「ご先祖様と勇者シフィルが封じた魔王……正確には魔王の魂なんだけど、その封印がどうやら解けかかっているようなんだ。最近悪霊に憑かれる者が多いのも、それが原因だと考えていいだろう。封印から漏れ出る魔王の邪気に当てられて、普通の霊も悪霊化している事例が見受けられる」
確かに昨夜除霊した悪霊もタチが悪かった。体感的にはどこにでもいる低級霊の部類だったはずなのに、人に取り憑く力が想像していたよりも強かった気がする。
「そこでだ、美言。お前は今回、誉れある聖剣エクスカリバーの使い手に選ばれたそうだ。ディセリアから来た聖剣の護り手、アルトリウス・ヴィルオルセン君と一緒にちょっと魔王を倒しておいで」
「本題が雑! 近所のおつかいじゃないんだから!」
「肩の力を抜いた方がうまくいくこともあるだろう?」
「お父さんは気を緩めすぎなの! っていうか本当に信じてるの? その異世界とか魔王とか……この人のこともそうだけど」
隣に座るアルトリウスをちらりと見れば、彼は美言の母が出した食後のおやつ芋ようかんを黙々と食べていた。朝食もかなりの量を食べていたはずなのに、見かけによらず大食漢である。
美言の視線を感じてようやく顔を上げたアルトリウスは、そこで初めて自分の話をされていることに気づいたようだった。
「どうした?」
ただでさえ芸能人顔負けのイケメンであるのに、銀髪に金色の瞳というファンタジックな色彩が更にアルトリウスの現実離れした美貌に拍車をかけている。目を合わせただけなのに、美言の心臓はさっきから不整脈を打ちっぱなしだ。少女漫画のような恋愛に本気で憧れる美言にとって、アルトリウスの美貌は目にも心にも毒である。
「えぇと……アルトリウス、さん?」
昨夜はドタバタしていたので口調も荒くなっていたが、見た目から判断するにおそらくアルトリウスは美言よりも年上だと思われる。一応敬称を付けて名前を呼んでみたが、当の本人が「アルトリウスでいい」と告げたので、美言は少しだけホッとした。あれだけ言い合った後に、急に畏まるのもこそばゆい気がしたのだ。
「じゃあ……アルトリウス。あなた聖剣の護り手って言ってたけど、昨日みたいに胸に剣を突き刺して大丈夫なの? 死霊……とかじゃ、ないわよね?」
「聖剣に力を溜めておくには、特別な鞘が必要だ。そのままでは聖剣からどんどん力が漏れ出てしまうからな。剣の力が枯渇しないよう、勇者シフィルもその体を鞘として聖剣を保管していた」
「剣を鞘から出したら、力がなくなっていくってこと?」
「簡単に言えば、そうなる」
「それじゃあ使ったら使ったぶんだけ、聖剣はどんどん弱くなるじゃない」
「鞘に収めれば、失った力は回復する。そのための護り手だ」
鞘から抜いたら力を垂れ流し、魔物を倒して失った力は鞘に戻して回復させる。一応魔物には絶大な力を誇るようだが、その力も正しく管理されていないとただの剣に成り下がるということか。
もはや聖剣と呼べるのかどうかも怪しい気がする。アルトリウス――人間の心臓を鞘にしている時点で、聖剣と言うより魔剣ではなかろうか。
「その鞘っていうのも、あなたの心臓なんでしょう? 聖剣専用の鞘とか作れなかったの?」
「聖剣は神が勇者シフィルに授けた、魔王を倒すことのできる唯一の武器だ。強大な神の力が宿る聖剣に対して、人の持つ技術が成せることは少ない。そもそも鞘の役割も、本来なら神に選ばれた勇者にしかできないんだ」
「え? でもあなた、さっき自分で聖剣で護り手だって……。それって今はあなたが鞘ってことでしょ?」
「そうだ。勇者シフィルがディセリアから姿を消した後、聖剣の力が失われないために新たな鞘が必要だった。次の使い手が現れるまでシフィルの代わりに聖剣を守り、剣の力を保つため、俺は自ら護り手に志願した」
「どうしてそこまでして……」
神の力宿る聖剣だとしても、武器である刃物を自らの体内へ保管することに恐怖や不安などはなかったのだろうか。おそらく物理的に埋め込む方法ではないのだろうが、それでも美言が持てないほどの重く大きな剣を宿すことはそう簡単ではないはずだ。
神の力を人間に降ろす。日本でも神霊を巫女に乗り移らせる神降ろしがあるが、あれも精神力、体力ともに相当消耗するものだ。同様に神の力を秘めた聖剣を常に体内で護り保管するとなると、その負担は神降ろしの時とは比べ物にならないほど強くアルトリウスに圧し掛かってくるだろう。
そうまでして聖剣の護り手になる理由がアルトリウスにあったということか。
「美言。急にこんなことになって不安なのはわかる。本来ならお前が正式に神社を継ぐ時、この日記と一緒に古守家の歴史を伝えるはずだったんだが……順番が逆になってしまった」
雅就としても、この急すぎる事態を少しは申し訳なく思っているようだ。俯き加減でそう告げると、和綴じの本を力なくパタン……と閉じた。そして再び美言の方をまっすぐに見る。そのまなざしは普段よりも凛と鋭く、古守白狐神社の宮司としての威厳がそこにあった。
「お前が聖剣に選ばれたのは紛れもない事実だ。であれば、シフィルの血を引く古守家として、魔王討伐の悲願を果たすべきだと思わないかい?」
「そんなこと言われても、あの剣むちゃくちゃ重くて持ち上げられないんだってんば」
いくら聖剣の使い手に選ばれたとはいえ、その剣が重くて持てないのなら話にならない。これ幸いとお役御免を期待した美言だったが、その企みは加代が取り出したスマホの画面に映し出された一枚の写真によってあっけなく阻止されてしまった。
「剣が持てないなら、アル君と一緒に戦えばいいじゃない。昨夜の二人、とーってもよかったわよー? まるで空中デートみたいで、お母さんドキドキしちゃった」
アルトリウスの名前を勝手に略した加代のスマホ画面には、美言を背後から抱きしめるアルトリウスの写真が表示されていた。娘の顔より、アルトリウスの方に焦点が合っている。
「ちょっと、何これ! こんな写真、いつの間に撮ったの?」
「うふふ。いいでしょー。美言を抱きしめて颯爽とトカゲを倒すアル君、とってもかっこよかったわぁ。お姫様抱っこの写真と合わせて、美言にも送るわね」
「いらない!」
ピロン、と軽快な音と共に、美言のスマホに二枚の写真が送られてくる。イケメン好きでミーハーの母親は、今度の推しをアルトリウスに決めたらしい。チラッと見えた加代のスマホには、その二枚以外にもいくつかアルトリウスの写真が収められていた。
「とりあえず、美言。もう一度聖剣エクスカリバーを出してみてごらん。もしかしたら軽くなってるかもしれないぞ?」
聖剣がここにないということは、アルトリウスの心臓へ戻されたのだろう。ちらりとアルトリウスを見れば、彼は無言で白いストラ――首からかける帯――を左右に避けて胸を少し突き出している。まるで「どうぞお触り下さい」とでも言わんばかりの絵面だ。別にいかがわしいことでも何でもないのに、美言はわずかに視線を逸らしてしまった。
「ど……どうすれば、いいの?」
「俺の体は既にお前を認めている。触れるだけでその手を聖剣へと導くだろう」
「導くって、心臓に!?」
「心臓ではなく、そこに宿す聖剣の柄だ」
「っていうか……そもそも体に手を突っ込まれて、あなたは平気なの?」
「心配するな。お前にまさぐられた程度で死にはしない」
「その言い方、何かヤダ!」
「さっきからごちゃごちゃとうるさい。いいからさっさとしろ」
「うるさいって何よ! 心の準備くらいさせてよ」
「準備などいらん」
きっぱりと否定して、アルトリウスが美言の右手を掴んだ。そのまま左胸へと手を押し当てられ、指先がアルトリウスの硬い胸板に当たる。次の瞬間――とぷん、とまるで吸い込まれるように美言の右手はアルトリウスの胸の中へ沈み込んでしまった。




