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33:俺はお前のそばにいたいと思った

 その後は街をぶらぶらと散策し、異世界記念にお土産を幾つか買って、小休憩にカフェでお茶を楽しんだりした。アルトリウスが眠りについていたシンセェナ教会の大聖堂もこの祝祭に合わせて一般公開がされており、突然現れた美言みことに神官長の男性は目を丸くして驚いていた。


「勇者様!?」

「神官長様、こんにちは。ちょっと見学したいんですけど、大丈夫ですか?」

「来られるとわかっていれば、事前に準備もできたのですが……」

「すみません。でも、ひっそりとお祭りを楽しみたかったので」


 城のバルコニーから群衆に向かって手を振ったあの時に、ディセリアの民は初めて美言みことたちの姿を見た。けれど距離も遠く、その顔をはっきりと見ることは難しかったことだろう。さすがに巫女服はめずらしいので今日は衣装を変えてきたが、それだけで美言みことが勇者であることに気付く者はいなかった。

 むしろアルトリウスの方が目立っていたくらいだ。それでも彼に視線が集まるのはその美貌ゆえであって、聖剣の護り手であることは気づかれていないようだった。そんなに目を引くのなら、城のバルコニーで手を振った時に顔を覚えられていそうなものなのだが……その答えは神官長が身をもって教えてくれた。


「それで、そちらの方は……?」

「え? アルトリウスですけど……昨日式典でお会いしてますよね?」


 式典の後の晩餐会にも、確か神官長は出席していたはずだ。幼少期にアルトリウスが身を寄せていた場所でもあり、聖剣の護り手として眠りについていた彼をマ・ドゥーシたちと共に保護していたのも教会だ。

 式典の時は感慨深そうにアルトリウスと話していたところを美言みことも見たはずなのだが、今の神官長はまるで見知らぬ青年を前にしたかのような表情を浮かべている。


「え? アルトリウス神父……ですか? 彼が?」

「そうですけど……」


 神官長の様子に不安を覚えながら隣を見上げると、アルトリウスは眉を下げて困ったように笑った。


「え、何? どういうこと?」

「少し魔法を使った。俺を、俺と認識しないように」

「なるほど。幻惑魔法の一種ですね。今は使える者も少数ですが、ツォーイゾ村出身の彼なら問題なく発動できるでしょうな」

「でもすれ違う女の子たち、皆アルトリウスを見て黄色い声上げてたじゃない」

「以前お前が俺をいけめんだと誉めてくれたから、隣を歩くならそうした方が相応しいと思ったんだ。俺が変な姿だと、お前がそういう目で見られかねないからな」

「ぶっ!」

「ほほぅ。周囲が感じるもともとの容姿の評価はそのままに、脳に伝わる顔の造形だけを惑わすとは……なかなか興味深い魔法の使い方ですね。もっと詳しく聞きたいところですが、あまりお邪魔しても申し訳ないので、私はここで失礼します。どうぞゆっくりご覧になって行って下さい」


 そう言うと神官長は一礼して、そのまま神殿の奥へと下がっていった。


「……ねぇ。そんな魔法があるなら、私にもかけてほしかったんだけど」

「なぜだ?」

「だって、そしたらこんな服着なくても済んだじゃない。いや、服はかわいいし正直気分も上がってるけど……わざわざ用意してもらったのも悪かったなって思って。着慣れてる巫女服で出てきても、魔法があれば変に見られなかったってことでしょ?」


 スカートを軽く持って首を傾げると、アルトリウスは長い指を自身の口元に当てたまま、美言みことをじっと見つめてきた。何かを考えこんでいるようだ。


「アルトリウス?」

「……そうだな。せっかく綺麗なんだから、もっと多くの人に見てもらったらどうかと思ったんだ」

「へぁっ!?」

「ついでに言えば、そんなお前と一緒にいるのが俺だということに優越感も抱いていた」

「……ちょっ、ちょちょちょちょっと待って! どうしたの!? え? アルトリウスよね? 何かおかしなものでも食べた!? 露店でいっぱい食べたもんね! そりゃあ、お腹も痛くなるよね!」


 自分でも顔が真っ赤になっていくのがわかる。頬が熱い。首も背中も、体中が心臓になったみたいに、みるみる熱を持っていく。

 アルトリウスの言葉がわからないほど鈍感ではない。けれど。だとすれば。アルトリウスの抱いた優越感の中には、美言みことへの好意が少なからずあるということにならないだろうか。


(え? 好き? アルトリウスが、私を? いやいや待て待て。アルトリウスの優越感が必ずしも異性へのラブから来るものとは限らないわ。魔王を倒した同志みたいな、友達よりも強い絆の俺たち! っていう感覚かもしれない。うん、そうよ! そっちの方がアルトリウスっぽいじゃない。変に意識して、やっぱり違ってましたじゃ、恥ずかしいもんね! 大体長い眠りから目覚めてそう時間も経ってないんだから、ちょっと感覚っていうか感情っていうか少しズレてるのはいつものこと……)

「体調は問題ない。意識というか、自分の感情も目覚めた時よりはずいぶんとはっきり感じられるようになっている」

「覚醒してたーっ!」

「だから、この気持ちがどういうものかは、もうはっきりと自覚している」


 手を取られ、真正面からまっすぐに見つめられた。美言みことを映す金色の瞳がいつもより濃く見えるのは、黄昏時の空に沈む夕陽のせいだろうか。


「ミコト。俺は……」

「……ぅ、ぅぅぁぁぁぁああああっ!! ちょ、ちょ……む、むり。心臓が持たない。……ごめん、五分待って! 呼吸整えてくるっ!」


 掴まれていた手を振りほどいて、美言みことは両手で顔を覆った。自分でもどういう顔をしているのかわからないし、どういう顔をしてアルトリウスを見ればいいのかもわからない。こういう時、本当はおとなしく真面目に聞くべきなのに、美言みことの足は既にじりじりとアルトリウスから距離を取ろうと後退し始めている。


「す……すぐ戻るからっ!」


 半ば叫ぶようにそう言って、美言みことはアルトリウスに背を向けて一目散に走り出した。目的地があるわけではないが、とりあえず人ごみに紛れてアルトリウスの視界から隠れたいと思った。

 美言みことを見つめる真摯な眼差しは心臓ハートを一直線に貫いて、そこに込められている思いの強さに心の奥が喜びに震えている。けれど同時に極度の緊張が美言みことから正常な判断を奪い、加えて沸点を軽く超えた羞恥心のせいで逃げるという愚かな行動に出てしまった。


「待て、ミコト!」


 振り返ると、なぜかアルトリウスも走って後を追ってきた。


「な、何でついてくるの!?」

「もう五分過ぎた」

「絶対嘘!」


 神殿内と同様に一般公開されている前庭にも、多くの見物客が集まっている。彼らの視線を痛いほど感じながら、美言みことは広い前庭を行ったり来たりとぐるぐる走り回った。

 まさかこんなところで、ずっと憧れていた「海辺deデート! ウフフ。私を捕まえてごらんなさい」という少女漫画のワンシーンを体験するとは思わなかった。

 現実としてここは海ではないが、潮騒の代わりに人々のざわつく声が絶え間なく聞こえている。足元は砂浜ではなく走りやすい石畳で、美言みことは笑顔も余裕もなく、ただひたすら全力でアルトリウスから逃げていた。


 さぁ――っと。海風よりも乾いた風が、甘い花のにおいを乗せて吹き抜けてゆく。少し強めに吹いた風に帽子が飛ばされ、美言みことの黒髪が舞い上がった。


「あっ!」


 飛ばされる帽子を追って手を伸ばした先、一人の青年がそれを拾うのが見えた。目が合ったと思ったら、次の瞬間みるみるうちに青年の目が驚きに見開かれていく。


「えっ!? 勇者様!? その髪、勇者様ですよね?」

「……! ち、違います!」

「やっぱりそうだ。僕、覚えてます! 髪がここだけ銀色で、すごくおしゃれだなって思って見てたんですよ! うわぁ! 本物の勇者様だ。意外と背はそんなに大きくないんですね。あ、よかったら握手して下さい!」

「あ、あの……私急いでるので……」


 青年があまりに興奮して騒ぐので、近くにいた人たちも何事かと集まってくる。そうなればもう変装の意味もなく、美言みことは勇者コールを叫ぶ人の壁にあっという間に囲まれてしまった。


「勇者様ー! 世界を救って下さってありがとうございます!」

「異世界から来たって本当ですか?」

「一緒にシャッスゥーイン撮ってもらってもいいですか!」

「これ……孫……孫、抱っこしてほし……」


 我先にと押し寄せる人の波に押し潰されて身動きがまったく取れない。人の圧と熱気の凄まじさに、軽く意識が飛びそうだ。このままでは自分も、そして集まった人々も危険だ。

 言霊を使って気を放てば、興奮状態に沸いたこの場の空気も少しは収まるかもしれない。そう思って肺いっぱいに空気を吸い込んだ瞬間、美言みことではない別の声が群衆の歓声を抑える勢いで強く響き渡った。


「ミコト!!」


 それはまるで言霊のように、美言みことの体を動かした。

 姿も見えないのに、どこにいるかもわからないのに。

 美言みことは不思議と声に導かれるように、右手を空へ向かって伸ばした。


「アルトリウス!」


 今まで何度も美言みことを支えてくれたアルトリウスの大きな手が、右手を掴むのを感じた。

 体がくんっと上に引っ張られたかと思うと目の前で白い光が瞬いて――。次に瞼を開いた時、美言みことは大聖堂のはるか上空にアルトリウスに抱きしめられた状態で浮いていた。


「あ……ありが、と」

「どこも触られていないか?」

「えっ!? 大丈夫だと思うけど……」

「なら、よかった」


 ほっとしたように息を漏らして、アルトリウスが美言みことの体をなお強く抱きしめてきた。バックハグなら戦闘で少しは慣れていたが、向かい合う形だと顔が近くて緊張する。また体が石みたいに硬直して、収まっていたはずの羞恥心が舞い戻ってきた。

 けれどここは空中で、美言みことはアルトリウスから逃げる手段が何もない。確信犯かと恨めしげに見上げれば、アルトリウスは少し困ったような表情を浮かべて眼下の群衆を見下ろしていた。


「どうしたの?」

「……綺麗なお前の姿をもっとたくさんの人に見てもらいたいと思っていたんだが」

「さっきも聞いた!」

「実際にそうされると……何だろうな。こう……胸の奥が、モヤッとした」

「……っ」


 さっきからアルトリウスの言葉がハートの矢になって、美言みことの心臓を何度も何度も貫いてくる。無自覚の告白シャワーを大量に浴びた美言みことは、まるで服も心もアルトリウスの思いにびしょ濡れてしまったようだ。

 もう、一歩も動けない。足も、心も、アルトリウスに捕まえられてしまった。

 観念した、とばかりに額をアルトリウスの胸に押し当てると、慈しむように髪を撫でられた。


「ミコト。……どうやら俺は、お前を自分だけのものにしたいらしい。意外と独占欲が強いことに気付いたのも今なんだが」


 美言みことを抱きしめる腕に、きゅっと力がこもった。アルトリウスの胸の奥で、心臓がとくとくと脈打っている。その速さは美言みことの心臓に負けず劣らず、とても速くて――アルトリウスも美言みことと同じように緊張しているのだろうか。


「これから先も、俺はお前のそばにいたいと思った。俺が隣にいることを、お前に……許してほしい」

「……ゆ、許すも何も……っ、アルトリウスが……いい、です」

「そうか。――ありがとう」


 髪を撫でる手がスッと頬に触れて、そのまま顎を掬われる。これが噂の顎クイかと緊張に瞼をぎゅううっと瞑っていると、堪えきれずに噴き出す笑い声が聞こえた。


「そんなに緊張するな」

「だ、だって……!」

「俺の中に残る聖剣の力を、お前に渡すだけだ」

「へ? あ、そ、そうなの?」


 てっきりキスされるのかと身構えていた体から力が一気に抜け落ちた。勘違いによる恥ずかしさや、キス不発の残念感より、今の美言みことはやっと訪れた平穏にホッとする。

 突然のアルトリウスの告白に美言みことの心臓はずっと高鳴りっぱなしだったので、少し落ち着かせるための時間も必要だ。

 そう思った美言みことの唇に――ふぁ、とやわらかい感触が落ちる。


「~~~~っ!!」


 声にならない叫びをあげて目を見開いた美言みことの視界いっぱいに、今まで見たこともないくらい楽しげに笑うアルトリウスの顔が映った。


「なっ、ななななん……っ!」

「まだ足りないな」

「もぁー! もっと他にやり方あるでしょーー!」

「あるにはあるが……今はこうして渡したい気分なんだ」

「あ、ちょっと……!」


 抗議の声を封じ込めるように、またも唇が塞がれる。今度はさっきよりも強く、長く、そして愛おしく触れて、離れて――絡まる視線に熱が宿れば、また重なって。

 触れた唇から、あたたかい力が流れ込んでくるようだ。それは聖剣の力かもしれないし、もしかしたらアルトリウスの感情なのかもしれない。

 ようやく離れた唇に名残惜しさを感じつつ、目があえばどちらからともなく笑い合った。


 空はすっかりと暗い。その闇を吹き飛ばすように、突然街の向こうから花火が上がった。弾けた花火はきらきらと輝く星屑の魔法だ。夜を彩りながら、たくさんの輝きが流れ星のように夜空を駆けてゆく。

 どぉん、きらきら。どぉん、きらきら――。

 それはまるで空の向こう、魔物に脅かされない未来へ人々の願いを乗せて飛んでいく希望の光のようだ。


 星屑の花火が上がるたびに、夜空に流れ星が舞い踊る。

 その色鮮やかな星の花を背にして、美言みことはもう何度目かわからないキスに目を閉じた。



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