10:俺に体を預けていろ
一瞬、大木が降ってきたのかと思うほどの衝撃だった。木の葉が舞い、弾かれた石礫が木々の幹を刃物のように傷つけていく。美言が無事だったのは、アルトリウスが庇ってくれたからだ。同時に防御魔法も発動したらしく、二人の前に展開されていた魔法陣の壁に幾つもの石礫が突き刺さっているのが見えた。
「アタシの食糧庫に無断で入ってきたのはだぁれ?」
甘ったるい声音と共に、闇の中からぬぅっと女が現れた。いや、正確に言えば、それは女ではない。ばっちりとメイクを決めた派手目の美人は、その下半身に巨大な蜘蛛の体を持つ魔物だった。
「アラクネ……!」
「あら。骨と皮しかない干からびた人間かと思ったら、まぁまぁ肉付きのいい女じゃなぁい! それに後ろの男、私の好みよ~。男の肉は固くて嫌いなんだけど、あなたはとてもおいしそう」
明らかに捕食者の目で美言たちを値踏みしながら、アラクネが物欲しそうに自身の指をぺろりと舐めた。
美言の頭みっつ分くらい背の高いアラクネは、巨大な下半身も相まって威圧感が半端ない。おまけに赤い双眸に加えて額と鎖骨、両肩に合計八個もの目がついており、その視線をまとめて向けられれば、文字通り蜘蛛の糸に絡め取られたかのように体が委縮した。
「ねぇ、そこの色男さん。アタシとイイことして遊ばない? アタシを楽しませてくれたなら、ご褒美にあなたは食べないで飼ってあげるわ」
アラクネが上半身を屈めて、美言たちの方へ顔をぐぅっと近づけてきた。極端に布地の少ない――もはや下着といってもいい――服から、豊満な胸が今にもまろび出てしまいそうだ。アラクネは更にその胸を二の腕で挟み込んで強調するものだから、美言は咄嗟に御幣を掴んでお互いの間を切り裂くように真横へと薙ぎ払った。
「離れて!」
言霊が効いたのか、それとも御幣から散った神水が効いたのか、アラクネが逃げるように背後へ飛び退いた。驚いた表情を浮かべてはいるものの、その顔にはまだ余裕の色が垣間見える。
「なぁに、それ? 変わったものを持っているのね」
アラクネの興味が自身に移ったのを感じ取ったのか、手の中の御幣が紙垂を揺らしてびくりと震える。その恐怖は美言にも伝わったが、実を言えば結構前から背筋にぞくぞくと悪寒が走りっぱなしだ。
美言の専門はお祓いで、魔物相手に物理攻撃をすることではない。いくら聖剣に選ばれた勇者だとしても、剣を交えた実戦など当たり前だが一度もやったことがないのだ。
それこそユウ少年らと同じで、ただやみくもに剣を振り回すしかできない美言の攻撃が、アラクネに通用するとはとても思えなかった。
けれど、ひとりではない。幸か不幸か、聖剣を持ち上げられなかった美言の代わりにアルトリウスが剣を振るってくれる。美言はアルトリウスを信じて体を預け、聖剣に力を注ぎ込むことだけに集中すればいいのだ。
「聖剣を」
「いつでもいい」
視線が交われば、アルトリウスが小さく頷いた。
公園の駐車場からここまで、さすがに抜き身の剣を持って歩くわけにはいかなかったので、聖剣は今アルトリウスの中に収められている。彼の左胸へ手のひらを向けると、まるで美言の意思に導かれるようにエクスカリバーの金色に輝く柄が姿を現した。
柄を握りしめて、一気に引き抜く。溢れ出た聖なる光によって場を満たしていたアラクネの邪気が吹き飛び、辺りの空気がほんの少しだけ軽くなった。
御幣を袴の帯に差し込んで右手で剣を握ると、その手を上からアルトリウスに掴まれた。伝わる力に安心感を覚える美言とは反対に、アラクネは赤い双眸をカッと見開いて恐怖に唇を戦慄かせている。
「そ、それは……まさか」
魔王と勇者シフィルがディセリアから姿を消して数百年。どれだけ時が過ぎ去ろうと、魔物たちにとって聖剣は命を脅かす武器であることに間違いはなさそうだ。
「聖剣エクスカリバー!? どうしてあなたがそれを持っているの? それは勇者と共に消えたはずよ!」
「消えてなどいない。いつか再び勇者が現れることを信じて、俺たち人間は剣を守り続けてきた」
「その女が勇者ですって? 笑わせないで。何の力もない、ただの人間じゃない」
「力はないが、確かに勇者だ」
褒められているのか貶されているのかわからないが、腕力があまりないことに関しては事実なので何も言い返せない。それでも短い時間であれば、多少は持てるのだと言わんばかりに、美言は自分の力だけで聖剣をわずかに動かしてみせた。
けれど美言が手にしているのは絶大な力を誇る聖剣エクスカリバーだ。たったそれだけの拙い動作でも突風の如き衝撃波が放たれ、完全に油断していたアラクネの頬に鋭い切り傷を付けたのである。
「……よくも顔に傷をつけてくれたわね」
八つある目が一斉に美言の方を向く。上体を低く屈め、怒りに腹部まで震わせたアラクネが、腹の先から大量の糸を吐き出した。
「ミコト!」
アルトリウスに腰を攫われ、美言は体を後ろに引き寄せられた。さっきまで立っていた場所には地面を抉る勢いでアラクネの糸が突き刺さっている。アルトリウスがいなければ、美言は瞬きする間もなく体に大きな風穴を開けていたことだろう。
「何をした?」
「剣をちょっと動かしただけよ。あんな攻撃になるなんて思わないし!」
「戦い慣れていないのに、あまり挑発するようなことはするな」
「だから不可抗力だってば!」
攻撃するつもりもなければ、攻撃が出るとも思わなかった。安易に剣を動かした美言が悪いのはわかるが、そもそも揺れた程度で力が出るのも正直どうかと思う。そんなことを思っていると、まるでこれ以上余計な行動をしないようにと言わんばかりに、アルトリウスが少し強めに美言の体を抱きしめてきた。
「お前はおとなしく俺に体を預けていろ」
「わ、わかってるわよ!」
リザードマンと戦った時のように、背中から包み込むように腕を回される。決して動きやすい体勢とは言えないが、アルトリウスが一緒に戦ってくれることは美言の心に強い安心感をもたらした。
『アルに体は捧げても、心はボクのものだよ。ねぇ、ハニー?』
「しばらく口を閉じといてくれる? ガリバー」
『ガリバーって何!?』
「だってあなたの名前長いし、それに今は冗談を言って遊んでいる場合じゃないの」
聖剣としての力は最強なのかもしれないが、人型を得た彼の言動は軽薄すぎて、せっかく高めた集中力も乱されてしまう。けれどもそんな美言の辛辣な言葉に屈することもなく、ガリバーと名を得た聖剣はチカチカと刃を点滅させながら懲りずに語りかけてきた。
『冗談を言ってるつもりはないよ。ハニーはまだボクの力をうまく制御できていないようだから、心が重なり合えばその問題も解決するんじゃないかと思ったのさ』
「制御できてない? 吉田さんの家では蜘蛛の糸も断ち切ったのに?」
『あれは単に力のごり押しさ。現にさっきは攻撃するつもりもなかったのに、あの蜘蛛女の顔に傷つけたでしょ』
そのアラクネは長い足を器用に動かして木を登っていくところだった。合間に吐き出される糸の攻撃はアルトリウスがすべて避けてくれている。けれども木の上に行かれては聖剣での攻撃も難しい。剣を振って衝撃波を飛ばすことも考えたが、そこら中に吊るされた繭を巻き込んでしまう可能性だってある。安易な行動は避けるべきだ。
「ガリバー。ミコトが力を制御できるよう、お前の方で調整してやることはできないのか?」
『何でキミまでガリバーって呼ぶの!? それにそういう細かいことはボクの専門外だよ。ボクはただの、神の力の結晶体だからね』
『やっぱり力が大きいだけの無能ではござらんか』
『あぁ? 木の棒がなんか言った?』
「ちょっと、こんな時にまで喧嘩しないで!」
帯に挿した御幣を軽く叩くと『なぜ拙者が……』とさみしく呟く声がした。
「ミコトが力を制御するには、聖剣をたくさん使って慣れていくしかないな」
「感覚的に覚えていくってこと?」
「そうだ。一撃で倒せる自信があればそれでいいが、力を使いすぎて肝心な時に聖剣を振るえないようでは話にならないからな」
確かに聖剣の力も無限ではない。こうして外に出している間も勝手に消耗しているだろうし、美言が後先考えずに派手な攻撃を繰り返していればきっとあっという間に聖剣の力は底をつく。戦いのさなかにアルトリウスの中へ戻すこともできないだろうから、美言は聖剣の力が尽きる前に魔物を――そして魔王の魂を倒さなくてはならない。
「この戦いで、少しは聖剣の扱い方がわかるだろう」
「そ、そんな練習台みたいな相手じゃないと思うんだけど」
「多少強い相手の方が身に付くものも早い。大丈夫だ。お前には傷ひとつ付けさせないから安心しろ」
そういう不意打ちは本当にやめてほしいと、美言はまたも集中力を途切れさせてしまった。
「行くぞ」
腰に回されたアルトリウスの腕に力がこもる。覚悟を決めて頷くと、アルトリウスは美言を後ろから抱きしめたまま、木の幹を蹴って軽やかに上空へと駆け上がっていった。




