22:アルトリウスをよろしくね
魔王を追ってたった一人で見知らぬ異世界へやってきたシフィル。女性ながらに勇者として数々の魔物を倒してきたであろうシフィルは、想像していたよりもはるかに可憐で美しく、剣よりも日傘が似合う貴族令嬢のような雰囲気を醸し出していた。
「シフィル……本当に?」
「驚くのも無理ないわよね。でも私は本物の勇者シフィルよ。いつかこの地に次の勇者が現れた時に助けになれるよう、勇者の力の一部を白冥に託したの。本当なら全部渡してあげたかったんだけど、私が生きている間に復活したらしたで困るから、残した力は本当に少しなんだけど」
「あなたの力を残していただけただけで十分です。私は……勇者に選ばれたと言っても、聖剣さえ一人じゃ持てないから……」
並んで立つと、シフィルと美言は身長もさほど変わらないようだった。おそらくは勇者として全盛期だった頃の姿を取っているのだろう。パッと見ただけでは、むしろシフィルの方が華奢でか弱い印象だ。それでも美言には持てない聖剣を掲げ、魔王と対等に渡り合えるのだから驚きである。
「勇者に選ばれたということは、子孫の中であなたが一番私の血を濃く受け継いでいる証拠よ。だからきっと、私が残したこの力もすぐに馴染んじゃうわ」
シフィルが水を掬うように両手を胸の前にあげた。手のひらの中には、七色の淡い光が瞬いている。聖剣エクスカリバーの刃と同じ、美しい虹色だ。
「勇者は神の力を借りる者。そして神の力はどんな穢れも一掃する。だからアルトリウスを蝕む毒も、力を受け継いだあなたなら浄化できる」
「本当ですか!? よかった……!」
アルトリウスを救える。そう断言されて、美言はずっと心を押し潰していた不安の塊が消えていくのを感じた。ホッとしすぎて涙腺まで緩みそうだ。
「ありがとうございます。力を、残してくれて……」
「お礼を言うのは私の方よ」
いつの間にかそばに寄っていたシフィルが、美言の手を両手で握りしめてきた。七色の光は固く握られた二人の手の上で、どことなく楽しそうにくるくると揺れている。
「あの子を、こちらへ呼んでくれてありがとう。まさかもう一度会えるなんて思わなかったから……とてもうれしかった。勝手に聖剣の護り手になったことについてはお説教したいけど、……でも、あなたと一緒にいるあの子はとても楽しそうでホッとしたの」
「楽しそう……ですか?」
「ふふ。あの子、感情を表に出すのが下手だものね。なのに護り手なんかになっちゃうから、そのせいで余計に分かりづらくなっちゃってるのよ」
「確かに護り手として長く眠ってたから、他人との接し方があまりわからないって言ってた気がします」
「そう。……あの子は家族も友達も、住んでいた村さえ失って、たった一人さまよっていたところを保護したの。当時は笑うこともなく、魔物に対する激しい憎悪だけを生きる糧としていたところがあったから、私としてもディセリアに一人残してきてしまったことはずっと気がかりだったんだけど……」
美言の顔を真正面から見つめて、シフィルが心の底からうれしそうに笑った。まるで満開に花開く桃の花のように可憐な笑顔だった。
「古守家のみんなと食卓を囲むあの子の、あんなにも緩んだ表情は私でも見たことないわ。私では与えられなかった家族の愛を、あなたたちはアルトリウスに教えてくれた。本当にありがとう」
「一緒にご飯食べてるだけですけど……」
「それがいいのよ。私は魔王軍との戦いが最優先だったから、あの子とあんなにゆっくり落ち着いてご飯を食べることもできなかったもの。意外と甘党だったのね」
「みたらし団子が好きみたいです」
「団子! あの触感には私も感動したわ!」
「今度お供えしますね」
同じ年くらいの外見だからか、まるで友達と話しているような感覚がして、美言はこんな時だというのに少しだけ楽しいと思ってしまった。時間が許すなら、シフィルといろんな話をしてみたい。勇者としての心構えや、こちらへ来た後の生活。それにアルトリウスの子供の頃の話も、聞きたいことはたくさんあった。それはたぶん、シフィルも同じで。
重なり合う視線に同じ思いが揺れ動いているのを感じて、美言とシフィルはほとんど同時に頷いた。
「私の力をあなたに託すわ。魔王を、今度こそ完全に倒してちょうだい」
「頑張ります」
美言の意思に反応したように、七色の光がより鮮やかな色を纏ってきらめいた。そしてそのまま、美言の胸元へ吸い込まれるようにして消えてゆく。途端、足元の湖が銀色の水飛沫になって一斉に吹き上がった。きらきらと、星屑みたいに弾け飛ぶ水飛沫は、美言の意識まで空の彼方へ連れ去っていくようで――。
「美言。あの子を……アルトリウスを、よろしくね」
優しく響くシフィルの声を最後に、美言の視界は白と銀の光に埋め尽くされてしまった。
「姫!!」
そのすぐ後に聞こえたヘイちゃんの声に、まるで霧が晴れるかのように視界がクリアになる。そうすると、そこはもうシフィルと向かい合った白い湖ではなく、雅就の祈祷が続く神殿の中だった。
「姫。大丈夫でござるか!?」
美言はヘイちゃんに支えられ、今にも床に倒れそうな状態で目を覚ましていた。足が完全に脱力していて、両膝が床についてしまっている。意識は鮮明なのに、自分に何が起こったのかをまるで覚えていない。
「ヘイちゃん……? 私……」
「白冥殿が力を渡したかと思ったら急に意識を失って……」
「どれくらい?」
「それはほんの数秒でござる」
「そう。よかった」
シフィルと話した時間はそれほど長くはなかったが、もしかしたら現実では数時間経っていた可能性だってある。力を譲り受けたのに間に合わなかったでは話にならないし、何よりアルトリウスを早く毒の苦しみから解放してやりたい。
膝にぐっと力を入れて立ち上がると、軽いめまいがした。なぜか体はひどく怠く、そして鉛のように重い。せっかく両足で立ったというのに、美言は数歩進むだけで息切れがした。まるで生気をごそっと持っていかれたような感じだ。
「姫。顔色が悪いでござる。それにその髪は……」
「……え?」
ヘイちゃんの方を振り返った拍子に、乱れていた髪が顔にかかる。その長い前髪がひと房だけ銀に色を変えていた。
「半分くらいは色が抜け落ちるであろうと思ったが……それくらいで済んだのは古子が最大限力を凝縮していたからであろうな。古子に感謝するがよい」
視界に落ちるひと房の銀髪の向こうで、シフィルが微笑んでいるような気がした。
『あの子を……アルトリウスをよろしくね』
シフィルの最後の言葉を思い出し、美言は再度強く足を踏み出した。
「必ず助けます……!」
シフィルに届くように、そして自分自身を奮い立たせるように強く宣言して、美言は力を振り絞りながらアルトリウスの方へと駆け寄った。その勢いのままアルトリウスのそばへ座り込むと、体が動くまま彼の手を強く握りしめる。
目を閉じて深呼吸をすると、意識下でシフィルから譲り受けた七色の光が瞬くのが見えた。
何をすればいいのか、美言は漠然と理解した。自分の奥底にある勇者の力。その七色の光に触れるイメージをした瞬間、アルトリウスの手を握る自分の両手が同じ光を纏っているのがわかった。同時に、彼の体を蝕んでいる毒の存在も明確に感じることが出来る。
「絶対助けるから」
勇者に選ばれたくせに聖剣すら持てず、魔物と戦うこともできない美言を、アルトリウスは呆れずにずっとそばで支えてくれた。勇者として使命を果たせるように助けてくれた。
だから今度は自分が助ける番だ。そう強い意志を持って、美言はアルトリウスの体内に蠢く毒の塊めがけて右手を勢いよく突っ込んだ。
「姫!? 何を……っ」
背後でヘイちゃんが驚いている。当然だ。けれど構わずに素早く右手を動かして、美言は《《それ》》をガシッと引っ掴んだ。そして逃げられる前に、アルトリウスの中から一気に引きずり出した。
「ひょへっ!?」
足元の床に放り出された《《それ》》を見て、ヘイちゃんが面白いくらいに跳ね上がって後退した。
アルトリウスの中から引きずり出したそれは、大豆くらいの大きさの眼球――に似た種だった。既に何本か根を生やしている種は、まるでオタマジャクシのようにも見える。
「これは……ドリアードの種。まさかあの最後の攻撃で種を植え付け、護り手殿の体を苗床にしようと……?」
「……き……」
「姫?」
「キモーーーーっ!!」
根の生えた眼球を素手で鷲掴みにしたのかと思えば、美言の全身にぞわっと怖気が走った。
ビクビクと痙攣しているドリアードの種。そのあまりの気色悪さに、美言の意識がぷつんと途切れ――。
「姫!」
体力も気力も限界になった美言は、そのまま糸の切れた人形のようにばったりと倒れてしまった。
隣にアルトリウスの顔があった。もう苦しそうに呻いてはおらず、白かった頬にもうっすらと血の気が戻ってきている。その顔にホッとした瞬間、まるで緞帳が下りたみたいに美言の視界が真っ暗になった。
その後のことを、美言は覚えていない。
ただ意識が完全に途切れる間際、ありがとうと、そう囁くシフィルの声だけが耳の奥にいつまでも響いていた。




