21:いつまで呆けているつもりだ
暗い。
夜よりも暗い闇の中に、儚い星彩の如くきらめく銀の瞬きがあった。
アルトリウスだ。
何をするでもなく、ただぼうっと闇を見上げたまま佇んでいる。彼の銀髪が暗闇に淡い光を落として、まるでアルトリウス自身が夜空に浮かぶ星のようだ。
――アルトリウス。
名を呼んだはずの声は、まったく響かなかった。
辺りは恐ろしいほどに無音で、叫ぶ美言の声も、走り出した足音も、何も聞こえない。声は届かず、伸ばした手もアルトリウスを捕まえることが出来ない。
走っても走っても、二人の距離が縮まることはない。辺りを包む闇はどこまでも暗く、目の前の銀色さえ覆い尽くそうとする。
ふっと、アルトリウスが虚空から視線を下ろし、美言の方を振り返った。
『……ミコト』
アルトリウスの、声がした。
その瞬間、首から下げていた白いストラが左胸を中心にして真紅に染まる。
じわりと広がる鮮血はまるで美言の不安を表すように、彼の纏う神父服をみるみるうちに赤く染め上げてゆく。
――アルトリウス!
届かない声を必死になって張り上げた。その向こうで、アルトリウスが音もなく頽れる。そして本当の星屑みたいに、砕け散って――消えてしまった。
「アルトリウスっ!」
目を覚ますと同時に勢いよく飛び起きたせいで、軽いめまいと共に体が大きく左右に傾いだ。再び床に倒れそうになった背中を支えてくれたのはヘイちゃんだ。美言としっかり目が合うと、ほっとしたように口元を綻ばせた。
「姫。目が覚めたでござるか」
「ヘイちゃん……。アルトリウスは!?」
「護り手殿は今、雅就殿が看ているでござる」
「お父さんが?」
父の名を耳にして、美言はやっと今いる場所が自宅であることを確認した。居間の端で横になっていたようだ。近くには座布団の上に置かれた聖剣エクスカリバーがある。光を完全に失った聖剣は、まるでおもちゃのように見えた。
「ガリバー……」
そっと柄に触れてみても、聖剣から伝わる力が一切感じられない。どれだけ強く握っても、聖剣は光りもしなければガリバーの姿になることもなかった。
「限界が近い体で護り手殿を抱え、病院から脱出した後にそのまま……。一人で途方に暮れていたところ、ちょうどぱとろぉる中だった斎藤殿が拙者たちをここまで運んでくれたのでござる」
「シゲおじさんが……」
部屋には美言とヘイちゃん、そして剣に戻ったガリバーしかいない。斎藤と加代の姿もなく、家の中は美言たち以外の気配がまったくなかった。
「皆は? アルトリウスはどこ?」
「護り手殿の毒を抑えるため、本殿にて祈祷中でござる。姫が目を覚まされたらお連れするようにと」
ドリアードの毒も魔物が放つ邪気の一種なら、確かに祈祷で毒の進行は遅らせることが可能なのかもしれない。けれどそれはあくまで応急処置だ。早く解毒しなければ、アルトリウスの体力が尽きてしまう。ドリアードの毒をどう解毒すればいいのかまるで見当がつかないが、今はできることを精一杯やるしかない。
それに動いていないと、さっき見た夢を思い出して不安に押し潰されてしまいそうだった。
本殿に着くと、流水の如く淀みない雅就の唱え詞が聞こえてくる。アルトリウスが寝かされているのは拝殿の奥にある神殿で、雅就と加代、そして斎藤までもが勢揃いしていた。
御幣を振って祈祷する雅就の傍らでは加代がお清めの水や護符などの準備をしており、斎藤は神殿の隅に邪魔にならないように腰を下ろしている。
普段なら、祈祷や除霊は拝殿で行う。御神体を祀る小さな祠が置かれた神殿は、神にもっとも近い場所だからだ。そんな場所へ一般人の斎藤や、ましてや怪我をして血に汚れたアルトリウスを招き入れることはない。その禁忌を破ってまで御神体の前で祈祷するということは、それほどまでにアルトリウスに危機が迫っているからだろうか。
「美言! しっかりせい! いつまで呆けているつもりだ」
ぺしぺしと足首にやわい攻撃を感じて目を落とすと、尻尾を大きく膨らませた白い子狐、白冥がいた。
「緊急事態だ。我の中に残る古子の力を授けるゆえ、そなたは勇者の力を以て聖剣の護り手を救え」
「古子……。シフィルの力?」
「本来ならば我の本体と正式に契約を交わしたのち、そなたに渡すはずだったものだが状況が状況だ。護り手を救うにはそれしか手がない」
もともと白冥と契約を交わすつもりだったのだ。手順が少し前倒しになったくらいで、今更契約に迷うことはない。そう思って頷きかけた美言を制したのは、意外にもヘイちゃんだった。
「姫、慎重になさいますよう」
「ヘイちゃん?」
「白冥殿は妖狐といえど、今は古守家に祀られる正式な神にございます。主従の契約を結ぶ前に、その神と深く繋がることは……おそらく姫にも相当の負担があるものかと」
「さすがに指先程度とはいえ、我らと同じ領域にいる者にはわかるか。そうだ。契約もなしに神の力を得るにはそれ相応の代償が必要になる」
白冥が口にした「代償」という言葉に、ヘイちゃんの表情が険しくなる。その鋭い視線に、白冥はまるで心外だといわんばかりに尻尾でべしんっと床を叩いた。
「何だ、その目は! こんなに愛らしい我が美言の魂を取る邪神に見えるのか? そもそも神の力は人間にとって異質なのだ。古子とて、勇者という契約によってはじめて聖剣を持つ資格を得たであろう? 神の力を扱うには、必ず契約が必要になる。それを今回、ちいっとばっかし後回しにするだけの話だ」
「その未契約に際して、姫にかかる代償が何なのかが心配なのでござる」
「心配せずともよい! 後々我らと契約を結ぶのだ。命にかかわるような代償を払わせるわけがなかろうが。過保護な棒め!」
「は、白冥殿まで棒と呼ばずとも……」
二人のやり取りを聞きながら、美言は目を閉じて深く息を吸い込んだ。今すぐにでも何かできることをと焦っていたが、一旦立ち止まることで気持ちに少しだけ余裕が生まれる。
白冥の言わんとすることも理解できた。契約を結ぶ前に白冥の中に残されているシフィルの力を受け継げば、何かしら美言にも代償が発生する。しかしその代償は命を脅かすようなものではない。ならばさっきと同様、美言に迷いが生まれるはずもなかった。
「いいわ。白冥。シフィルの力を私に授けて」
「姫!」
「心得た。しかと受け取るがいい!」
白冥がぴょんっと、床から美言の目の前まで飛び上がった。かと思うと尻尾がぶわりと膨張し、美言の体を覆いつくす勢いで絡みついてきた。
苦しくはない。怖くもない。視界は白一色に染め上げられ、それは初めて白冥と会った、あの白い湖の夢を思わせた。
どこかで鈴が鳴るような、あるいは弦を弾いた余韻のような音が聞こえた。絡みつく白冥の尻尾に手を取られ、たたらを踏んだ足元に水が跳ねる。その感触にハッと目を開いた美言の眼前に、あの夢で見た白い湖が広がっていた。
「ようやく会えたわね。はじめまして、美言ちゃん」
銀色の波紋を揺らす水面の上に、満月の光を集めたような長い金髪の女性が立っていた。女性が着ているのは、美言と同じ巫女装束。千早――神事や舞の際に白衣の上に着る上衣――に前天冠――舞を舞う際に着用する頭飾り――までつけていて、今から神楽舞でも奉納するのだろうかという出で立ちだ。そこに金髪碧眼という外見的特徴が加わって、一言でいえばとても賑やかな印象である。
「あなたのことは白冥の中からずっと見ていたの。あ、でもプライバシーにかかわることは見ていないから安心してね」
そう言った女性は、人懐っこい笑みを浮かべてウインクを飛ばしてきた。
「私はシフィル。ディセリアで勇者に選ばれたあと、なんやかんやあってあなたの先祖になりました!」
じゃじゃーん! と、派手な効果音が聞こえてきそうなほど、シフィルは腰に手を当てて胸を大きく仰け反らせながら自信たっぷりに宣言した。




