19:グリンピースくらいでいい
比良坂病院は十年ほど前に廃業した、七楽町ではわりと規模の大きな病院だ。施設の老朽化や慢性的な看護師の人手不足に加え、院長による脱税が発覚し、一族もろとも夜逃げ同然に姿をくらました、いわくつきの病院である。
盲腸で入院した患者が手術ミスで亡くなったなど、当時は嘘か本当かわからない噂も囁かれ、評判はあまり良くなかった。
廃業してからは管理もされておらず、病院の窓ガラスは割れ、周囲には雑草が伸び放題で、流れる空気はいつも澱んでいる。若者たちの定番の肝試し場所としても有名で、古守白狐神社にも霊に取り憑かれた者が度々お祓いに来るほどだ。
ガリバーセンサーで訪れた時は、病院の澱んだ気に引き寄せられた浮遊霊たちが瘴気によって悪霊化していたので、まとめてヘイちゃんで浄化した。もともと土地もあまりよくなく、時間が経てばまた霊が集まってくるような場所だったのだが、再度訪れた病院からは霊とは違う禍々しい気配がビシビシと伝わってきた。
「確かに何か気配を感じるな」
「前に来た時は魔物の気配はなかったし、除霊もちゃんとしたと思ったんだけど」
「新たに集まったのか、それとも見落としていたのか。どちらにしろ中に入って確かめるしかないだろう」
少年たちを送り届けてから来たので、辺りはすっかり夜の闇に包まれている。懐中電灯を持っていなかったため、スマホの明かりで場を凌ごうとした美言だったが、先に進み出たアルトリウスが魔法で小さな光の球を召喚してくれた。
テニスボールくらいの光球はふよふよと浮いたまま、意志を持つかのように美言たちを病院の入口へと導いていく。小さいながらも先を見通せるくらいの光に、美言たちは迷うことなく病院内へと進むことが出来た。
「本当は不法侵入なんだけど……」
ここにはいない斎藤に心の中で謝りつつ、美言は嫌な気配の強い一階の奥へと向かった。辺りにはガラス片や資料の類に加え、肝試しに訪れた人が捨てたであろう空き缶やお菓子の袋などが散乱している。じっとりと湿った冷たい空気が漂い、割れた窓から吹き込む風に紛れて、熟しすぎて腐った果実のような異臭が病院の奥から流れてきた。
「おやおや……これはおかしいね? 以前は感じなかった魔物の気配がするよ」
「おかしいも何も、おぬしが見落としたのでござろう? 本当に仕事が雑で困るでござる」
「気配も辿れない棒にとやかく言われたくないね」
重い聖剣を持つより自分で歩いてもらった方が便利なので、二人には人型を取ってもらっている。不測の事態に即座に動けるようにとの意味もあったのだが、夜の病院を歩く中で、二人の口喧嘩はいい意味で美言の緊張を解してくれた。
「ガリバーの言うように、確かに魔物の気配がするな。この建物全部を覆う巨大なものだ」
「一番気配が強いのはその奥にある扉の向こうだね」
ガリバーが指差した扉には「手術室」と書かれた古いプレートが、片側だけ外れた状態でぶら下がっていた。
「扉……開けたくないなぁ」
「姫の手は煩わせません。ここは拙者にお任せ下さい」
「魔物の消化液で服を溶かされないようにしなよ。野郎の裸に興味はないからね」
「姫の服が溶かされるくらいなら、拙者は喜んで裸になるでござる!」
「あ、その手があったか。ハニー、どうやらあの扉は女性じゃないと開かないらしいよ。さぁ、その可愛い手で無骨なドアノブを握るといい」
「ミコトが握るのは聖剣《お前》だ、ガリバー」
アルトリウスに手を引かれながら美言がガリバーの手を握ると、「あ」という短い声を上げたガリバーが形を崩して聖剣エクスカリバーへと戻った。まだ喋り足りないのか、七色の刃が不服そうにビカビカと光っている。
『ちょっとアル!? キミはいつも空気が読めないね。キミはハニーの裸に興味がないのかい!?』
「黙れ」
アルトリウスが低い声で一喝した。一瞬ガリバーの言動に怒ってくれたのかと美言の胸がキュンと鳴ったが、アルトリウスの視線は美言でもガリバーでもなく薄暗い天井へと向いていた。
何かいるのかと目を凝らして見つめていると、視線で捉えるよりも先に何かを引きずるような音が美言の耳に届いた。
「何か、いる……?」
魔法の光球と聖剣の光に照らされて、天井をずるずると這い回る長い影が見えた。それもひとつじゃない。よく見れば天井だけでなく壁や床など、いつの間にか美言たちを取り囲むようにして巨大な蛇に似た影が幾つも幾つも蠢いていた。
「へ、蛇!?」
「いや、違う。これは……」
アルトリウスの声を遮って、手術室の扉が内側から吹き飛ばされる勢いで開かれた。中から飛び出してきたのは、大量の――。
「蔓……!?」
「ドリアードだ!」
アルトリウスに抱えられたまま後方へ回避した美言の前で、太い蔓の群れが脈打つように床を這っていた。一定の距離から近付いてこないのは、美言が持つ聖剣の光を嫌がっているからだ。
「ドリアードって……植物の魔物?」
「そうだ。魔物自体に意思はないが、繁殖力が高く、苗床を荒らす者には容赦がない」
「もしかしてこの病院自体が、ドリアードの苗床になってるってこと!?」
「おそらく前回来た時にはまだ種の状態だったものが、ここ数日で発芽して成長したのだろう」
蠢く蔓は既に壁も床も天井も覆い尽くして、無事な場所は美言を中心にした半径一、二メートルくらいだ。いくらなんでも成長しすぎではなかろうか。
そう思ったところで、美言はハッと首を巡らせた。そういえば手術室の扉の前にはヘイちゃんがいたはずである。
「ヘイちゃん!」
「ひ、姫ぇ~」
頼りない声がする方へ視線を向けると、天井の暗がりで蔓にがんじがらめにされているヘイちゃんの姿が見えた。首や腕、腰と体中を拘束する蔓はもがけばもがくほど締め付けを強くしているようで、ヘイちゃんの白い顔も見る見るうちに青ざめていく。
「動かないで。蔓を切ってみる!」
『野郎の触手プレイにはそそられな』
「あーーーー!! もうっ、本当にあなた聖剣のくせに邪念ありすぎ!!」
またもやよからぬことを口走ったガリバーを諫めて、美言はアルトリウスと共にヘイちゃんを拘束している蔓めがけて聖剣を振るった。
落下する蔓の一部に紛れて、御幣に戻ったヘイちゃんがぴょんぴょんと飛び跳ねながら美言の袴の帯に滑り込んだ。
『かたじけないでござる』
「ドリアードは魔物だから、ヘイちゃんは待機してて」
瘴気だけなら場の穢れなので御幣でも祓うことは可能だが、今この病院を支配しているのは魔物本体である。魔物にぶつけるのは聖剣エクスカリバーだ。
「ミコト。ドリアードの蔓や根を少量の魔力で破壊しつつ、本体を出力三十パーセントの力で倒してみろ」
「えっ? この状況でいきなり魔力制御の修行なの!?」
「ドリアードは蔓と毒の攻撃さえ気を付ければ、初心者でも問題のない相手だ。今までの練習の成果を試すのにちょうどいい」
「毒攻撃追加されてるんですけど!? それにあなたの基準の初心者って、それ絶対初心者じゃないでしょ」
『あー。話してるとこ申し訳ないけど、ボクの力もそんなに持たないからね。今日はずっと人型で出ずっぱりだったし、さっきのスライム戦でハニーもちょーっとボクの力を使いすぎたみたいだし?』
「えぇ!? そんなの早く言ってよ!」
確かにスライムを倒す時、練習だと思って聖剣の魔力を湯水のように使った記憶がある。今日の瘴気祓いはスライムで終わる予定だったし、普段ならそれで問題はなかった。けれど噂を聞いた比良坂病院を目の当たりにして、これは早々に祓った方がいいと気が急いてしまったのだ。
結果、美言もアルトリウスも目の前の瘴気を祓うことばかりに気を取られ、肝心の武器である聖剣の力が残り少ないことを失念していたのだった。
『ハニーは勇者なんだから、ボクのことを第一に考えておかないと。そうしないと今みたいに、肝心な時に窮地に陥っちゃうよ』
「ガリバーって……本当は魔剣なんじゃないの?」
『失礼な! これもキミの成長を思ってのことだよ』
確かに力の残量を計算できていなかった美言に非があるのは明らかだか、せっかく人型を得て喋れる体があるのだから、病院に入る前に一言言ってくれればよかったものを。
……と、恨めしく思っても時すでに遅し。周囲はすっかりドリアードの蔓に埋め尽くされ、美言たちは脱出する術を完全に失っている。ここから出るには、もう残り少ない聖剣の力でドリアードを倒す以外にない。
「心配ない。ミコトならやれる」
「その謎の強い信頼が怖い」
「大丈夫だ。自分を信じろ。今までの練習で、聖剣から力を引き出す感覚はわかったはずだ。昨夜カヨが作ってくれた肉じゃがを覚えているか?」
「いきなり何?」
「本体にジャガイモを残し、蔓にはグリンピースくらいでいい」
買い忘れた絹さやの代わりに冷凍グリンピースを入れた肉じゃがが、まさかこの窮地で役に立つなんて一体誰が想像しただろう。ふざけているようにも聞こえるが、美言にとっては非常にイメージしやすい例えだ。脳内に浮かび上がるグリンピースが、聖剣と同じ金色の輝きを放ち出す。
「おかげで何とかいけそう。ありがとう、アルトリウス」
「動かすのは俺に任せて、お前は力の制御だけに集中しろ」
「わかった」
「行くぞ」
腰を支えるアルトリウスの腕にぐっと力がこもった瞬間、美言は手術室の奥、うねうねと蠢く蔓の中へ勢いよく飛び込んでいった。




