32:王子様が迎えに来たでござるよ
次の日の朝マ・ドゥーシのもとに行くと、ヘイちゃんは既に帰り支度をして美言が来るのを待っていた。ここは美言たちがこの世界に来た時、最初に現れた地下の一室だ。床にはあの時の魔法陣が、淡い光を纏って輝いている。
「ヘイちゃん。アルトリウスから聞いたんだけど、先に帰るって本当?」
「雅就殿たちには拙者から説明しておくでござる。姫は一週間、祝祭を楽しんでから帰ってくるでござるよ」
「お父さんたちに説明してくれるのはありがたいんだけど……急にどうして? それに昨日思ったんだけど、ここと家を繋ぐ道って、確か魔王が最初にこじ開けたんでしょ? 魔王はもういないから、その穴も塞がれてるんじゃない?」
「それについては問題ない」
美言の疑問に答えたのはマ・ドゥーシだった。
「勇者シフィルが異世界へ消えてから、我々はずっと二つの世界を繋ぐ扉の研究を続けてきたのじゃ。そして数年前、扉の位置を確定するまでに至った」
数年前とはおそらく、美言が生まれた二十一年前だろう。そういえばアルトリウスも同じことを言っていたことを美言は思い出した。
「しかし扉を開くための力が足りなかったのじゃ。魔王がその体を捨ててまでこじ開けた穴じゃ。そう易々と開くはずもない」
「でも、アルトリウスはその扉をくぐって……」
「そうじゃ。聖剣の護り手と勇者ミコトが引き合ったおかげで、扉は一度開いた。すぐに閉じてしまったがな。そしてその後、異世界で復活した魔王により、再び扉が開かれた。短期間に二度も開いた扉は、おそらくゼノゴンがベツォールしてチャチャスしたのじゃろう」
「……ん?」
突然理解できない単語が飛び出してきた。魔道士の使う業界用語だろうか。頭に疑問符を浮かべる美言を置いて、マ・ドゥーシの説明はなおも続く。
「そこに今度は勇者ミコトが、聖剣を携えてこのディセリアへと降り立った。度重なる高魔力の往来に、扉自体のディフロバクターが限界を超えたのだと我々は推測したのじゃ。試しにこちらから手紙や服など、受け取る側が不審に思わないようなものを幾つか送ってみたが、それらはちゃんと扉の向こうへ消えていった」
「そして姫、こちらを。これは今朝早くに、扉をくぐってこちらへ渡ってきたものでござる」
マ・ドゥーシの言うディフロバクターが何を指すのかはわからなかったが、ヘイちゃんが差し出したものには見覚えがあった。
それは美言がお祓いの時に必ず付けていた、あの白い狐面だった。色合いも、細かな傷も、見間違えるはずがない。
「だから姫。何も心配はいらぬでござる。拙者は安全に雅就殿たちのところへ戻れるでござる」
「そういうこと……でも、よかった。説明は全然わからなかったけど、とりあえず扉は開いてるってことでいいのね?」
「全開も全開じゃ。ただ……勇者殿が元の世界へ戻った後、扉は閉めようと思っておる。異なる世界がいつまでも繋がっていては、いずれ時空に歪みが生じるであろうからの。このことは王にも説明済みじゃ」
「そう、なんですね」
せっかく繋がった異世界。これが最後だと思うと、少し残念でさみしい気持ちになった。けれどマ・ドゥーシの言うこともわかるし、本当はそれが本来のあるべき姿だ。もともと交わらない二つの世界が、元に戻るだけである。
(でも……それだとアルトリウスは……)
「では、姫。拙者は先に戻っているでござるよ」
「あっ、うん」
美言が背負ってきたリュックを背負って、ヘイちゃんが魔法陣の中に入った。空になった弁当箱や水筒、ごみを入れた袋など、美言の手間にならないようにと、ヘイちゃんが先に持って帰ることになったのだ。その気遣いに感服していると、ふとあることに気が付いた。
「ねぇ。さっきマ・ドゥーシさん、こっちから手紙とか服とか送ったって言ってたよね? じゃあ別にヘイちゃんが帰って伝えなくても、こっちの状況を手紙で知らせたらいいんじゃない?」
そう言うと、ヘイちゃんは一瞬目を見開いた後、少し困ったように笑った。
「そうでござるな。拙者、失念していたでござる」
優しい笑顔を覆い隠して、魔法陣から青い光が溢れ出した。その向こうにかすかに見えていたヘイちゃんの姿が、少しずつ色をなくすように薄くなって消えてゆく。
「姫の念願の夢が叶うよう、拙者、向こうから祈っているでござる」
「夢って……」
「王子様が迎えに来たでござるよ」
その言葉を最後に、ヘイちゃんは青い光の向こう側に消えてしまった。無事に彼を送り届け、魔法陣の光もゆっくりと収まってゆく。
静まり返った部屋の中に、コツ……と響く靴音がする。振り返ると――アルトリウスがいた。
***
城下町は今日から一週間続く祝祭で賑わっていた。街中が色鮮やかな花々で飾り立てられ、風に揺れるフラッグガーランドの下にはたくさんの露店が軒を連ねている。広場では小さな音楽隊が軽快な曲を奏で、それに合わせて踊る人の姿もあった。
元気に呼び込みをする露店の店主。友達と楽しそうに駆け回る子供たち。どこを見ても街は笑顔と笑い声にあふれていた。
美言はアルトリウスと一緒に、賑やかな城下町を並んで歩いていた。ガリバーは聖剣の状態で城に置いてきているので、今は完全に二人きりである。その理由を尋ねると、アルトリウスは「後でわかる」とだけ言って小さく笑った。
さすがに巫女服やドレスで街中を歩くわけにはいかなかったので、美言は今日も城のメイドたちに準備を手伝ってもらったのだが……。その結果、白いブラウスにワインレッドのスカートとベスト、頭には大きめの帽子を被った「お忍び令嬢スタイル」が完成した。
普段着たことのない素敵な衣装に、正直気持ちは爆上がりだ。それに……何だかデートみたいでドキドキする。
アルトリウスはいつもと同じ神父服だったが、それでも彼の美貌は少しも霞むことがなく、何人もの女性が振り返っては黄色い声を上げていた。
「ミコト。あれも買ってみよう。出来立てておいしそうだ」
「まだ買う気なの!? そんなに食べられないわよ」
「問題ない」
「……そういえばあなた、大食漢だったわ」
美言たちの手には、既に別の店で購入した菓子やらパンやらを詰めた袋が大量に握られている。支払いはもちろんこの世界の通貨だ。魔王討伐の褒美にディセリア王からもらったものである。
最初ディセリア王は高価な宝石や大きな屋敷、それに土地や地位まで与えようとしてきたのだが、美言はそれを即座に断った。正直そんな大層なものをもらっても困るからだ。それでも感謝をどうしても伝えたい王の熱意に負けて、それならばと祭りを楽しむだけのお小遣いに変更してもらったのである。受け取った袋はずっしりと重かったが。
「ミコト。オレオーレンジジュースとムァンッゴゥジュース、どちらがいい?」
「……オレンジジュースかな」
公園のベンチに座って、買ってきた食べ物の袋を開ける。何かのハムと何かの卵が挟まれたハム卵サンドも、甘い砂糖を振りかけたドーナツも、現代で食べるものと味はさほど変わらない。それでもなかには視覚と味覚の情報がちぐはぐなものもあって、イチゴクレープだと思って食べたものからは、なぜかたこ焼きの味がした。
「それにしても本当によく食べるのね。見てて気持ちがいいくらい」
「俺のいた時代と、食文化もだいぶ変わっていてめずらしかったからな。つい欲が出た」
アルトリウスが改めてそう口にするまで、美言は彼が昔の時代に生きていた人間であることを忘れていた。日本でもヒエやアワ、玄米から白米へと主食も変わってきたのだから、この露店に並ぶ食べ物の中にアルトリウスが知らないものがあってもおかしくない。
それでもアルトリウスの古守家での食事風景を思い返せば、未知の食べ物に対する警戒心自体薄い気はする。もしかすると、もともと食べることが好きなのかもしれない。
「お前が持ってきてくれた極楽団子もおいしかった」
「お団子好きだもんね。そういえばシフィルも好きだって言ってた」
「そうか」
「あ、それだったらアルトリウス、大福も好きかもね。豆大福もおいしいけど、私はいちご大福が好きかな! 帰ったらおすすめのお店に連れて行ってあげる」
思わずそう言った後で、ハッとする。当然のように二人一緒に現代へ戻るつもりでいたが、アルトリウス本人はどう思っているのだろう。護り手として長い間眠っていたとしても、アルトリウスの故郷は間違いなくここディセリアだ。親しい者たちがいない時代だが、ディセリア王たちは決して彼を無下には扱わないだろうし、アルトリウスは強い魔力を持つ一族らしいからマ・ドゥーシの跡を継ぐことも不可能ではないだろう。
ここでなら第二の人生を謳歌できるほどの地位と名誉が与えられる。何なら一度は辞退した褒美を、全部アルトリウスに譲ってもいい。
(でも……――)
「……一緒に帰りたいな……」
ぽつり……と、思わずこぼれた声は、広場の歓声にかき消された。ちょうどタイミングのいい時に、広場にいた旅芸人の一座が大技を繰り出したのである。
内心焦ったが、どうやらアルトリウスに声は届かなかったようだ。彼の金色の瞳は広場中央の旅芸人たちに向いている。
ホッとすると同時にちょっとだけ残念な気持ちもあって……そんなわけのわからない感情を振り払うように、美言は残ったオレオーレンジジュースを一気に飲み干した。




